#87 無数の説教よりも、一度の痛い経験
(1153字・この記事を読む所要時間:約3分 ※1分あたり400字で計算)
「娘のことで困っている」とため息をついている同僚がいて、どうしたのかと聞いてみたところ
「将来役に立つからと言っても勉強してくれない」
「社会生活の為にある程度の社交性を鍛えろと言っても聞かない」
「身体に悪いからと言ってもジャンクフードを食べるのをやめてくれない」
とのこと。
来る日も来る日も口酸っぱく叱り続けてしまったせいか、最近は親子関係がすこぶる悪いのだそう。
娘の将来を考えて悩み込む同僚。
親の気持ちが全く理解できずそっぽを向いてしまう子供。
話しても話しても平行線をたどるようで分かり合えない状態が続いている。
『まあ、そんなで子供は大人の話なんて聞くわけないさ』
つい口に出そうとした言葉を慌てて飲み込み、「そのうちなんとかなるよ」と嘆く同僚を慰めた。
思えば私も、子供の頃は親の話なんて適当に聞き流すような子供だった。
怒られるのが嫌だから取り敢えず従っているだけで、別に納得なんかしていなかったのだ。
だから申し訳ないが、同僚よりも、同僚の娘さんの気持ちの方が良く分かる。
大人達が口を揃えてくどくどと説教する内容が、自分と何の関係があるのか全然分かりやしなかった。
大人になり社会生活を送るようになると、あの頃大人達に言われたことは確かに理にかなっていたと段々と分かってくる。
けれど、それも実生活で自ら経験を積んだからに他ならない。
適当に勉強したから、私は就職で苦労した。
だから「将来の為に勉強しなさい」がどういうことか分かった。
ずっと一人で部屋にこもっていたから、人と協力して仕事をすることが苦手で、色んな人に嫌われた。
だから「友達を作って社交性を育てなさい」の大切さを知った。
食生活が乱れて、胃腸を悪くした。
だから「三食をちゃんと食べて、ジャンクフードはやめなさい」が如何に重要なのかを痛感した。
痛い目に遭う前に学べば良いのにと経験者は思うが、残念なことに人は一度でも馬鹿をやらないとなかなか教訓を自分のものに出来ない。
要するにどんどん失敗経験を積めば、どの選択が正しいのかが要領を掴め、自ずと成長出来るのだ。
そういえば昔、ゲームの邪魔をされて機嫌を損ね、わざと「晩ご飯なんか食べたくない!」と駄々をこねたことがあった。
てっきり「食べなさい!」と親に怒られると思いきや、「そう、食べなくて結構。明日まで一切の食事禁止ね」と言われ、
お腹が空いて仕方がなくて、朝まで耐えられずに皆が寝静まった夜中にこっそり冷蔵庫を漁ったものだ。
それから、夕食抜きで苦しむのは結局自分自身だと知り、そのようなわがままは一切言わなくなった。
だからグチグチ言うよりも、危なくない範囲で失敗する機会を与えるのも立派な教育。
その実体験を通し、理論的な「説教」を実際の人生と結びつけない限り、納得して経験者の助言を聞き入れることは無いのだ。
📚失敗するチャンスが無い教育は、残酷だ
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