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『lemon』と『君の膵臓をたべたい』感想の補足、他者との共存について

 昨年末、坐禅関係で知り合った尊敬する友人と話している時に、話題の中でnoteにできそうなテーマが思い浮かんだので、今回は『君の膵臓をたべたい』のnoteで書き残したことについて『lemon』を中心に補足します。
まずは、2010年代トップJ-popのひとつに間違いなく入る名曲、米津玄師『lemon』を手掛かりに話をすすめていきましょう。



 私は米津玄師さんに特別詳しいわけではないのですが(「げんし」と呼んで「けんし」と訂正されてしまったこともある)、何曲か聴いてみて、J-popには珍しく詩的な歌詞が特徴の曲を作られる方、という印象があります。思春期にニコ動に入り浸っていた人間としては、ニコ動で聴いたことある声の人だ!というのが本当の第一印象ですが・・・( ´∀` )。かつて歌い手と呼ばれる人たちが歌手としてメジャーデビューした例は数多くあると思いますが、米津さんのように今でも第一線で活躍されている方は、ほとんどいないのかもしれません。話を『lemon』に戻しますが、この曲も実際、直接的な表現が少ない含蓄溢れる歌詞が特徴と言っていいでしょう。今更説明をする必要もないほどの超有名J-popソングだとは思いますが、すごーく雑に要約すると、「大切な人の喪失の悲しさとその光」をテーマにした歌、そう言っていいでしょう。実際、製作インタビューでもご本人からそのような話をされていますし、歌詞を見てもそのことは一目瞭然です(下参照)。
 なぜ今回この曲をテーマに選んだかというと、先日たまたまこの曲を聴いたとき、思わず感動してしまったからです。その感動ポイントは後で詳しく見ていきますが、作家の辻村深月さんの言葉を拝借して感動ポイントを表現すると、(小説のあとがきで次のような発言をしていた)「(ただの読者の誤解であるという前提の上で)まさに"私の為に書かれた小説だ!"、というそんな読書体験こそが私を救ってくれた」J-pop版ということです。そして、これこそが、この曲が大ヒットした(執筆時点でYouTubeで8億回再生を超える)所以でもあるはずです。実際、リンク記事にある米津さんのインタビューでも普遍的なものを語ることができた曲に仕上がった、という力強い言葉がありました。
 ということで、『lemon』の歌詞をみてみましょう。


夢ならばどれほどよかったでしょう
未だにあなたのことを夢にみる
忘れた物を取りに帰るように
古びた思い出の埃を払う
戻らない幸せがあることを 最後にあなたが教えてくれた
言えずに隠してた昏い過去も あなたがいなきゃ永遠に昏いまま
きっともうこれ以上 
傷つくことなど ありはしないとわかっている

あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ
そのすべてを愛してた 
あなたとともに
胸に残り離れない 苦いレモンの匂い
雨が降り止むまでは帰れない 今でもあなたはわたしの光


暗闇であなたの背をなぞった
その輪郭を鮮明に覚えている
受け止めきれないものと出会うたび 溢れてやまないのは涙だけ
何をしていたの 何を見ていたの
わたしの知らない横顔で どこかであなたが今 
わたしと同じ様な 涙にくれ 淋しさの中にいるなら
わたしのことなどどうか 忘れてください そんなことを心から願うほどに 今でもあなたはわたしの光

自分が思うより 恋をしていたあなたに
あれから思うように 息ができない
あんなに側にいたのに まるで嘘みたい とても忘れられない
それだけが確か

あの日の悲しみさえ 
あの日の苦しみさえ そのすべてを愛してた 
あなたとともに
胸に残り離れない 苦いレモンの匂い
雨が降り止むまでは帰れない 切り分けた果実の片方の様に
今でもあなたはわたしの光

