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旅荘に至り

旅荘に至り

久しぶりに着たスーツがきつくてぱんぱんになっている。いすに座ると腿のあたりが裂けそうだ。目に見える範囲に追っている男をとらえつつ、小走りになりついて行くのがやっとだった。

駅の階段を下りてホームにでるかと思えば、線路づたいに細くて砂利で足の取られる道を歩いていかなければならない。よく、みんなこんな道を歩いて出かける、と思う。靴が見る見る埃まみれになっていく。ところどころ砂利がとぎれ一足の幅ぐらいのコンクリの筋の上を歩かなければならない。落ちたところで少しぬかるんでいるだけなのだが恐怖を感じる。

もう、すっかり追っていた男の姿は視界から消えて、何のための追跡たったのか、思いだそうとしても覚えていない。たぶん、何処かへ報告する義務があるのだと、義務感だけに苛まれながら、その砂利道から吐き出し口伝いに直接入れる部屋に踏み込む。

靴を砂利の上に置き、きついズボンを脱ぎハンガーにひっかける。部屋の中にはこたつがあり、こたつの上には湯飲みと急須を丸くて赤い盆が乗っていた。開いたガラス戸からお婆さんが顔を出して、今日はなんだかあるみたいで、と、ほかの部屋が満室でうるさいかも、としきりに恐縮している。ああ、別に構いませんよ、と勝手に入ったことを叱られることを恐れつつも平然を繕い返答をする。

それで、一泊いくらですか、と聞くと、こんな具合だから六千円でいいわ、と精一杯のおまけのように言われ、え、この部屋で六千円? でも都内だから仕方ないか、などと一瞬、逡巡しつつわかりました。と話を終わらせた。

お婆さんがいったあと、部屋から首を出して廊下の様子を見てみると、同じような曇りガラスが扉になった部屋がずっと並んでいて、特に騒がしい様子もなく、ただ、ほとんどの部屋は開け放たれていた。

思いつくことがあった。もしかするとここは帝釈天に近い、ウナギの寝床のようなしつらえの古い連れ込み旅館ではないか。確か入り口には竹が埋まっていて狭く、茶色いモルタルの料亭めいた壁が隠微な雰囲気の、以前来たときは廃業するからと人が居なくて、それでもよければ、と言われたのだが、まだ、あったのだ。

部屋から出て、廊下を歩いていくとそうだ、確か参道沿いに細長く建てられているのだと思い出した。広間にでる前に手洗い場があり、磨り硝子で明かりが採られている。妙なサイズの白い陶器の水受けに見覚えがある。

その廊下を抜けると暗い、十畳ほどの板の間が二間続く。手前の間には古い応接セットが置かれ、次の間には何もない。そのかわり、和ガラスの戸板の向こうにはコンクリートづくりの露天風呂があるのだ。

別に自然の岩石などを配するでもなく、砂丘のようにうねったコンクリートのへこみのところに、湯をはって入る仕組みになっている。そのため、へこんだ部分がいくつかに分かれてその窪み一つ一つが一人二人が入れる程度の湯船になっているのだった。

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