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[ひと口キロク]人の可能性は家庭のふところ次第なのか、ということを覆したい願望

Newspickの番組コンテンツを見ていて、「親はどれだけ娘にお金を使って、アメリカの大学に入れたの?と質問されて、お金がないといい勉強はできないってことですか?と思いました」という言葉が刺さった。(発言はうろ覚え)

多分うちの家は裕福じゃない。でも世間一般的に「良い」と言われる大学に行けた。高校からも上がれるし、お金持ちが多いんじゃないかな〜と思う大学。

授業での誰かのグループの会話を覚えている。

「親が車買ってくれたから、みんなでドライブ行こうよ」
「え〜夏休みは親がヨーロッパに連れてってくれるって言ってるから、その日は外して〜」

花より団子のつくし状態のわたし。

別に彼らのライフスタイルに憧れている訳ではないが、海外旅行にはそれなりに行った。自分のバイトで貯めたお金で。そして、今は海外に住んでいる。奨学金というキラキラネームの借金を背負い、キラキラライフスタイルを送っているのです。



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自分の話はともかく、世の中は生まれ落ちた家庭や環境によって左右されてしまうということをメキシコに来て痛感することになる。
日本は「1億総中流」と言われるように、メキシコほど格差は感じない。
メキシコの格差は闇深い。
カルロス・スリムさんみたいなとんでもない金持ちもいるし、かたや路上生活を余儀なくされる人もいる。
わからない。

資本主義や社会主義のどちらかが正しいということはないし、世界の歴史を見ても、その時代に必要だったから、その形にして、失敗があればプロトタイプ作ってやり直すということを繰り返してきた。
多分、今は新しいプロトタイプを作らないといけないときかもね。


以前に友人の記事を翻訳していて、「海賊版はアニメの民主化を後押しした」とあった。
海賊版は悪かもしれない、著作権侵害しまくりだし。コンテンツだけじゃなく、ソフトも海賊版はいっぱいある。

でも、海賊版があるおかげで、Adobeのソフトを使ってデザインを学ぶ人がいたり、DTMソフトをダウンロードして音楽を制作している人もいるかもしれない。学校や正規のソフトなんて普通に考えて、「先進国」プライスだから、払えるわけがない。

海賊版はある意味、市場主義へのアンチテーゼかもしれない。
ある一定のお金を持った人だけが良い教育を受けることができて、良いソフトを使えるなんて時代は終わりなのかもしれない。
3Dを学ぶなら、Blenderが寄付制で誰でも使えるようになっている。
Figmaも基本機能は無料。
フリーミアムだけでも、十分に学びを得ることができる。
現に教育はYoutubeなどで無料で受けることができる。勉強なんてその気になればできる環境。


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教育機会は均等に与えられた。あとは「気づき」と「時間」をつくること。
「気づき」だけにフォーカスすると、「気づき」がないから、ある一定の人だけが、学ぶ「気づき」を得て、より多くを学ぶ。
思うに、教育格差は「気づき」の格差から発生しているのかもしれない。
そして、「気づき」を得ても、周りが応援する環境でないのかもしれない。
例えば、「うちはお金ないんだから大学に行かずに働いて欲しい」「そんなに若くないんだから」など言われているのかもしれない。



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これから大人にできることは、多くの「気づき」を設計して、人々がその「気づき」に気づくためのプロセスをデザインすることだと思う。
そして、富のある人に集中するのではなくて、分散させることがポイント。
お金も持っているから、いい教育が受けられる、より進んだ考え方ができる、のではなく、みんな機会が平等である世界になって欲しいと思う今日この頃。

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写真は近所の資金洗浄ビルとわたしが読んでいる建物。住んでいる街は不思議で、スポーツカーを乗り回す富裕層がいるエリアと車を持たないバラックで作った家に住んでいる人が混ざっている街。
この建物はこの街の象徴のよう。

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