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スペイン語学習記/Steve Jobs なぜ彼の会社から追い出されたのか。

動画を選ぶ基準はスペイン語は10分ほど、英語は10分以下で決めてます。

はい、今日の動画はSteve Jobsを選定しました。(選んだ理由は10分くらいだったので。)


動画はSteveがどのようにappleを設立し、会社を設立した当本人が失脚し、どのようにその後復活を遂げたのかということを歴史をもとにざっと紹介されております。


ちなみに、ざっくりの歴史ですし、私の語学力レベルで聞き取れた内容のみを書いております。違う表現や中身があれば、直接メッセージ、またはそっと見守ってください。


1955年 スティーブ、サンフランシスコにて誕生
養子として受け入れられる。
幼少の頃から両親の影響もあり、電気で遊んだり、車のメカニズムを学んだりと、好奇心旺盛であった。

幼少児はいじめにあいつつも、高校生となり、スティーブ・ウォズニャックと知り合う。

1972年 大学入学し、カリグラフィーや宗教学、デザインなどを学んだ。

1974年 大学中退 実家に戻る
インドに行きたいと決め、資金を貯めるためにATARIに就職
その後、インドへ旅をし、そこでベジタリアンの考え方や瞑想などに出会い、ここからいろいろな考えが拡大し始めることとなった。

そしてATARIへ戻り、ゲームの開発に取り組んだ。

その間シリコンバレーのHome Brew Computer Clubに参加していた。

1976年 ATARI退職 Apple Computer設立に至る
ジョブズは主にマーケティングと営業にあたり、ウォズニャックは主に開発デザインに携わった。
そして、自宅のガレージで「Apple1」を開発。資金を集めて、当時は666ドルで売ることにした。

のち資金を集めるために、投資家を募ることとした。

そこで投資をすることになったのがマイク・クラーラ
25万ドルを創業して間もないAppleへ投資することを決めた。

1977年 Apple Ⅱローンチ
その当時Appe株が1株22ドルの時代であった。

そしてマッキントッシュを開発し、意気揚々と進んでいたわけだが、
競合のマイクロソフトとの対立。

1981年 IBMがAppleに猛威を振るう 
そのため、当時ペプシの事業担当をしていたジョン・スカリーを口説き、Appleの社長に就任してもらうことに。

1985年 AppleⅢ発売 
しかし、ジョン・スカリーとの間で亀裂が入り、Appleから失脚することとなってしまった。

その後、NEXT創業
1000万ドルでジョージ・ルーカスが創業したPIXARを買収

1995年 PIXARのトイ・ストーリーが成功したことがきっかけで、ディズニーがPIXARを買収

ここでスティーブの返り咲きとなる。

さらにAppleがNEXTを買収スティーブのAppleへの復活


1997年 ガンが発見される

が、薬に頼らない自然療法での治療をすることに。

が、ガンが進行。

2011年 死去



まとめ
成功の陰には、もう一人のスティーブ、投資家マイク、またApple失脚からの這い上がりの、こういった背景があって、今のApple製品につながっていることがわかる。また彼のデザインには、彼がこれまでに学んできた思想や考えが大きく反映されている。とにかく、自分の信念を貫き通す彼の生き方には、自分を信じ切ったことをやり通す、そういう意志の強さが感じられる。



余談 PIXARの元CFOの方が書いた本を読んだのだけど、スティーブがPIXARを支援し始めた時すでに、PIXARも相当苦労していた時期であったことがわかった。Appleだけでなく、PIXARの歴史にも大きく関わっていたんだなと。


終わり

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