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【人に学ぶ】「やりたいから、好きだから、思いのままに」Part 1

IC業界には綺羅星のような存在が豊富ですが、中でもとびっきりキラキラ輝くお2人に話を聞きました。三井物産(株)で18年余りICの仕事に携わり、現在は複数の団体、企業の役員を務める菊地美佐子さんと、カルビー(株)の社内報編集長であり、同時に自身で起業した2社のマネジメントをする間瀬理恵 さとえさんです。それぞれのユニークなキャリアと、一貫してしたたかでしなやかな姿勢から大いに刺激を受けた私たちです。


【インタビュイーのお二人】

菊地 美佐子さん:学校法人聖路加国際大学 常勤監事、 (株)オカムラ、(株)コメリの社外取締役
↑ 間瀬理恵さん:カルビー株式会社 グループ広報部


広報から広がったキャリア

——それぞれ自己紹介をしていただけますか?

菊地:
三井物産に1984年に入社、鉄鉱石部に配属となり、3年半後の1987年に広報部に異動し、それから社内報『MBK Life』の編集制作に5年半ほど従事しました。その後、会社案内、企業広告などの対外広報に携わり、2001年からは編集制作室長という立場で社内報制作にも関わっていました。2006年にCSR推進部という新設部署でコーポレートブランド戦略室長として広報業務も継続した後に、2009年に広報業務から離れ、地球環境室長として全社の環境リスクマネジメントに従事しました。2015年に環境・社会貢献部長に、2018年の半ばから三井物産フォレストという社有林管理会社の社長を3年半務め、2022年に三井物産を定年退職しました。現在は3つの組織の役員を務めています。

編集制作室長時の菊地さん

間瀬:
出版社勤務を経て、2010年10月にカルビーに入社しました。それ以来、ずっと社内広報を担当し、14年目となります。
 食べることと飲むことが大好きなので、カルビーが食品メーカーでよかったなと思っています。また、2013年に自分で起こした飲食事業をメインとした会社が11期目を数えるところです。2021年にもう1社立ち上げジビエハンバーグを作っており、カルビーで会社員をやりつつ、2社の代表をしていることになります。カルビーの仕事を終えて、ディナータイムに店舗で接客することもあります。


グループ広報部 グループ広報課メンバーと(間瀬さんは中央)


広報は女性が働きやすい職場

——菊地さんは広報を離れて時間が経っていますが、キャリアの中では広報の時間は長いですよね。

菊地:
1987年から、かれこれ2009年まで。途中、出産・育児や新部署立上げで抜けはありますが結構長いですね。
 入社当時の三井物産は、女性は一般職、男性は総合職という時代でした。同期の男性は150人、女性は268人で短大卒が主流でした。ちなみに当時は、社内結婚はどちらかが会社を辞めるという不文律がありました。
 私は大学時代のアメリカ留学が大きく影響して世界と関わる仕事がしたいと総合商社に道を進めました。とは言え現実は厳しく、新人時代は毎朝、机の上の山盛りの灰皿を片付け、机を拭き、一人ひとりの好みに応じた飲み物をいれ、テレックスを各担当に仕分けるという仕事もありました。
 当時の鉄鉱石部の上司が、3年余りたった時に、「社内報担当者が会社を辞めることになった。やってみないか」と声をかけてくださって広報部に異動となりました。あの時に広報と出会ったことで、私の仕事人生は大きく変わりました。広報部では最初の5年半は2か月に1回発行する80〜100ページ超の社内報を、ほとんど全部1人で作っていました。社内報に対する社内の期待は非常に大きく、私が何もしなくても社内報に載せてくださいという依頼が来ていた時代でした。広報部に来るまで編集業務はド素人でしたが、無我夢中の毎日で大変やりがいのあった社内報制作時代だったと思います。

——お手本になる人や教えてくれる人もいないのに、初めての業務を1人でやっていたんですか?

