見出し画像

マリーはなぜ泣く⑩~ 風の中のマリー~

前回のあらすじ:「なにか経験値の上がることをしたい」と思い迷走していた主人公哲ちゃんは、彼女と結婚するという行動に出る。そして彼女との出会いを回想しだした。【これまでのお話https://note.com/zariganisyobou/m/m1008d63186fe

 店員が接客を放棄した代わりに、家庭用ゲーム機を置いてある店に入り、大籠包はビール。俺はコークハイを頼んだ。素知らぬ顔してレトロなゲーム機のカセットを選んでいる内に、満里と連れの女が俺たちに気づき、ヒソヒソと話しているのが分かった。女にはシャイな大籠包がステージ上でのキャラクターそのままに、

「やあ、ねぇさんたち、さっきのよく笑う子たちやないか」と声を掛けた。

 俺は満里とバナナの皮や亀の甲羅で相手の邪魔をしながら競うレースゲームをやった。「これは飲酒運転になるんかな」というしょうもない発言で彼女は笑った。半年前に山陽から就職で大阪に出てきたばかりだと言った。元々お笑いが好きで、ずっと劇場に行ってみたかったらしい。地元の友達が遊びに来たのを理由に今日は二人で劇場を見て回る日にしたとのことだった。

「最初は花月で新喜劇を見ようかと思ったけど、チケットが高かったから、他の劇場を回ることにしたの。でもそれで良かった」と彼女は言った。

 二件目に古くて良いロックを流す音楽バーに行ったときに、大籠包が、
「なにかやれ」と店に置いているギターを指して俺に言った。急に格好つけるみたいで嫌だったが、満里たちにもせがまれたので、
「一曲だけ」と前置きして、彼女の名前に引っかけて『風の中のマリー』を弾き語った。俺の素性を知らない満里と連れは、思っていたよりも堂に入った演奏に驚いた顔をした。

 聞き終えたあと、満里が、
「なんでマリーは泣いているの?」と言った瞬間、俺の中で彼女が、ゲラで愛嬌のある女から、特別な存在に変わった。


 売れない芸人で、そこらに掃いて捨てるほどいるバンドマンで、フリーターである俺からの素っ気ないプロポーズを満里は快諾した。大した女だと思った。

 十四才の時に、親父にねだってギターを買ってもらった。その時に、大人になっても、「タトゥーは入れない」「ドラッグもやらない」という約束をした。結婚してみて分かったことがある。ミュージシャンとしても芸人としても、のどかな環境で育ちすぎた俺にはむしろ、家庭を持つという経験は自分の平凡さを思い起こさせる要因になった。満里がお笑い好きで、俺たちのファンでなければ、俺は大籠包を残し、先代の小籠包と同じように、依然停泊中の船から下りていただろう。

 結婚で牙を抜かれた俺と、もはやなんのためにお笑いを志したのかすら思い出せない大籠包を乗せた船が、再び進み始めるのは、それから四年もあとだった。

 俺は先代が、「生き方を変えないと、あとの人生は泥沼だ」といい辞めていった歳と同じ、三十二になっていて、大籠包はその肥満した体を、もうすっかりと腰まで泥沼に沈めていた。満里は一年に十キロずつ。四年間の間に四十キロも太っていた。俺はデブと相方になる運命を持っているようだった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?