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「ネオ・ファウスト」手塚治虫死去の直前に起きた奇妙なシンクロニシティ!

手塚治虫未完の絶筆「ネオ・ファウスト」をお届けいたします。

手塚治虫が最晩年に取り組んだテーマは、なんと生命の錬金術
ゲーテの『ファウスト』を軸に繰り広げられる生命讃歌は奇しくも志半ばで絶筆。文学と科学が融合したハイブリッドな題材を生涯最後に選んだ理由とはなんだったのか?
本編で解説していきますのでぜひ最後までご覧ください。



1988年1月から「朝日ジャーナル」にて連載された作品です。

あらすじは
一ノ関教授という年老いた学者が宇宙の真理を解明する研究を続けるも結果が出ずに悩んでいました。
そこへ魔女メフィストが現れ魂と引き換えに若返る契約を交わします。
若さを手に入れ青年に生まれ変わった老教授が第2の人生を生きるというストーリーです。

これはゲーテの名作『ファウスト』をモデルに漫画化したもので
内容はほぼ同じですが手塚版「ファウスト」では
悪魔のメフィストを女性として描いていることが異なります。

この悪魔メフィストを女性にすることで、主人公をたぶらかすという点においても女性である方が説得力が増しますし
なにより手塚版お得意のエロスが炸裂した作品に仕上がっており
これは非常に良いアレンジになっています。

というより手塚治虫はこのゲーテの『ファウスト』を生涯三度もマンガ化しており二度目の時にもメフィストを女性キャラとしてアレンジしています。ここから察するにこの設定はすでに規定路線だったようです。
この辺りは講談社発行の「手塚治虫漫画全集」の『ネオ・ファウスト』2巻のあとがきにかなり詳しく本人の弁が掲載されております。
熱量がハンパなくてちょっと何言ってるか意味不明なくらい語り散らかしているんで興味がある方は覗いてみてください。


というより何より『ファウスト』にガチ惚れしすぎ。
生涯に三度ですよ。三度描いているんですよ。

まず第一作目は
1950年に子ども向けとして初代『ファウスト』執筆。
続いて
1971年 戦国時代を舞台に侍的『ファウスト』を描いた『百物語』
そして1987年の本作『ネオ・ファウスト』


完全に『ファウスト』に憑りつかれた変態です。
いや、ド変態の所業ですよマジで(笑)

過去日本漫画史において原作付きのマンガを三度もリメイクした作家はおそらくいないと思います。いないというか普通はできないと思います。
こんなもん純粋にモチベーションが続きませんから。

初代『ファウスト』を描いたのがデビュー間もない頃の作品で
『ネオ・ファウスト』は生涯最後の作品ですからね。
21歳のときに描いた読書感想文を60歳でまた書くみたいなものです。

できます?そんなこと…。
これぞド変態の仕事です。

そもそも『ファウスト』とは超大作な上に難解な代物ですから、
そう簡単にアレンジできるものでもありません。
一定の技量がないと手が付けられませんし何よりボリュームがエグイ。
それをわずか20歳そこそこの青年が正しく理解して
子供用に漫画化した時点で、もはや離れ業なのです。
それを生涯に渡り三度もリメイクするわけですから本当にこれはとんでもないことなのです。

手塚治虫をそこまで魅了した『ファウスト』とは一体どんな魅力があったのでしょうか?

これはシンプルに
「若さを手に入れて人生をやり直す」というプロットにあると思われます。

手塚作品全体の根底には「生と死」というテーマがありますが、
ことさら手塚先生は生きるということへの執着がハンパじゃありません。

これは少年時代に体験した戦争の影響が大きく
ある程度裕福に育って比較的何でも手に入る環境にあって
ある日突然、すべてが無くなる出来事が起こりました。

それが戦争。

喰べるものもなく、友達も目の前で死んでいく
そして何より大好きなマンガが書けない、絵もかけない
そんな手塚少年の人生を一変させた耐え難い経験が戦争です。


トラウマ級の体験を経て、ある日突然戦争が終わります。
その時の心境を「とんでもない解放感があった」と手塚先生は語っています。これまで抑圧されていたものがここで一気に解放されたんですね。
まさに解き放たれた欲求が爆発した瞬間。

「生きている」という迸る欲求。

この心底から湧き上がる生きることへの執着こそが手塚マンガの原点。

手塚先生の亡くなる直前の最後の言葉は「頼むから仕事をさせてくれ…」と言うように創作活動への熱意が常人の理解を遥かに超えた人でした。

作中の老教授のセリフ
「まだまだやり残したことはあるんだ」とリンクするように
手塚先生にとって常に何かにチャレンジして創作していることが
「生きている証」であり「生きがい」そのものだったことと思います。

故に「若さを手に入れる」という題材は本人の潜在意識の中に
ずっと抱えている欲求だったことが伺えます。
事実、このテーマは「火の鳥」他手塚作品には色濃く影響を受けています。

そんな『ファウスト』ですがこの『ネオ・ファウスト』では
「若さを手に入れる」の他に別のテーマも掲げて描かれていました。

それは亡くなる1年前の1988年の講演会で触れています。

主題はバイオテクノロジー、生命の錬金術、
ゲーテの作品ではホムンクルスという人造人間がちょっと出てきてすぐ消えてしまいますが私の今度の作品では最後まで生かそうと思うのです。
(中略)
ホムンクルス型の生物が地球を破壊する
バイオテクノロジーに対する不安もしくは拒否反応がテーマ

