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「本当のニーズに応えること」。相談支援とカウンセリングとのアプローチの違いについて

言動が心の内と一致することって、意外と少ないのかもしれない。

✳︎本音と言動の不一致✳︎

改めて考えてみると、子供の頃は好きな子をいじめたり、追いかけ回してスカートめくりするような男子は必ずクラスに何人かは居たし、大人になると職場で気持ちと言動が一致しないのは寧ろ普通。プライベートでも、例えば「会いたいなー」「ご飯に行きたいなぁ」「連絡してみようかなぁ」とか思っても「コロナだしなぁ」「県を跨ぐしなぁ」「相手もきっと忙しいよなぁ」とか、その他諸々の色んな事情とか色々考えて「今はそっとしておこう」なーんて思って日常に追われて日々が過ぎて行くとか、そういう本音と言動の不一致って結構日常に溢れている気がする。

でも今こうして相談支援の仕事をしていると、その本音と言動の違いの極端さに圧倒される事はとても多い。

✳︎「共感や受容するなら、金をくれ」✳︎

例えば表向きは「首吊りやリストカットを繰り返す発達障害を持つ引きこもりのヤングケアラーが『社会人として、社会と接点を持てるようになりたい。勉強したい』と言っていても、本当のニーズは「金銭」で、実際は勉強への意欲は無く、言葉通りに勉強への支援をこちらがどれだけ必死こいて頑張ったところで、結局はすっぽかされまくったり、実際抜き打ちで自宅を訪問すると、学校にも行かず、課題も出さずでゴミ屋敷のベッドでひたすらゲームしていて、なんやかんや言って結局は寧ろ生活保護で引きこもりを続ける事が本人の願いだったりする事もある。

特に発達障害などで共感性が低い人の場合、こちらがあれこれ考えて心に寄り添うよりも、寧ろ露骨にお金の話で釣る方が、案外サクッと結果に結びつくことも往々にしてある。そして私はこの感覚にまだイマイチ慣れずにいて毎回唖然となる😂

でも現実問題、生活保護で暮らす精神障害者はかなり多く、(私の感覚では相談支援の対象の98%は生活保護)しかも料理などの家事すら億劫で、一般企業での就労なんてとんでもない!という状態の精神障害者にとって、毎食コンビニとUber eatsで食い繋ぎ、どこに行くにもタクシーなのはあるあるだし、お金の計算も苦手なケースが多いので、当然お金はあっという間に尽きる。だから目先のお金は常に喉から手が出るくらい欲しい物。なのでこれはこれで当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。

✳︎一見、困っている弱者?でも実際は。✳︎

また、表向きは難病を抱えるシングルマザーが発達障害の娘を心配してナーバスになっているように見える場合も、実際はシングルマザーの心中には強い人間不信があって、表向きの要望に応えようと、こちらがどんなに昼夜や休みの日を問わず必死こいて頑張っても、相手は敢えてこちらを試す為に無理難題をふっかけてきているだけで、実際はそこまで忙しくもないのに嘘をつき、何度もスケジュール変更とキャンセルを繰り返したり、こちらから何度連絡しても電話を取らなかったり、電話が繋がる時間として日曜や深夜を指定するなど、結局はこちらを振り回す事自体が目的だった、ということに周りから指摘されて初めて気づく、なんてこともある。

✳︎面倒に見えて実は寂しい人✳︎

また逆のパターンでは、行政が「面倒な人」として敬遠し、「引き受ける施設がもう無い」と無理やり押し付けてきた度重なる薬剤の過剰服用や放火、自殺未遂を繰り返すようなクレーマーの心の内が、実は今まで周囲の人から誤解されてきた悲しさと寂しさに満ちていて、こちらが誠意をもって接すると意外とトラブルなくスムーズに支援が進む、なんてこともある。

✳︎表向きの言動だけで、なかなか本音は測れない✳︎

表向きの言動だけで、なかなか本音は測れない。
それも初回15分ほど会っただけで見抜くなんて。
なので、私も表向きの主訴に振り回されてグッタリ疲れる事が度々ある。

でもベテランの相談員は、そういうたくさんの嘘の中から本質を見抜いたり、嘘を逆算する事で本当のニーズを見抜き、支援計画という書類に落とし込んで本人に提示する。そこに至るまでの時間は驚くほど短いし、ラポール(信頼関係)もそこには必要としない。

凄いなぁ、と見ていて思う。例えばカウンセラーとしてのやり方なら、例え同じ結果にたどり着くとしても、到達までに多分もっと時間がかかってしまう気がする。なので「ある意味人たらしであり、職人技かも、」と見ていてしみじみ思う。もちろんカウンセリングは回復を目指す為の物で、ソーシャルワークとしての相談支援におけるアセスメントは一見カウンセリングのように見えて実態は全然違う。本質を見抜く、というその一点は同じでも、相談支援はあくまでも問題を明確化して社会資源と障害者とを結びつける為の物。そもそも目的が全然違う。でもこんなにもやり方も違うんだなぁ、と知れば知るほど改めて思う。

✳︎カウンセリングと相談支援。アプローチの違いに試行錯誤の日々✳︎

私がこれまでずっと勉強し練習し続けてきたカウンセリングの手法は、「本人が自身の本心に気づいて自身で言語化することに意義がある」という考えに基づいているので、見抜いたからといって相手の本心を一度会っただけでこちらが勝手に決め打ちして提示する事とか、認知行動療法と言われるような、敢えてスモールステップで挑戦して成功体験を積み重ねることで自信をつける、など何かしらの意図がない限り、こちら側から積極的に介入する事自体少なくて、何より始めは言語・非言語で信頼関係を築くことを重視する。だから「お金で釣る」「相手に条件を突きつけて、この条件をのめないなら引く」と言って脅す等といった強気な交渉は、無条件の受容を前提としたカウンセリング的な視点ではまず選択肢にすら上がらない。だけど相談支援の現場では、これもまた大切な技術の一つでもあったりする。

こういう些細な差ではあるのだけど、そのあたりの微妙な違いに、今私は苦戦している。

難しいね。でもそういう類の交渉なら前職でやってきた事とも近いから、これも場数と慣れの問題でそのうち出来るようになるんかな?

ホンマ、毎日が戸惑いと鍛錬と学習。
でも、今思うのは慣れるまでは「今私は福祉の立場で、この人には医師なり公認心理士なり、癒す立場の人が別にいるから、私は私の立場で最善を尽くす事に集中すること」と自分に言い聞かせて、福祉の視点と、カウンセラーとしての視点とのスイッチ切り替え自由になれるよう、体に染み込ませていこくとだけやと思ってる。

まぁ、新人だもん。そして人間が相手の仕事だもん。
そうそうサクッとは行かないよね。
一歩一歩焦らずぼちぼち行こう。

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