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淡水交情ーー真のマブダチは、四六時中くっついてなんかいない

(1231字・この記事を読む所要時間:約4分 ※1分あたり400字で計算)

【淡水交情】

「君子の交わりは淡きこと水の如し」とも

ピンイン:dàn shuǐ jiāo qíng
意味:水のように淡泊であるが、純粋で真な友情であること。

『真のマブダチは、四六時中くっついてなんかいない』

 「なんかね、竹子との距離感って心地良いのよね」

 ある日、親友と電話をしていたら、急にこのように言われた。

 「全然負担じゃないというか、自然体で話せるというか……信じてもらえないかもしれないけど、私って実はあまりお喋り得意じゃないのよ?竹子の前だけよ、こんな饒舌になるのは」

 ああ、そういえば、と思った。
 自覚はなかったが、私たちはいつだって最適な距離感を保った付き合い方をしてきた。


 もう15年近くの仲になる友人は、大学時代からの付き合いだ。

 寮では隣部屋。
 専攻も同じなので、いつも一緒に行動していた。

 朝は揃って教室に向かい、授業後も同じ学食に通った。
 テスト前は寮にある勉強部屋に集まってガリ勉し、休日はどちらかの部屋で遊んでそのまま朝まで喋り倒すこともあった。

 もちろん別行動をする日もあった。
 それぞれの友達と遊ぶのだってよくあること。
 数週間も予定が合わず、全く話せなかった期間だってあった。

 けれど、別に寂しくもなかった。
 くっついていなくても、全然気にしなかったのだ。

 めいめいの暮らしを楽しみ、時間が合えばまた行動を共にする。そんな関係だった。


 卒業後、私たちは別々の土地で暮らすようになった。

 新生活に適応するのに二人とも必死だったせいか、メッセージを頻繁に送り合うのも最初の頃で、やりとりの頻度は段々と減っていった。
 しまいには1年以上も音沙汰無し。

 それでも、「疎遠」なんて感覚は無かった。


 昔からそうだ。

 「めいめいの暮らしを楽しみ、時間が合えばまた行動を共にする」

 それが私たちの友情スタイルなのだ。


 そして案の定、新生活が落ち着くと私たちはまた自然と連絡を再開した。

 まるで最後に話した時から1日も経っていないかのように。


 「忙しい時はそれぞれの場所で頑張る。何かあった時だけ、ふらっと連絡する。後は、成り行き」、と友人。

 「私は、そんな関係が好きなのよ」


 「竹子とはこの付き合い方が出来るから、すごく心地良い」


 一見ドライに見えるが、よくよく考えると、これは十分な信頼と友情があるからこそ成り立つ関係だ。

 信頼が無いと連絡が途絶える度に「嫌われたのでは」と不安になってしまうし、
 友情の基礎がしっかり出来ていないとそのまま疎遠になってしまう。

 確実に冷めない間柄だとお互いに確信を持てるからこそ可能な付き合い方だ。


 そういえば、
「本当の友達とは、気付いたら側にいる人のこと」
というのをどこかで聞いたことがある。


 四六時中考えているわけではないけど、ふとした瞬間に思い出す。

 相手が喜びそうなものを見た時、
 相手が興味ありそうな話を聞いた時。

 大した用も無いのに、たまたま暇な時間が出来て連絡してみたらそのまま数時間も喋ってしまうような、そんな相手。


 「こういうのを、マブダチって言うんだろうな」

 「そうね。気付いたら、側にいる、みたいなね


 おや、考えていることがハモった!

📚無意識のうちに育て上げた関係ほど、長続きするのかも


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