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マリーはなぜ泣く⑯~Wonderful Tonight~

「良かった」顔を合わせる人みんなそう言ってくれた。中には、「今日の出演者の中で一番良かった」と言ってくれる人もいた。リハーサルまでとはうって変わって、打ち上げの時には、周りが一目置いてくれているように感じた。悪い気はしなかったが、前日ほど深酒はせずに、

「こんな楽しい夜に、ひとりホテルの部屋に帰って寝るんは寂しいんや」と管を巻く大籠包を残し、そこそこで切り上げて、満里と一緒にホテルへ帰った。別れ際、伊東さんは、

「明日見送りに行く」と言ってくれたが、
「早い時間のバスで帰るから、来なくていい」と断り、聞かれたが、知ればわざわざ来ると思い、バスの時刻も教えなかった。

「いいライブが出来たせいか、テンションが上がってる。今日言うのが一番いいと思うんだ。今夜彼女にプロポーズするよ」伊東さんはそういった。「頑張れよ」と思ったが、言葉には出さなかった。ただ頷いた。

 俺たちのファンだった例のボーカルが見送りに来てくれた。その時に、今日のライブの音源を焼いたCDをくれた。
「自分が持って帰る分のCDにサインをして欲しい」と言われたので、俺と伊東さんは、十数年振りに、一枚のCDに二人でサインをした。

「僕のサインはいらないですか?」俺に渡したCDを見ながら彼が言うので、
「いらねぇよ、サインなんか」とあしらうと、
「やっぱロックだ」と、とても喜んでくれた。

 夜の風景を眺めながら、ゆっくりとホテルまで歩いた。その途中で不意に気づいた。俺はこの街に、たった四年半しか住んでいない。大阪での生活は、その倍以上になる。生まれ、十八まで過ごした田舎町から大阪に行くまでの道すがら、たまたま通りかかった街。そういう場所を俺はどういう訳か、まるで地元だと思い込んでいる。

 
 チェックアウトの時間までに、昨日も深酒をした大籠包を起こさなければいけないと思っていたが、そんな心配は必要無かった。俺が朝食を食べるため食堂に下りると、大籠包と満里はすでに二杯目の米に手を付けていた。伊東さんには早い時間と言ったが、実際にはそこまで早くない十時十五分のバスに乗るために停留所へ向うと、すでに伊東さんが俺たちを待っていた。

「なんだよ、見送りに来たのかよ!?」
「昨日、大籠包がバスの時間を教えてくれたよ」
「わざわざ、来なくても良かったのに」
「まあ、次会えるのがいつになるか分からないし、せっかくだから」そう言うと伊東さんは、バス停の前にあるコンビニで買った、松山の土産を俺たち夫婦と大籠包に渡してくれた。

「ありがとう」そう言った後、お互いに喋ることを探して一瞬沈黙になった。

「このあと、彼女とキラキラした物を選びに行くよ」伊東さんの報告に俺は笑った。

「じゃあ、次戻ってくるのは、伊東さんの結婚式だな」そう言うと、伊東さんは照れくさそうに、
「いや、まあ結婚式するかどうかは分かんないし、とりあえず結婚を前提にって形だけで、この先どうなるか分からないし」とゴニョゴニョ喋った。
 バスが見えると、

「二人の姿を、テレビで見るの楽しみにしてるよ」伊東さんは、言葉をそう締めくくった。
「任しておくれやす」と大籠包の気楽な答えに、
「ちなみに僕は二回、ゴールデンに名前が出てるから」と伊東さんが指を二本立てながら返し、それが、「じゃあまたね」の言葉代わりになった。



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