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短文

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2020年8月の記事一覧

箱乗り

箱乗り 海沿いの運河で、巨大な魚が釣れ始めたという取材に協力し、撮影班と落ち合った。私は、スーパーカブが運転席になっているミニバンにスタッフを乗せ、途中である大物のお笑い芸人と合流し、そのポイントへと行く予定になっていた。しかし、この変な車は運転しづらく、アクセルをめいっぱい手前に回してもちっとも加速しないばかりか、力を入れていないとすぐにエンストしてしまう。普通の車にすればよかったのに何で、といきさつを辿りつつ倉庫の建ち並ぶ路肩にトラックがぽつぽつ停まった界隈を走っている

オーロラ

香港/英領 誰もが一輪挿しみたいな携帯電話ひとつを持って歩いている。歩行喫煙者はほとんどいない。水上の飯店はの揚げ麺に腰がなくカップヌードルのようだった。 韓国 ハングル文字のため何屋かわからない。ゲームセンターで地元の若いやつにわざとぶつかられた。屋台で売っている串の食べ物はいくらなのか見当もつかない。 オーストラリア ハンバーガーショップで黒人店員から差別をうける。一向に注文を聞かない。新婚旅行で射撃をするうつくしい日本人女性のライフルを構えた腰の線。 グアム/マリ

バンパーの血

バンパーの血 高速道路をよく使った。成田を過ぎると雑木林が続く。明かりも少ない。そんななか、百キロを超えるスピードで上ってゆく。 事務所について車をパーキングに入れ、後処理もそこそこに逃げるように帰宅する。 翌日も外勤に出かける。 タワーパーキングから出てきた車の白いバンバーにぽつぽつと血がこびりついている。筆を振ったように、赤茶けて。何を轢いた訳ではない。おそらく光に寄せられた吸血の虫(蚊の類)が時速100キロの車体に当たってくる、いや、そのような虫が道路に濃くたむろして

ボタン

ボタン 恐ろしい病気がある。「選択肢が見えなくなる」という病。これはれっきとした病で、時に死以外の選択肢が見えなくなり、そうなれば当然、罹患者は死に至る。あるいは死を試みる。その結果、生き残れば重篤な後遺症を抱えたまま生き続けて、何であのとき、あのような考えしか浮かばなかったのだろう、と後悔することになるかもしれない。その後悔は終身続く。 終身続くという観念は恐ろしい。たとえそれが、幸福であったとして、一生単調な幸福しか選択肢を選択できないとしたら、ためらわずにそれを選択

Fさんへの手紙

Fさんへの手紙 Fさん、あなたが癌で亡くなってからもう少しで五年になります。今日、昼寝の、夢の中にあなたが出てきました。あなたは私のトラブルを処理するために私の家にきてしきりに電話をかけていました。一番のトラブル先に電話を代われといわれたとき、これは夢だ、と無理矢理目を覚ましました。すみませんでした。あなたは、おそらく、五時間程度の睡眠以外、すべての時間を仕事に費やしていました。土曜も、日曜も、密かに職場にきては仕事をしていました。休日出勤の時、あなたに必ず会いました。夜も

放心

放心 放心のうち庭に立った。防草としてコンクリートが流されていた。その上から砂が盛られ、何度か大雨に崩されているようだった。放心のうちに見わたせば、コンクリートはダムになり、砂の小山は海岸となり、海をダムでせき止める、と放心しながらつぶやいている。ここまで来るには様々な邪魔だてが有った。笑い事ではすまされない中傷も受けた。柵のようなものに逆らっているうちにいつの間にかここへきて棒立ちになっていた。いつしか棒立ちはほかに何人もいて、やめてください、とか、おっしゃることは分かり

池師

池師 私の息子は水を見れば石を投げ、流れを見れば葉の舟を流したくなる。そのままの情緒で今でも水流に葉を流したいといった。真夏の日、我らは大きな黒い家のある雑木林の庭にいて、盛夏の日差しに草木も額と照らされた。林間の芝生は半端な面積に凶暴な熱気を帯びて、いっそ平場へ等倍の鉄板のひとつも倒したくなる。キャンプなど、冗談ではない。息子よ。……むかし池師をしていました。といつの間にかボランティアとゼッケンをつけて庭園ガイドが現れる。私は、いつからかついてくるボランティアと魚が大の苦

