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#14 うつ症状で死にたかった時、周りに分かって欲しかったこと

(2951字・この記事を読む所要時間:約7分 ※1分あたり400字で計算)

はじめに

 先日、友人から「うつ病について教えて欲しい」と連絡が入った。
 何事かと聞いてみると、どうやら知り合いの様子がおかしいらしい。
 眠れず、食べられず、何についても興味を示さなくなり部屋に閉じこもっているとかなんとか。

 友人曰く、「まるでうつ病みたい」だということで、何とか知り合いの力になりたいらしい。
 けれど、自分がそのような状態に陥ったことが無い故に、相手の気持ちが理解出来ず困っているのだそう。

 そこで私達は時間をかけてじっくりと「うつ症状」について色々語ったのだが、せっかくなので当時の内容を記事にまとめておこうと思った。


 ここで一つ強調しなければならないことがあるーー私は別に医者でも専門家でも無い。
 ただ、かつてひどいうつ症状に悩まされていたことがあって、何とかそこから抜け出せたという経験がある。それだけだ。

 友人が相談しにきたのも、ただ経験者としての私の意見が聞きたかった為。

 よって、今からここで記す内容も絶対ではなく、全て一例としてとらえていただきたい。
 もちろん一概に言えない部分もあるが、これらの経験が参考となり、誰かの助けとなれたら幸いである。


友人の疑問1:何故いくらアドバイスをしても聞いてくれないのか

 これについての私の回答は「本人は別にアドバイスを求めていないかもしれない」だ。

 私もそうだったが、相談したいと言っている場合のほとんどは実際「ただ話を聞いて欲しい」で、露骨に「何も言わずに聞いて」と言うのもあれだから、「相談なんだけど」と持ちかけているだけなのだ。


 アドバイスをもらえるのはありがたいが、当の本人が他の誰よりも一番考えて、答えを探して、あれこれの解決法を試してきているのだ。
 よって、これ以上助言されても心の中では「知っているし、もう試した」と考えているわけだ。

 もちろん本人が自ら「どうしたらいい?」と聞くこともある。だがこれも同様、あまり踏み込んだ提案をされると戸惑ってしまう。

 ちょっぴりわがままに見えるかもしれない。

 けど、うつ病はある意味「自分を見失って迷走している状態」だと私は思っている。
 自分の気持ちを上手くとらえられないので、何とかして自分が本来ありたい姿を見つけようとしているのだ。
 だからそんな時に他人から意見をぐいぐい押しつけられてしまうと、どうしたら良いか分からず余計混乱してしまう。

 少なくとも当時の私にとっては、相手から取り敢えず「君はどうしたい?」と聞き返してもらった方が落ち着けたのだ。
 静かに私の話を聞いて、受け入れてくれる。そんな信頼出来る相手と一緒に失われた自分を取り戻す過程が心地良かった。


友人の疑問2:やはり「頑張れ」と言ってはいけないのか

 答えは「言うな」である。
 応援が必要な場合もあるかもしれないが、言わないでおく方が圧倒的に無難である。

 なぜかって?

 既に毎日命がけで頑張っているから。

 これ以上頑張りようがないから。

 自分を崖っぷちに追い込むように頑張っているから。

 だからその「頑張れ」の一言がプレッシャーとなり、崖から突き落とされる程のダメージになるかもしれない。


友人の疑問3:知り合いの調子がコロコロ変わる。良くなったり悪くなったりを繰り返して良く分からない

 「回復」と言うと、つい「一直線に右上がりしていく」ようなイメージを持ちがちだが、そうではない。

 多くの場合は波をうつ。
 改善と悪化を繰り返しながら、徐々に徐々に良くなっていく。
 これには数年かかることでさえある。長い目で見守るのが大事だ。

 そして悪化時は必ず何かのきっかけがある。
 例えば私の場合は:
・天気の変化(気圧や気温差、特に季節の変わり目)
・ネットで何かトラウマを引き起こすものを見たとき
・ぐるぐる考え過ぎて何か嫌なことを思い出した時
・単純に身体が疲れている(空腹や睡眠不足など)

