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もやもやと実験 ー 喫茶ザンゲシツを終えて

喫茶ザンゲシツ前日、喫茶ザンゲシツのLINEグループに明日は風が強いらしいとメッセージが入る。お天気アプリを開いてみる。確かに一日を通して風速は高い数値で、昼過ぎ頃は10mになっていた。喫茶ザンゲシツでは焚き火とザンゲシツ(テント、場所の都合でペグが打てない)がある。全部なにもかも風で飛ばされるのでないかと心配になる。
しかし喫茶ザンゲシツは「もやもやを楽しむ」ことをテーマにしている。だからこれはうってつけの天気かもしれない。風が強くてままならない感じも楽しみたい。


11月18日にクラブサバーブの『ヤミイチ』*という企画の中で、『喫茶ザンゲシツ』を開いた。
喫茶ザンゲシツは「もやもやを楽しむ」をテーマにし、哲学対話やオープンダイアローグのような対話の場がある対話喫茶にするつもりだった。
また、屋外での開催なので、焚き火を囲み、コーヒーやレモネードを片手に、またはマシュマロを炙りながら話せる、そんな対話の場を作ろうとしていた。開催されるまでは。
実際は全然違う形となった。対話喫茶にはならなかった。

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クラブサバーブって?

これからの郊外(suburb /サバーブ)の暮らしを楽しみたい人が集まって、アイデアを出す・企画を作る・一緒に実現するための場であり、活動です。
※国立市が策定した「国立市重点まちづくり構想」に基づき展開している「市民まちづくりプロジェクト 100」のリーディング企画として開催します。

なぜ、ヤミイチ?
今回のクラブサバーブのテーマは「まちのはじまりをカタチにする」です。まちのはじまりというと少し抽象的ですが、戦後の日本にもたくさんのまちのはじまりがありました。その象徴でもある、戦後の間市をモチーフとして現代版の「ヤミイチ」という活動をとおして、まちのはじまりを考えたいと思います。独自の経済原理において取引が行われた場としての戦後の間市、そして、いろんなモノに溢れた現代社会で、自分たちからはじめる場としての「ヤミイチ」。クラブサバーブが考える「ヤミイチ」とは、どんなもので何がおこるのでしょうか。ぜひご参加ください。
※戦争や間市について言及するイベントではありません。

クラブサバーブ2023 ちらしより


まず、最初の方の時間は子供たちのマシュマロ炙り体験の場になっていた。今回開催した矢川プラスは子供連れの方がとても多い。焚き火でマシュマロを炙るのは、大人にとっても興味があることであり、子供に体験させるのにもよく、子供自身も興味を持てることだろう。自発的にマシュマロを焼きたいと興味を持った子供もたぶん多かったはずだ。

しばらくすると大人たちも焚き火を囲み始めた。ここで本来はファシリテーターとしてスタッフが入り、対話を始めるべきだろう。
しかしお客さんがひっきりなしに来るのでカウンターは忙しく、他のスタッフもコーヒーを淹れたり、2つある焚き火の管理をしたりと忙しい。とても対話が実践できる感じではなかった。

今回は考えていた対話の場を作ることは出来ず、対話喫茶にはならなかった。ただ、今回はこれでよかったのだと思う。今回はこれが正解だった。

子供たちは、みんなそれぞれの焚き火マシュマロ体験をしていた。焚き火を怖がったり、怖いけど恐る恐るマシュマロを火にのばしたり、途中でもういいやとなったり、積極的に炙ってみたり、焦がしたり、煙が目に沁みるのを嫌がったり、口の周りをマシュマロだらけにしていたり、色々な子がいた。
また、大人たちは自然と話し始めていて、考えていた哲学対話やオープンダイアローグのような感じではなかったけど、雑談のような感じにはなっていた。見た目だけで言えば、想定していたものだった。

日が暮れる頃には、マシュマロは途中で買い足した分も含めて売り切れ、焚き火の薪も使い切ってしまった。日が暮れてからは風も冷たく、かなり寒くなってきた。火は消えかかっているが、それでも多少は暖かく、消えかかった火に、焚き火を囲んだ人たちみんなで必死に手を伸ばすのは楽しかった。その場にいた人が言っていたが、本当にみんなで火に念を送っているようだった。