ゆずりはの樹

ゆずりはの樹 ゆずりは、という樹が庭にあった。その手前に、小さめの街灯のような夜灯があった。ゆずりはの樹は大きくて肉厚の、ある種の魚のようなかたちの、濃い緑の葉を垂らして、一年中緑に茂っている。そういえばゆずりはの樹をほかで見たことかない。そもそも庭樹にするような物だったのか知らない。 夜灯は夏の夜、時折付けた。おそらく電気代がかかるのを惜しんだのだろう、少しの間、たまにだった。白い光に照らされてゆずりはのつるつるとした葉が光を反射させていた。その光にいろいろな虫が誘われ

旅荘に至り

旅荘に至り 久しぶりに着たスーツがきつくてぱんぱんになっている。いすに座ると腿のあたりが裂けそうだ。目に見える範囲に追っている男をとらえつつ、小走りになりついて行くのがやっとだった。 駅の階段を下りてホームにでるかと思えば、線路づたいに細くて砂利で足の取られる道を歩いていかなければならない。よく、みんなこんな道を歩いて出かける、と思う。靴が見る見る埃まみれになっていく。ところどころ砂利がとぎれ一足の幅ぐらいのコンクリの筋の上を歩かなければならない。落ちたところで少しぬかる

男泣き

男泣き 男泣きも安くなった。よく、テレビで男が泣いている。泣くことに関して言えば、男が泣くのは親が死んだときだけだ、と教育されてきたので、基本的に泣かない。泣きたいことがあっても。ただ、年とともに涙腺は緩くなり、テレビドラマなどで思わず泣いてしまいそうになることもあるが泣かない。我慢する。 泣くことはストレス解消にいいと聞く。泣くためのイベントなども聞いたことがある。しかし、泣きイコールみっともないと価値観に深く刻まれている。それでも、何人かに泣くところを見られたことがあ

黒体

黒体 黒体と薄々暴かれ、距離を置かれたとしても、こちらとしてはどうにも仕方のないことで、それはそれ、特に変わらず日常を送るほか有るまいと。生まれつきの黒体はいかに形を変えようともつきまとい、変化しない。しかし、存在の有り様というか、出てくる気というか、そのようなものに無頓着になる加齢変化などにより、はっと色を消すものなのかもしれないと言うわずかな望み程度は持ち続けても許されたしく。別に出そうとしているわけではなく、蛸のように吐き出すわけでもなく、場が黒く染まってしまったなら

桟橋

桟橋 誰がいつしつらえたのか分からないが岸から五メートルほど板を渡して、桟橋のような物が鉄パイプで組まれていた。通路から釣りのための台座に至る。二三人の釣り人がゆったりとへら鮒の竿を振っていた。野べらはそう簡単に釣れるものではない。休日、その光景を後ろから見た。水面にはさざ波が光って男たちは逆光に陰となり背を丸めていた。前傾して波に見え隠れする浮きの変化をじっと凝視していた。自転車にまたがって見ていた。別の日、有給をとってまた自転車を転がした。夏の終わり頃だったか、明らかに

人を待つ

人を待つ 世界的ロボット機械の製造会社、そのコーポレートカラーはイエロー、しかも赤みを帯びた、レモンと言うより、オレンジの混合したそれで、その会社の社名を冠して、○○○○○イエロー、と言われていた。国際空港のロビーを走るカートのプレートによくその社名が、○○○○○と○○○○○イエローのプレートに広告されている。そのメーカーの下請け工場の昼休みに、そこで働く人と商用があって、踏切遮断機のようなゲートのある入り口手前で、よく待ち合わせをしたものだった。 冬、空気がぴんと張りつ

予報

予報 昨日は会っていても、会っていなかったような人と、遠い昔に出かけていって、あのとき言い間違えたことや、本当に思っていたことなどをノートに記して遊んでいた。ムーン。月。イースト。東。今日は訪ねてきた人を家に返しがてら線路沿いに歩いていって、冬なのに夏のような空だ、といって不思議な顔をされたのだ。ついい、つい、と絞り出す、あの鳥はどこへ帰るのだろうか。一年前にも同じことがあった。その前にも同じことがあった。そして来年も、繰り返されることだろう。部屋にいて、階下からときおり堅