などがあった。

 具合が悪くなる原因は人それぞれなので、記録をつけたりしてじっくり観察することをおすすめする。
 そうすることによって前もって対策出来るし、体調悪化時も
「気圧が低いから調子悪いんだ」
「眠いからやる気が出ないんだ」

と客観的に分析出来るので、自己嫌悪せずに済む。


友人の疑問4:知り合いが自殺しないか心配、自分に何が出来るのか分からない

 結局、生きるか死ぬかを選ぶのは本人だ。
 極端な話、周りが全員必死に助けよう最善を尽くしたとしても、死にたいと思う人はそれでもその道を選ぶだろう。

 親しい人が死んでいくのを見て、「何もしてあげられなかった」と自分を責めがちだが、一方でこれはこれでどうしようもなかったと割り切る必要もあるかもしれない。

 ではどうすれば良いのか。
 「しょうがない」と見捨てるしかないのか。

 決してそうではない。

 確かに私たちは他人の「生死の選択」を左右することは出来ない。
 けれどーー
「生きているだけで100点満点」なんだと、
「今日を生き延びることが一番の目標」なんだと、
「命を留めるのに甘えも何も無い」なんだと、

......

 これらを、全身全霊で訴えることは出来る。

 それが心に響いて、「もう少し生きてみようかな」と考え直させるきっかけになるかもしれない。

 「死にたい」は結局、「幸せに生きていきたい」という思いの裏返しだ。
 楽しい人生を送れているのなら、誰だって死にたいなんて思わない。

 「生」の魅力が分かっている人は「死」を考えないのだ。


 それと、「苦しみのピークは案外すぐに過ぎる」というのを覚えておくのも大切だ。

 例えば当時の私は、1週間のうち決まって3-4日は異様にひどい希死念慮に襲われていた。
 気力がほぼ消え失せるので、ただただ布団を被ったまま涙を流して過ごすしかなく、頭の中は死ぬことについてばかり考えていた。

 けれどそれもその3-4日のこと。

 ピークを過ぎると、完全に無くなるわけではないが、希死念慮がある程度和らぐ。
 そこでむくっと起き上がり「何か食べるか」と、食欲も少し湧く。

 ただ、苦しみ真っ直中にいる時は和らぐ日が来るなんて信じられないし想像もつかない。今の状況が永遠に続くように感じる。
 そこで耐えきれずに、自ら命を絶ってしまうのではないだろうか。

 「終わりは絶対に来る」という希望があるだけでも、もう少し耐えてみようと思えるようになるのだ。


ストレスに弱いのではない、向き合い方が分からないだけ

 私の話を聞いた友人は「本当に目から鱗だった。うつ症状の感覚がこんなにも特別だとは知らなかった」と言っていた。

 そして最後に私が補足したことは、「同じ出来事に対してのストレスの感じ方は人それぞれだから、絶対に比較はするな」だ。
 生まれつきの感覚もそうだが、成長していく過程で得た愛情や安心感の度合いによっても、その後のストレスへの向き合い方は大きく左右される。

 例えば、些細な失敗をしただけでも叱られ怒鳴られる家庭で育った子は、大人になってもミスに対し過剰におびえる。それに対し「失敗してもまたチャレンジすれば良い」と教わった子は、ミスしても「まあいいか、良い経験になった」と気持ちを切り替えることが出来る。

 目に見えない、過去の数々の出来事が引き金になっているのだ。

 だから決して「弱い」のだとか「甘えている」とか言わないで欲しい。


 この記事が、今うつ症状で悩んでいる方は、うつ病の家族や友人を助けたい方の参考、何かのヒントとなれたら幸いである。

📚「生き抜くこと」、それが今日の目標


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