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「死」と「生」と「愛」

2000年前半のころ私は小学校低学年で、2年間ほど西オーストラリアに住んでいた時期があります。

経緯は両親の離婚がようやく家庭裁判所で成立した後も、
父親からの危害がある可能性から逃れるため、
母親が万が一のことを考慮し、私がひとりでも生きていけるよう第二言語と日本以外の文化を学ばせたかったため、
そして、私にオーストラリアの自然と動物、人々から「愛」や「温もり」を学んでほしかったため、が主にありました。

今回は、そのころのエピソードです。

当時、Presbyterian Ladies'Collegeという女学校に通っていました。
住んでいたところから学校までは徒歩で片道1時間ほどのため、
通常は車での通学でした。

しかし真夏に車が壊れ、一時期、歩いて通学していた時期があります。
めっちゃ暑い時期ですw
(確か、そっち方向へのバスが途中までしかなかったかなにかで、
とにかく歩いて通学でしたw)

どれくらい暑かったかというと・・・
向こうは日本よりも芝生にスプリンクラー(水がシュー!っと出て放水してくれるアレです)が沢山あり、
そのスプリンクラーの真上に立って制服のスカートとパンツに直接水を当てながら涼んでも、
歩いているうちに速乾してしまうくらいの暑さでしたww

その通学路の途中に、もともと日本で先生として働かれていたことがある、
日本語が上手な先生のお家がありました。
その方の奥様は日本の方で、時々お家にご招待いただいてたことがあります。

車を修理に出して何日経過していたかは、もう覚えていないのですが、
歩きで通学途中に、道路を挟んで反対側にあるお家の外で先生が植物に水やりをされていました。

その時、大きな、でも優しい声で、
「Zellyちゃーん!がんばってねー!」と応援してくださり、
手も振ってくれたんです。

その時の先生の表情は、もう、古い記憶なのと道路を挟んで反対側だったのとで、
鮮明には覚えていません。。
ただ、笑顔だったというよりは、切なさそうな真剣な表情のような雰囲気で、
私の記憶には残っています。

その後、先生をお見かけすることはありませんでした。
「お忙しいのかな。。?」と思っていたのですが、
あれから数ヶ月後に先生は癌でお亡くなりになられたと知ります。

先生は私には一切、癌や余命のお話はされませんでした。
今の私が当時にいたら、なにか気づけていたかもしれません。
けれども当時の私は小さすぎました。
気づけませんでした。

しかし先生がお亡くなりなったことを知った当時の私でも、
「Zellyちゃーん!がんばってねー!」の意味は、さらに心の琴線に触れました。

あの時の先生からのメッセージは、
単に真夏の通学路を歩いていたことに対してではなく、
私のこれからの人生そのものに対してのエールだったんです。

先生ご自身には「死」が迫っていたのにそのことを一切私には気づかせず、
同時に心から私のこれからを応援してくださった愛と温もりから、
その先生の心の寛大さと強さ、切なさを当時の私は学びました。
(当時の私はここまで言語化できなかったですが、
心の琴線に触れていたものたちは明らかに、これらでした)

この切なさ、時を経ても視界が涙でぼやけるんです。
この愛と温もり、いつまでも私の心の中で生き続けているんです。
そしていつか私も、その愛と温もりを滲みだせる人間になれるよう、
これらかも精進してまいりたいです。


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