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深夜のケーキ屋さん

ここ最近は疲れてばかりだ。大規模なプロジェクトに新人の教育、そして残業の嵐。増えるのは給料とタバコの本数。世間からは充実しているからいいじゃないかと言われそうだが俺ももうすぐ40歳、これ以上の充実は事実上負担でしかない。ここ最近じゃ早期リタイアなんて言葉も聞くが、それをする勇気もない。どうしてだろう、俺に足りないのは一体なんなんだろうか。

ある日の夜、急に目が覚めた。もう深夜の1時か、2連休で良かった。たまには深夜にうろついてみるか。俺はパジャマの上から厚手のジャンパーを着て家をでる。秋の夜は冷えるな。高校時代はよく実家を抜け出して夜のコンビニに訳もなく行ったもんだ。コンビニまで歩いて大体2分くらい、だがその通り道であるものを発見する。珍しく声を出して驚いた。ケーキ屋だ、ケーキ屋が開いてる。ケーキ佐藤、昔ながらのケーキを売ることで有名だった店だ。俺もたまにショートケーキを買って食べていた、もう十数年以上前のことだが。確か老夫婦が営んでいる店だったが、どういう訳だ。この店は先週閉店して、しかもこんな深夜に開いているのか?もしかしたら、泥棒でも入っているのではないだろうか。俺はケータイを取り出して、店を覗くとそこには年老いた主人がエプロンと帽子をつけてレジに立っている。店のガラス越しでもわかる、まるで何かを待っているようだ。俺は恐る恐る店の戸を開けた。すると主人は前に見せた時と同じ笑顔で挨拶をしてくる。この感じ、懐かしい。

「いらっしゃい。ケーキはいかがですか?」 

店は綺麗そのもの。本当に営業しているのか?だが、ショーケースにはケーキはひとつも並んでいない。以前はフルーツケーキやチョコレートケーキが入っていたのに。俺が疲れている訳じゃない、本当に空なのだ。何よりご主人の体、随分細くなったな。この間地元の両親に会った時と同じだ、どんなに元気でも老いを隠すことは出来ない。すると主人はショーケースを見ておやぁという顔をする。

「あれまぁ、ケーキがもう売り切れだったのか。スーツのお兄さん、今作ってあげるからね。待ってて。」

そういうと主人は店の奥に引っ込んでしまう。おいおい、まさか今から作るって訳じゃないよな?下手したら夜が明けてしまうぞ。恐らく調理場だろう、止めに行かないと。俺は主人を追いかけて調理場に入っていく。


初めてケーキ屋の厨房に入ってしまった。オーブンにありとあらゆる調理器具、それも新品同様に輝いている。相当使い込まれているはずなのに、これも職人の仕事というやつなのか?すると主人はもうすでに生地を手際良く作り終え、オーブンに入れ焼き上げている。すごいな、あの細い体であんなに早く作れるとは。だがやはり体が震えているのがわかる、これ以上無理をさせられない。私は調理場へさらに入り主人を止める。すると主人は笑顔でこう答える。

「ごめんねぇ、ここにお客さん入れちゃダメなんだ。店の方に椅子を持っていくから、そっちで待っててね。」

俺はまるで間違って入ってしまった子供のように扱われ、椅子と一緒に店の方まで追い出されてしまった。どうしてだ、相当辛いはずなのに。なぜあんなに無理をしてケーキを作るんだ?