菊地:
はい。残念ながら前任の方は2か月の引き継ぎ後、出産でお辞めになりましたが、その方につないでいただいた日本経営協会や日経連社内報センターで得た、社外ネットワークが非常に頼りになる存在でした。その時に分かったのは社内報を含め企業の広報業務は、会社が違っても共通する部分が多く、悩み、困りごと、企画のヒントなどを社内よりは、むしろ社外のネットワークと共有できるということです。今でも社内広報の仲間たちとのつながりは私の財産になっています。
 社内報の企画はいい意味でも悪い意味でも編集者にほぼ全権委任されている時代でした。いま考えると「こんなことを特集してもいいの?」という企画でさえ通ってしまうので、自分の興味・関心のある分野、私の場合は旅行だったので、国内外の支店スタッフから寄せられた自慢の観光スポットやグルメ情報を特集したり。時には、「ちょっとそこおかしくない?」という社内の疑問あるあるを特集したり。読者である社員に関心をもってもらえる企画を目指して、のびのびと編集していましたね。そんな調子で5年半もの間、社内報の編集に手ごたえを感じる日々を送っていました。
 広報に出会ったことで仕事人生が大きく変わったと言いましたが、当時の広報部は、他部署に比べて女性が活躍している部署でした。異動初日にびっくりしたのは、お腹が大きい方や子育てしながら頑張っている方がたくさんいらしたことです。先輩方が道を作ってくださったので、私も結婚しても出産しても辞めることなく、非常に働きやすい環境でした。

東証プライム上場以来注目企業になったカルビーで

——間瀬さんは、元々出版社で本を作っていらして編集の経験があり、そして食べることが好きなので、カルビーに入ったんですね?

間瀬:
最初は派遣社員でした。社内報を担当していた方が産休に入るので、1年間の代打の予定でした。それが、いまだにいます(笑)

——当時のカルビーはどんな感じでしたか?

間瀬:
カルビーは、私の入社前年の2009年に経営者が交代しました。ジョンソン&ジョンソンの元社長・松本晃(あきら)さんが会長、生え抜きの伊藤秀二が社長(現相談役)になってツートップ体制がスタートして、翌年に赤羽から東京駅に本社が移転しました。新オフィスはフリーアドレスで、当時は最先端だなぁと感じました。
 そして2011年3月11日、今で言う東証プライムに上場したんです。その日は東日本大震災があった日でした。午前中、東証で鐘を鳴らして、午後、さあ記者発表という直前にグラっときました。何とか記者発表を終えて外に出てみたら、建物のガラスは割れているし、テレビには大きな被害を受けた東北が映っていて…。カルビーも東北の営業所、茨城、栃木の工場が被災しました。本社では対策本部を立ち上げ、復興に向けて各拠点が様々な支援を行っていたのを覚えています。結局、カルビー上場のニュースは流れませんでしたが、上場の瞬間に立ち会えたのはラッキーだったと思います。

カルビー上場当日の電光掲示板
上場記者会見の受付(間瀬さんは左)

——それはすごい経験を…。カルビーという会社が変わりつつあるところで、間瀬さんは入社されたわけですね。

間瀬:
そうですね。そこから業績は好調、フリーアドレスでの働き方、ダイバーシティの推進などで、商品だけではなく企業として注目され出した気がします。
 そんな中、2012年にイントラネット(web社内報)をリニューアルしました。会長と社長のメッセージをブログ形式にして思いついたことを気軽に発信できるスタイルにしたところ、頻繁にアップデートされるので、人気コーナーとなりました。松本さんはタイトルも本文もキャッチーなものを書かれるので、PV数はどんどん伸びていきました。「いいね!」機能やコメント欄を設けて双方向のコミュニケーションが取れるようにしたことで、Web社内報が賞をいただきました。これによってカルビーのインターナルコミュニケーション(IC)も注目されるようになりました。

女性活躍のための仕組みと社外のネットワーク

——カルビーでも広報部は女性が多いですか?

間瀬:
男性5名に対し女性が12名です(2024年3月現在)。カルビーはそもそも男女数が半々の会社で、部署によって女性の多い少ないはあると思います。会社全体で女性の働きやすさを感じます。
 2010年4月にダイバーシティ委員会ができて「女性活躍」を推進したので、その後制度も充実しさらに働きやすい環境になりました。現在は「全員活躍」を推進しています。

——男女に限らず、制度は整っていても、上を目指そうという気持ちにはなかなかならないと思うんです。「やる気」を出させる仕組みがあるんですか?

間瀬:
研修、講座、情報交換会、フォーラムなどダイバーシティ関連のイベントは多数ありましたが、すぐに受け入れられたわけではありません。女性は誰も「工場長にはなりたくない」と思っていた時代でした。ですが、タイの女性工場長の講演を聴いたり、徐々に女性の管理職が増えていき、どんどんロールモデルができてくると自分もできるかなっていうふうに変わっていきました。今は女性の工場長が2名います。

——10年以上前の菊地さんのインタビュー記事を拝見したんですが、採用面接で「社長になりたい」とおっしゃったとか。その高いモチベーションは、幼少の頃からですか? 

