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バックパッカーズ・ゲストハウス(53)「鍋をもらう」

前回のあらすじ:龍は新宿から姿を消し、彼を探す人々は何か手がかりが無いかと私に連絡をよこした。その中に、私が手作りした同人誌を買ってくれた龍の客がいた。【これまでのお話https://note.com/zariganisyobou/m/mf252844bf4f2


 ある日、当時やっていたブログに、
「ゲストハウスの共有部分に置いていた鍋が無くなった」という事件を書くと、その女から、

「使っていない鍋があるから渡したい」とメールが来た。かなり強引で、
「今日の何時に秋葉原駅に行く」というようなことが書いていた。

 店やライブハウスで何度も顔を合わせ面識はあったが、こういう状況で会うのはどうしたものかなと躊躇した。
 龍にどうして欲しいか確認しようと思ったが、電話は繋がらず、とりあえず駅に様子を見に行った。デパートの化粧品売り場で働いている、背の高い女が、秋葉原の駅前で、鍋の取っ手が飛び出た紙袋を持って立っている姿は浮いていた。

 一〇〇均で買ったペラペラで何度か使っただけで取っ手の部分が炭化してくるような鍋と比べると、彼女がくれた鍋は一〇〇倍上等だった。おまけに紙袋の中には、インスタントの味噌汁も入っていた。人の善意だけで生きていけるんじゃないかという気持ちになった。

 その後もちょこちょこ彼女は連絡を寄越し、たまに鍋を持ってきたとき同様、我慢できずに秋葉原か御徒町まで押しかけて来た。
 覚えているのは、ファミレスよりも少しグレードの高いチェーンのレストランで晩飯を奢ってもらったときに、席へ着くときの私の振る舞いをみて、
「モテんやろ。そううとこやで、エスコートする気ゼロやん」と言われたこと。それと、
「職場の近くのパン屋で調子に乗ってパンを買いすぎたから貰って欲しい」と明らかに全部二つずつ買ったパンの半分をくれたこと。私が一杯一〇〇円で飲める立ち飲み屋を教えてやったこと。ある日、
「パソコンが壊れたから、Macを見に行きたい」と電気街に付き合ってくれと頼まれた。
 その時はメイドの群れを見て、「萌ーや」とデカい声で感動していたのと、電気屋で関西圏に住んでいた人間独特の、東京の人と話すときに普段より関西弁が強調されるという特徴が出ていた。そんなことがあったのを覚えている。

 たぶんそれが彼女が押しかけてきたのの全部だろう。私は連絡が来ても押しかけてきても、他の人間から連絡が来たとき同様すべて、龍に報告し、龍はいつも、「上手いことやってくれ」と投げた。

 私も彼女も、龍の話は殆どしなかった。彼女はただ、私の向こうに龍を感じたかったんだと思う。面倒くさくなって、私に避けられるようになる質問や会話はしないように決めていたんじゃないだろうか。
 美人で私に対してではなく、龍に対しての気持ちから来るものだろうが優しかった。ただ彼女の罪はホストに惚れすぎたこと。ホストに惚れるのは女の罪だ。
 ホスト自体が罪かも知れないが、それなら砂糖の塊も罪だ。なんでも過剰なのは良くない。

 最終的に帽子も被れず、ガーメントを着る嵌めになりたくなかったら、悪いものを排除するより、自制するしかない。

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