店の方でスマホの画面を眺めながらただ待った。はじめはもう一度止めに行こうとも考えた。だが店に漂う生地の焼ける香りがそれを止めた。この香り、もしかしたら2度とかげない香りなのではないかと思ってしまった自分がそうさせたのかもしれない。そして大体1時間後、主人が店の奥から箱に入ったケーキを持ってくる。

「お待たせ。今日のは、残り物じゃないよ。たくさんお食べ。」

あ?何を言ってるんだ?そんな事見ればわかるよ。俺の為に丹精込めて作ってくれたんだろ?でも笑顔の裏に疲れが見える。やはりケーキひとつ作るのにも相当負担がのしかかっているらしい。俺が金を出そうと財布を取り出すと、主人はそれを止めた。

「お金はいらないよ。頑張んなよ。」

やめてくれよ、もう優しくするなよ。早く、帰って寝ろってんだ。俺は何も言わずケーキを持って店を出て行った。

店から家までの帰り道でずっと悩んでいた。どうしてあんなに冷たくしてしまったんだろうかと。どんな形であれ、俺に物凄く優しくしてくれたし、俺のことを覚えてくれていたんだ。あの店に初めて行った頃と同じだった。仕事でミスをして、サボって飲んだくれてたらあのケーキ屋にたどり着いたんだっけ。見かねた主人が、ショートケーキを1ホールくれて「残り物だからお金はいらない!たくさん食べなよ!」って言って無理やり持って帰らせられたな。あの時の主人、多分その辺のヤンキーとかより元気だったな。ずっと人気店だったのに、誰にでもサービスしやがる。そこから何回か通って、通う割には出会いが酷かったから味の感想なんて言ったことなくて、出世するにつれて男がケーキ屋に通うなんて格好が悪いと勝手に思い始めて、いつしかケーキ屋に行かなくなった。俺はケーキを貰ってようやく思い出したのに、向こうは全部覚えてくれてた。そう、全部だ。家に帰って箱を開けたら、あの時と同じようにイチゴのショートケーキが1ホール入ってた。前から思ってたけど、1人で1ホールは多いよ。そんなことはわかっていたが、この年になってもそれを一晩で完食してしまうほどに美味かった。


深夜にケーキ屋へ行った日からもう1週間が経とうとしていた。会社の帰り道や、深夜のコンビニに寄るがてらあのケーキ屋を通ったが、店のシャッターは閉まり切ったままだ。そんなある日の事、仕事帰りの夜にケーキ屋の前を通ると老夫婦が揉めている。ケーキ屋佐藤の2人だ。夫人が店のシャッターを開けようとしている主人を止めている。そうか、薄々感じてはいたが、そういう事だったんだ。変だと思ったんだ、深夜にケーキ屋を開けたり、そのくせケーキがなかったり、パジャマとジャンパー姿の俺を見てスーツのお兄さんと呼んだりしたことも。


主人は、認知症だ。


俺は主人に駆け寄りシャッターを開けようする手を止めた。夫人も俺のことを覚えていたのか、俺に主人を止めてくれと懇願してくる。主人は認知症なんだとも、わかってるからもう言わないでくれ。俺の決心が揺らいでしまう。主人はいつもの笑顔で挨拶してくる。

「やぁ!スーツの、お兄さん!今、ケーキを焼いてあげるからね。」

ふざけるな、前よりも震えた体でそんな事させられるわけがない。奥さんも心配してるんだ、頭と体の考えが一致してないのもわかってる、だけどもういいんだ。あなたは、もう充分人を幸せにしてきた。それでも作るというのなら、神様、俺の決心をこの人に伝えるチャンスをください。

「ケーキはさっき焼いてくれたじゃないか!おじさん、美味しかったよ!」

はっきりと、初めて自分の言葉で伝えられた。俺に足りなかったのは「素直さ」だったんだ。決心なんかいってたった一言だ、でもその一言が今まで言えなかった。主人はそうだったそうだったと言って家に帰ろうとする。夫人は私に何度も礼をして主人と帰っていく。ちゃんと伝わっただろうか。いや、あの人は俺が言う前から何度もあの言葉を聞いてきた筈だ。とにかく最後の客として、俺の役目は終わった。あのケーキが焼ける香り、綺麗に並べられたイチゴのショートケーキも結局思い出だけとなってしまった。でもそれでいい、幸せはもう充分に貰ったから。


思い出の味が色褪せないように、まずはタバコを減らすところからはじめてみようと思う。

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