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バックパッカーズ・ゲストハウス(64)「道は聞かれない」

前回のあらすじ:後楽園の場外馬券場でダービーを観戦し、見事な馬券戦術で負けを回避した。【これまでのお話https://note.com/zariganisyobou/m/mf252844bf4f2

 東京でおこなったギャンブルはこれだけ。愛媛を発つまでは、競輪に手を出していたが、東京滞在中はまったくやらなかった。新宿から姿を消した龍が立川方面に住んでいたので遊びに行ったことがある。そう遠くない距離に、競輪聖地のひとつ『立川競輪場』があったが、それでもどういう分けか気は惹かれなかった。

 同じ東京といえども、立川は秋葉原から電車で一時間ほど掛かり、駅ではリーゼントの不良を見た。立川の方で龍とあったときも、まだ日のある内だった。作業着姿で向かえに来た彼の運転する自転車に二人乗りして、駅から大分遠い龍とパンクの住みかに一旦行った。

 そこで龍が着替えている間に、私はパンクに挨拶をして、すぐに横田基地からさほど離れていないスーパー銭湯に男二人で行った。
 風呂に入って、館内着で食堂の飯を食っていると、背の高い龍と顔の濃い私たちは食堂のオバサンに、「あんたら米軍の人か?」と聞かれた。龍はわざと下手くそな日本語で、「通信兵だ」というようなことを説明し、私は日本語が分からない振りをした。
 見た目も生活も派手だった彼は、肉体労働をして、銭湯に入って友達と飯を食って家へ帰る。そういう生活で今は満ち足りているようだった。

 東京での生活に終わりが見えてきてようやく、旅人とはなにかと疑問に思い、ジャック・ケルアックの、「路上」を読もうと図書館へ行って借りたが、結局途中までしか読まずに返却期限にキッチリ返した。
 東京とはなにかと思い、よる不意に東京タワーを見に行ったりもした。その帰りに知らないオヤジに声を掛けられ、

「横浜まで帰りたいけど、足をくじいてしまい、こうやって引きずりながら歩いております。電車賃のカンパを皆様にお願いしているのですが」と話しかけられた。オヤジの息は酒の匂いがした。見せられた皆様からのカンパは、小銭ばかりとはいえ、私の手持ちより多いように見えたので、私はカンパを断った。

 東京では道を尋ねようにも無視されるなんてことを聞いていたが、東京滞在中、路上で声を掛けられても道を尋ねられたのは、御徒町の一件だけで、あとは画廊のキャッチセールスだったり、宗教の勧誘だったり、金持ちの物乞いだったりそんなのばかりだった。東京で声を掛けてくるヤツは迷子よりも、面倒くさいヤツの方が何倍も多いと知った。

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