菊地:
笑い話でその話をしているんですけど…(笑) 最終面接で「君はこの会社で将来何になりたい?」と言われ、思わず「社長になりたいです」って答えたら、大笑いされて、たぶんそれがおもしろがられて採用されたのではないかと思います。定年退職時の挨拶で「一応社長にはなったんですが関係会社でしたから、ちゃんと三井物産の社長って言っておけばよかった」と話したら、皆さんが大笑いしました。
 三井物産は2005年にダイバーシティ推進室を立上げ、両立支援制度の整備や企業内保育所の設置などの取り組みを開始しました。私はその一世代前なので(笑) 私が入社した時はガラスの天井どころかはっきりと見える天井があり、入社数年もすると多くの同期が社内結婚して会社を辞めていきました。私は働く母親の背中をずっと見てきたこともあり、結婚しても出産しても長く勤められるような仕事がしたいと思っていました。
 時代が変わり、2000年代の初め頃から、日本でも女性活用が非常に重要だという機運が起きました。当時、社長に直接現場の声を伝える手段として「CEOオンライン」というものがあり、それを提案したのは私自身なのですが、思い切って投稿しました。「このままだと三井物産の女性活用はまずいと思います」と。5分も経たずに当時の社長から「すぐ社長室に来て」と呼ばれ、面と向かって社長に「日本企業でも女性活用が真剣に論じ始められているのに、当社はこのままでいいのでしょうか?」というようなことを申し上げたところ、「まずいよね、それは。じゃあどうしたらいいと思う?」と聞かれ、「まずは女性活用を考える専任部署を立ち上げましょう」と提言したところ、それがきっかけとなってダイバーシティ推進室ができました。

——菊地さんがダイバーシティ推進室の室長に?

菊地:
いいえ、兼務メンバーとして入りました。当時、広報部の編集制作室長から新設のCSR推進部内のコーポレートブランド戦略室長への異動が決まっていたからです。

間瀬:
2005年の立ち上げは早いですね。カルビーはたまたまダイバーシティの先進企業みたいに言われていますが、三井物産のほうがずっと先だったんですね。

菊地:
立ち上げは早いですが、染み付いた男性中心社会なので、そこから今の状態までの歩みは遅かったですね。社内でも男性からも女性からも抵抗がありました。男女関係なく活躍できる組織風土になるのに、2005年からつい最近までかかった次第です。
 私は社内では「女性初」が付いてまわることが多く、どこに行っても、どの会議に出ても、男性の中にぽつんと1人で、「私、紅一点ですよ」って周囲の笑いを取っていたような時代でした。悩んだり行き詰まったりした時に助けやアドバイスをいただいていた、会社を越えた女性管理職のネットワークがとても重要でした。いまでも後輩女子には、一人で抱え込むのではなく、積極的に外とのコミュニケーションをとることを先輩としてアドバイスしています。

——間瀬さんも社外の方との交流はたくさんありますか?

間瀬:
社内広報に関しては頻繁に交流していますね。行き詰まると「他社に聞こう」っていう感じです。逆に他社からアプローチされることも多いです。
 この人に聞けばいいと決めているわけではなく、この案件ならこの企業が進んでいるなど、情報を得てアプローチしています。私の周りには、すてきな広報女子がたくさんいらして、その方たちから学ぶこともいっぱいあります。大手町にある私の店(※)で女子会を開催することもあります。菊地さんもそのメンバーですよ。


広報女子会@間瀬さんのお店「トースティ”専門店 Looking Good

菊地:
そうです。ただ、私はあんまり性別に関係なく幅広いネットワークを持っているかもしれない。
 よく夫に冗談で、「今、私は第2モテ期かも!?」って言うんですが、男性陣と飲みに行く機会も非常に多いです。違った考え方を学ぶ機会としてとても楽しみにしています。

次回、Part 2 では、お二人のインターナル・コミュニケーション(IC)に対する考え方に迫ります。

まとめ:藤野まゆみ コグレリョウヘイ


この記事について

“ざわざわ”は、ツールの使い方や社内コミュニケーションの最適解を教え合う場ではありません。道具が多少足りなくても、できることはないか?姿勢や考え方のようなものを「実務」と「経営」の両面から語り合い、共有する場です。

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