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『ホテル・ムンバイ 』 

原題「Hotel Mumbai」

◆あらすじ◆
2008年、インドで同時多発テロが発生。武装テロリスト集団がムンバイの5つ星ホテルを占拠し、無差別の殺戮を始める。500人以上が取り残される中、誇り高きホテルマンたちは宿泊客を守るため、必死の戦いに挑んでいく。


始まって5分もしない内に重い緊迫感を背負わされる。

場面は若過ぎるテロリストたちが“見えない首謀者”に支持されたそれぞれの持ち場に向かうシーンから始まる・・・そして何故か至って自然に彼等の行動から目が離せなくなる。

彼等が向かう場所が何処なのか?然程ムンバイと言う土地を知らなくても何気に想像がつくからその計画の異常さが理解出来る。

彼等は自分達が命じられたことをまるでお茶でも飲むかのように平然と準備し実行していく。怖ろしい程に悪びれず当たり前の様にだ・・・。

そしてテロは多発的に街を襲う。

ただ観進めていくと、この作品の目線が多岐に渡っている事が解る。

例えば・・・

このテロの悲惨さを先に逃げた人達がどう感じたのか?
多くの犠牲者を目の前にして生き残った人達が何を思うのか?
このテロに遭った人達の精神的負担はどれくらいのものなのか?助かればそれで済むと言うものではない筈なのだ。

そして何より無垢な若者を洗脳しテロリストとして育て訓練し自分は安全な場所でただただ支持を出し追い打ちをかける様に勝手にご都合で解釈したイスラム教の教えで容赦なく殺させる電話の主=首謀者に怒りが込み上げる。

個人的にはタージマハル・ホテル内でテロリストから身を隠している中、中盤以降に彼等の目的が金持ちの白人だと言う事が解る。で一部の宿泊客(白人中心)が隠れた部屋から出て行くシーンがあるんだがその場面で無事を祈ろうとするスタッフに対して「祈る事はない全ての元凶だ」とロシア人宿泊客が発したこの言葉がずっと頭に残って「あぁ、この作品は勿論テロの無慈悲さと惨酷さを描いてはいるが何故テロ行為に及んだかを捉えてるんだな」と感じた。

精神的不安から起こる小さな諍いや偏見の露見。
極限の状態で人は何を考えどう行動するのかと言う細かい部分までこの映画は描いているから一時も息がつけない。

それでもテロ行為の緊張から自分を解き放つ様に家族に電話する若者のシーンでは彼等にも家族があり同じ様に生活している背景が描かれる。観ているこちらも緊張の中に一息を付けるシーンだった。

そしてどんなに洗脳されても心の奥底に在る人としての想いは消えないと僅かな希望を持たせたエンディングにも揺さぶられた。

演技とは思えないリアル感と臨場感。ホテル内の俯瞰の映像や誰かの目線でのカメラワークに緊張が止まない。

デヴ・パテルはこの役に過去作から学び取った全てを活かしテルと感じた。

で、何故かイギリス人なのにお気に入りのロシア人役ジェイソン・アイザックがなかなかつかみどころの無いイイ感じの役だったんだけどこの人の正体が追々わかる仕組み・・・なぜ「全ての元凶だ」と言ったのか・・・。

そして今回アーミー・ハマーの妻ザーラ役で登場したナザニン・ボニアディだが美しいのは当然の事最後の最後彼女が非常に需要なシーンを担っているのに驚いた。イラン出身の彼女が起用されたわけがココで判明するのだがあの歌・・・もしかして凄く地元(ローカル)な歌なのかな?

今、こうした映画が作られる理由の一つに世界が人々の間に壁を作り楔を打ち分断を図ろうとする気配が感じられると言う事。憎しみを増殖させる誘導者にこそ怒りを覚える。

人間だけが無駄な殺戮を繰り返す、その狂人的行いをなくす事は不可能なのか?

政治や宗教が生み出す戦争を止められるのも人間しかいないのに。


職業柄か仕事に誇りを持ち行動したホテルマン達に感情移入した。

群像劇としても素晴らしい。



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