ほぼ毎日ヨガに通って気づき始めたこと

2年ほど、週5,6でヨガに通って、
うち1年5ヶ月くらいは2レッスン受講をしています。
その日々の継続により、
以前は見えていなかった自分自身の心が見えてきたような気がするんです。

私の場合はとにかく、
・日常を離れて落ち着いた空間に身を委ねたかった
・心にとって安心・安全と感じられる空間に’浸透’したかった
・心と身体と、とことん向き合って多くの発見をしたかった
・自分自身を信じてあげられるようになりたかった
・魂レベルで’今、この瞬間’を生きたかった、
・命・人生について師匠のような方から学びたかった、
という6つの点を気づき始めています。

また、ヨガレッスンのみならずヨガ哲学系の本や、
ヨガ哲学と身体の神経との関係性についてのオンライン講座などもとおし、
学びと気づきが多く、日々の暮らしが豊かになりつつある実感もある、
今日この頃です。

これら学び・気づき・豊かさを感じられるようになれたのも、
根本的にはヨガをとおし私が「’何’を大切にして生きているのか」、
「取り払った方が生きやすい思い込みや過去の価値観がないか」という着眼点を、
少しずつですが考えられるようになっているからなのかもしれません。

要は私にとって日々の生活で幸せを感じる価値観の本質を、
誤解せずに見抜けるようになりつつある、といった状況にあるのだと思います。

ヨガに出会う前の私は、自分自身の心が求めている幸せは、
私自身を寂しさや苦しみから、他人との関わり’のみ’により解放すること、
と理解していたようです。
寂しさや苦しみからの解放は、
「他人との関わり『のみ』」が対策ではないように最近は感じますが、
当時私が誤解していたのだと思います。
(むしろ本来は「他人との関わり+自分自身との向き合い」があってこそ、
私自身、幸せを感じる傾向にあるからです)
そのため当時は、寂しさや苦しみが生まれている要因を重要視せず、
単に「人に好かれたい・認めてもらいたい」一心に、
行動をしていました。
仕事が休みの日も自分自身の休養ではなく、
知り合いや友人と過ごすことばかりを繰り返していました。
加えて私は「寂しさ」や「苦しみ」を強く感じる時は、
アクセサリーや食べ物、飲み物といった’物’で心を満たそうともしていました。

おそらく、上記過去を踏まえると私は当時、
自分自身を「受け止める、認めてあげる、無理をさせない、愛する」ことに、
意識がまったく行き届いていなかったのではないかなと思われます。

ヨガは正解・不正解、成功・失敗という概念ではなく、
常に練習・修行なのだ、という要素が強いですよね。

なので此度の私の気づきも、
他の方にとっては「合う合わない」があって当然だと思います。

ただ、今の私にとっては、
これらの学び・気づきがリアルタイムな進捗といったところです^^



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?