たぶん子供も大人も焚き火を楽しんでいたと思う。場もすごく賑やかで楽しげな声で溢れ、いい空間になっていた。僕自身も楽しめたし、喫茶ザンゲシツのスタッフもみんな楽しかったと言っていた。対話喫茶はできなかったけど、運営としてはむしろそのもやもやも含めて楽しめた。
これは幸せを目指すといった目的的なこととは違ったものだろう。楽しむといった対応的なこと、偶然性やそれに伴うもやもやを楽しむということ。今回は対応的、楽しむといったことができた。

撤収作業もほぼ終わりかけたころ、先に撤収作業を終えて帰宅する他のお店の方と挨拶をし、今日はどうでしたかという話になった。喫茶ザンゲシツの先に書いた状況を伝えたところ、「実験」という言葉が返ってきた。その言葉は「もやもやを楽しむ」ということと繋がると思った。
また、今僕が読んでいるジル・ドゥルーズとクレール・パネルの共著『ディアローグ』という本に書かれていることとも繋がると思った。この本にもまさに「実験」という言葉が出てくる。
先程僕が言った”今回はこれでよかったのだと思う。今回はこれが正解だった。”というのは実験の結果、いいものが生まれたということなのだろう。実験そのものも楽しむことができた。

また何か実験をしてみたい。例えば、また同じ場所で全く同じことをすることになったとする。そのとき今回の結果を踏まえて、ここでは対話喫茶はできないし、子供が多いから焚き火とマシュマロ炙りをする場にするのが正解だろうと考え、実際にそうしてまえば、そこには不確定要素がほとんどなく、実験とは言い難いだろう。
そうではなく、敢えてまた対話喫茶をやろうとしてみるのもいいかもしれない。もちろんそこには新しい工夫も必要となるだろう。しかし、例えその工夫をしたとしても、対話喫茶が出来るかは分からない。何が生まれるかは分からない。
このことには目的と対応という実験がある。目的と対応の間で何が生まれるのか。目的(もしくは方向)をもたない訳ではなく、かといって目的がどれぐらい達成できたかが大事なのではない。目的と対応という実験で何が生まれたのか。
喫茶ザンゲシツについては、あまり目的的にしたくない、コントロールをしたくない、偶然性にも開かれていたいという思いはあったが、それでも「もやもやを楽しむ」という目的があり、だからこそ喫茶ザンゲシツが生まれた。しかしその目的は他者と出会うことによって、出会いに対応することによって実験となり、何かが生まれていく。

今回のクラブサバーブのテーマは「まちのはじまりをカタチにする」であり、現代版の「ヤミイチ」という活動をとおして、まちのはじまりを考えるというものだった。
「ヤミ」は心の闇のようにネガティブなことを指す場合もあるが、ゼロ、何もないという意味もあるだろう。
まちのはじまりとしてのヤミイチ。それはまさに、様々な人が集まり、出会い、何が生まれるのかという実験ではないだろうか。クラブサバーブのチラシのヤミイチの説明には、”クラブサバーブが考える「ヤミイチ」とは、どんなもので何がおこるのでしょうか。”とも書いてある。
ヤミで人と人が出会い、人たちと人たちが出会い、人と物が出会い、その間(『ディアローグ』でいう「何かと何か」の”と”)から何かが生まれていく。そして実験の結果の連続がまちではないだろうか。実験の結果の連続は物語でもあるだろう。また、ここでいう連続とは、一つの実験がずっと続いているということではなく、多くの異なる実験が連続していくということ。その連続は終わることなく、今もどこかで起きている。何かと何かが出会う。実験となる。何か”と”何かの間で何かが生まれるのだろう。

最後に、今回クラブサバーブ運営の皆様。クラブサバーブ参加者の皆様。ヤミイチ、喫茶ザンゲシツに遊びに来てくださった皆様。ご理解ご協力頂いた近隣住民の皆様。今回会場となった矢川プラスの皆様。珈琲豆の使用を許諾して頂いた自家焙煎珈琲店の玲音香琲(レノンコーヒー)様、差し入れにドリンクを提供して下さったバインミーのカフェLapin様、そして喫茶ザンゲシツを共に形にした皆様。本当にありがとうございました。



最後の最後にお知らせ。喫茶ザンゲシツは、今後も何かしらの活動を予定しています。今後の予定が決まり次第、僕のnoteやTwitter(x)、喫茶ザンゲシツのInstagramアカウントにてお知らせします。



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