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コーヒーの昔話

以前イギリス人のお茶好きの話をしました、今回はアメリカ人のコーヒー好きについて話します。

アメリカ人はお茶があまり飲まないが、コーヒーに対する愛はイギリス人のお茶好きといい勝負になります。

コーヒーの起源はエチオピア、しかし、最初のコーヒーという飲料を誕生させたのはアラブ人でした。とあるイスラム教徒が夜間で祈りする時に、居眠り防止するために作られた説があります。もちろんこの時のはあくまでも原始的なコーヒーであり、味について想像できます。

1555年、二人の商人がコーヒー豆をトルコに持込、長き試行錯誤を経て、コーヒー豆を発酵させれば苦くて美味しい飲み物が作れることを判明し、この飲み物はエネルギーを提供できるし、飢えにも耐えられるため。コーヒーが一気に広げられました。

この時のコーヒーはまだアラブ圏のみ流行していて、欧州人の飲み物はまだビールやミルクが主流です。

1683年、第二次ウィーン包囲戦争の時、オスマン帝国第二次ウィーンを侵攻しましたが、神聖ローマ帝国とポーランド王国連軍の抵抗により敗退しました。そのため色んな物資が残され、中には500袋のコーヒー豆が含まれていました。

欧州人はコーヒー豆を見たことないので、とあるトルコにいた商人に譲りました。のちにこの商人はウィーンで欧州歴史上初めてのカフェを開きました。ラテつまりミルク入りコーヒーがこの人の発明だという説もあります。

しかし、コーヒーは欧州において流行らなかった、異教徒の飲物として抵抗感があったと思います。スウェーデンの国王グスタフ3世がコーヒーの安全性を証明するためとある実験をしました。

二人の死刑囚を毎日コーヒーと紅茶をそれぞれ飲ませ、定期的二人の健康状況を確認し、コービーが人の免疫に悪影響があるかどうかを判断するという目的ですが、国王も検査の医者も結果を見ることできず、二人の死刑囚よりも先に亡くなりましたから。

疑問の声もありましたが、欧州人はやはりコーヒーが好きになりました。その後オランダ商人とヴェネツィア商人がこのビジネスチャンスを掴み、コーヒーを世界各地に広げ、中にアメリカが含まれていました。

当時のアメリカはまだ13の植民地でした、イギリス人の影響でアメリカ人もお茶好きが多かったです。しかし、イギリス人はお茶の貿易を独占したため、ボストン茶会事件が発生しました。以来、イギリス人のお茶を飲むことやめて、コーヒーに代わりました。

独立戦争始まった時、兵士の飲料として酒が標準装備でしたが、酒の力で戦場で恐れずに戦うことが狙いでしょう。しかし、酒を飲んだら暴れる人が多くなり、1832年、兵士の飲料が酒からコーヒーに代わりました。

第二次世界大戦になって、コーヒーがアメリカ軍の戦略物資として認識され、十分の供給を確保するため、アメリカは世界範囲で大量購入し、大金を使ってブラジルの年間コーヒー豆を全て購入しました。当時のブラジルはナチスと関係が良かったため、アメリカは完全コーヒーを確保するために取った行動でも言えます。

この後、アメリカ軍はブラジルのコーヒー豆を持って欧州上陸しました。もちろん、欧州人から見れば、アメリカ人のコーヒーは薄くて不味かったという。

当時のアメリカ大統領ルーズベルトは大のコーヒー好きですが、戦時物資不足のため、毎日一人一杯だけ飲むように国民に要求しました。しかし自分がどうしてもコーヒーを飲みたいから飲み干したかすを再び煮て、二杯目を作りました。このやり方が流行となり、以後このような二度煮たコーヒーをルーズベルトコーヒーと名付けられました。



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