1988年講演会

ホムンクルスとは、ヨーロッパの錬金術師が作り出す人造人間のことですが
手塚先生は本作でバイオテクノロジーによって人間のクローンを誕生させるストーリーを考えていました。
遺伝子操作から生み出される新たな生命創造
そしてそれらからもたらされる悲劇を描く予定だったと思います。

科学の暴走、人間の果てしない欲望の追及が地球を破滅に向かわすというSFものは先生の十八番ですからそこに生命の錬金術を絡めていくストーリーになったのはほぼ間違いありません。
晩年の円熟期にあってこれまでの知識、経験をぶち込んだ作品は
これからいよいよ核心へと向かうところで惜しくも中断…。
完結していたならば手塚作品でも屈指の傑作に並ぶんじゃないと思うと残念でなりません。
たらればですけど…


さてここで、
余談になりますがゲーテが描いたファウストにはモデルがいました。15世紀頃のドイツに実在したと言われる錬金術師「ドクトル・ ファウストス博士」なる人物だそうです。

ドクトル・ ファウストス博士

このモデルのじいさん自身が錬金術師だったそうで
なんか錬金術師って聞くと中二病的でカッコイイんですけど
錬金術師って、、実際に何をしていたか分かります?
分かりませんよね。

…でこのファウストじいさん、何をしていたかと言うと
博識で多才だけど何やら訳の分からないことをつぶやく老人と思われていたそうです。(あくまで推定)
空を飛んだり、体を改造したりすることを夢想していたり温室栽培もしていたそうで、大変危険な思想を持っていたと思われていたそうです。

空を飛んだり肉体改造は現代では当たり前の事ですけど
当時はひどく異端な思想だった事でしょう。
特に当時は季節に関係なく食物を食べれていたのは異例なことですから温室栽培なんて廻りの人にはそれこそ魔術でも使っていると思われていても不思議ではありません。

生命の錬金術も今は魔法のようなことかも知れませんが近い将来
それが我々の日常になる日も全然ありえるわけで、、、
手塚先生はおそらくこの生命の設計図をテクノロジーで生み出そうとしている世界が引き起こす悲劇を本作『ネオ・ファウスト』で描きたかったのではないでしょうか。

もし絶筆でなかったのなら、この先はどんな展開が待ち受けていたのか。
おそらく壮大な哲学論になりえた可能性を秘めていただけに返す返す残念であります。

さて、この『ネオ・ファウスト』は同じ時期に
『グリンゴ』『ルードウィヒ・B』という作品と共に描かれていた手塚先生最後の絶筆であります。
驚くべきことはこの絶筆の3作品のテーマが全く違うことです。


これら毛色の違う作品をどうやって同時進行して描いていたのか非常に興味深い事ですが何よりこれが亡くなる前の作品で、病院のベッドの上で描かれていた作品もあり意識が朦朧とする中でも何度も何度もペンを握って
モルヒネを打ちながらも原稿に向かったとも言われています。

マジすか?

朦朧とした意識で3作同時で執筆できます?
病院のベッドの上でなんの資料もなく描けます?

圧倒的執念というか創作意欲というか、常人の理解を遥かに超えた仕事意欲です。手塚先生にとってマンガを描くと言う事は本当に生きているという事とイコールだったのでしょう。
しかしながら
無限に湧き出るアイデアに対して徐々に身体が反応しなくなっていきます。
肉体がもうすでに限界を迎えていました。

ここで作中で奇妙なことが起こります。
『ネオ・ファウスト』の作中で胃がんで亡くなるキャラがいるのですが
本人には「胃潰瘍」と説明されたままこのキャラは亡くなります。
当時はまだ、がんの告知を伏せていた時代背景がありましたから普通にあり得る話なんですけど(当時のがん告知率20%)

実はこれ手塚先生の病状と全く同じだったんです。

手塚先生も「胃がん」で「胃潰瘍」と告げられ亡くなられました。
結局最後まで「胃がん」と知らされずに亡くなったんです。

自身も医者だったので恐らく気付いていたんじゃないかと…。
そしてあえてそれを作品の中に折り込んだんじゃないかと…。
それは今となっては誰にも分かりませんが
この偶然ともいえる奇妙な一致は何か意味があったのではないかと考えてしまうのも不思議ではありません。

そしてこれまで精力的に執筆してきた手塚治虫ですが
1988年12月25日夕刻
「朝日ジャーナル」の編集たちに
「これ以上は描けない」と連絡をし
『ネオ・ファウスト』第二部第三回の下書き7枚が残されます。

これぞ正真正銘手塚治虫の最後の作品となりました。

下書き7枚の内の1枚

本編ではそんなペン入れされていないネーム段階の原稿が
あえて掲載されています。

徐々に徐々に白くなっていく原稿…。

最後は文字だけになっていき
その文字すらも読めなくなっていきます。
まさに蝋燭の火が消えかける寸前のような儚さを感じます。

手塚治虫というとてつもないエネルギーが消えた瞬間。

これまで数多くの「生と死」を描いてきた手塚作品の中でも何も描いていない真っ白い原稿に一番「死」を感じてしまうのはなんとも言えません。

下書き7枚の内の1枚(最終ページではありません)

この最後のネームだけは何度見ても泣けます。

あの手塚治虫がこの世から消えてしまったという現実を突きつけられると
それ以上の言葉が見当たりません。

マンガという文化の震源地であった手塚治虫の最後の息吹を
感じ取れる巨匠の絶筆『ネオ・ファウスト』
本作が未完であっても
この最後の数ページを見るだけでも十分に価値があります。
生命の本質の決定版になり得たかも知れない未完の断片を
これを機会に是非お手に取ってご自身で触れてみてください。
(ネオ・ファウスト 2巻が最終巻です)


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