米津玄師『lemon』歌詞 

 以前、『君の膵臓をたべたい』(実写版)の感想noteを書きましたが、この『lemon』がテーマソングなのでは?というほどピッタリな歌詞だと思うのは私だけでしょうか。特に太字で引用している部分は、志賀春樹(これより僕と呼称)が山内桜良(これより桜良と呼称)の「死を受容する過程」、そして12年後の僕が一歩踏み出すきっかけとなった桜良との「想い出」とピタリと一致します。唯一明確に違うところは、『君の膵臓をたべたい』(実写版)においては、桜良との過去を受け止めきれない(トラウマ)から「涙」も出せなかった僕が、その出来事を受容できるようになってきたからこそ、12年後に自室で涙を流したことくらいでしょうか。一方の『lemon』では、「受け止めきれないものと出会うたび 溢れてやまないのは涙だけ」という表現となっています。過去にこんなnoteを書いたとおり、人が涙を流すことができるということは、その対象について一定程度は受け止めることができている証拠であるように、思います(全てがそうであるとは言いません)。つまり、当人にとって自らを形成している一要素となっていると言ってもいいような、そういった水準の存在である「親密な他者」の喪失というのは、自らの殻(ここには親密な存在も含む)が崩れることを受け入れていなければ、涙を流すことはできないということです(くどいようですが、完全にその出来事を受け止めているとは限りません)。(私が仏教に全く興味がなかった15年ほど前、天災でパートナーを亡くした若い男性がその出来事の衝撃さを受け止められないが故に、まるで他人事のように淡々とその出来事を(南直哉和尚に)語ったことを、何かの番組で見た記憶がありますが、まさに『君の膵臓をたべたい』における12年後の僕(終盤前まで)もそういった状況だったのでしょう。
 前回の『君の膵臓をたべたい』のnoteで言及できなかったあの映画の出色している点は、僕が過去の自分と似たような存在(男子生徒)に自身のトラウマ(他者の喪失)を語る行為を通して、過去を克服する(受け入れる)ことであり、これが意味するのは、こうした行為”それ自体”が現在の肯定(それが過去の肯定にも繋がる)になり、さらには次世代(男子生徒)への橋渡しとなっていることです。こうした自らを「救う」行為が、同時に次世代を導くことにつながる、これは人と人が関わることの可能性の価値を示しており、私としてはそこに人間の美しさを見出さずにはいられません。また、(自らとは異なるという意味で)異質な存在である他者を媒介することによって生じる過去の体験に対する「距離間」が、僕が桜良との体験を俯瞰的に振り返ることを可能にさせたのであり(もちろん、「時間」もその側面をもちます)、こうした異質な他者の存在が持つ「価値」についても改めて考えさせられるものです。少し抽象的な表現になってしまいました。こう言い換えてもいいでしょう。必ずしも同じ文脈を共有する存在でなくとも、つまり、互いに深く理解し合えているわけではない存在(=他者)に”しか”第三者に影響を及ぼすことができない性質のものがあり、これがいかに稀有なことか、ということです。
 現代においては、私たちは他者とのかかわりについて、これとは逆方向でとらえている傾向があります。それは、いかに自分と他者とで意見を共有し、共通の見解を持つか、という方向であり、残念ながらこの可能性の限界を、これでもかと痛感させられている時代が現代でしょう。もちろんこれにも理由はあり、インターネットの負の側面をこれでもかと見せつけられている現代において、(ネットの可能性を無邪気に信じていた時の反省を踏まえ)翻って、私たちはリアルで話し合い、わかり合うことの重要さを再認識させられたという大きな流れがもたらした帰結であり、これは避けられない側面もあったことでしょう。この茨の道がもたらした現在までの帰結は、「それってあなたの感想ですよね」や「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」というネットミームに代表される「コミュニケーション不全」であり、何たる皮肉か、と思わずため息がでるものです。これらのネットミームが実際に示していることは、もはや他者とのコミュニケーションへの敗北宣言と言っても過言ではないでしょう。少し意地の悪い言い方をすると、私のような立場の人間からすれば、私とは決定的に異なる存在の他者であるからこそ、交流する「価値」があるというのに、そんな当たり前のことを捨て台詞のように吐くのは、さっぱりわからないというのが正直なところです。既に述べたように、こうした流れが生じたのもある程度は仕方がなく、一度負けたら(≒レールから降りたら)もう立ち直ることはできないという社会に漂う空気がそうさせているかもしれません(そして、そうした雰囲気を作り上げているのも私たちでしょう)。
 ここでようやく話が戻ってきますが、こうした背景を踏まえても、他者という存在を媒介することで"しか"見えないものがある、という方向で他者との共存の価値を示していくことの方が、他者理解の方向としては筋がいいように思います(今回は深入りしませんが、私個人としてはこの方向で"しか"、他者と理解し合うというのは不可能ではないか、という気もします)。
『君の膵臓をたべたい』に関連して言えば、特定の深い関係を構築可能な他者であれば(例:性愛)、私と他者の境界がなくなるような、そうした同一化的な意味で互いを理解することはできるでしょうが、そんな関係を築くことが可能な相手は限られています。やはり、「この道には限界がある(少なくとも、万人に勧められる道ではなくなっている)」私としてはそう思ってしまいます。時代的にも、若年層になるほど人と深い関係を築かなくなっていることを踏まえれば、現在の方向以外で他者とどう付き合っていくのか、真剣に検討する必要があるはずでしょう。そして、この問題意識は近い世代の対話でも感じるところですし、『葬送のフリーレン』のような優れた作品からも同じような問題意識を強烈に感じとることができます。

 

 話を『lemon』に戻しますが、「切り分けた果実の片方の様に 今でもあなたはわたしの光」の部分はなんと美しいフレーズでしょうか。何度聴いてもこの部分には鳥肌がたってしまいます。
 このフレーズはlemonが米津さんにとっての祖父であるたとえになっていると思いますが、彼にとっての半身であるような(祖父=lemon)が欠けた辛さを伝えながら、同時にそのlemonこそがまるで太陽であるかのように私を照らしてくれてもいる(半分に割ったlemonも太陽のような表情をしている)、という「喪失と光」の相反する人間の複雑な感情を見事に表現しているこの歌詞には、思わず唸ってしまいます。


太陽のような表情を見せる半分に割ったlemon


 この「喪失と光」は、『君の膵臓をたべたい』における僕にとっての桜良の存在ともピタリと一致します。何よりも、このような体験は多くの人にとってなじみのある話でしょう。ある程度の年月を生きていれば、自分に近い存在の誰かを亡くす経験は誰だってしていることです。近しい他者の存在が死後により大きくなっていくのも、多くの人になじみ深いことでしょう。
 ここで個人的に関心があるのは、他者の存在が消滅したことによって、当人にとってその「意味(価値)」がより強固になっていく点です。よくよく考えてみると、これに関しては本当に不思議な現象です。おそらく私たちが「死」というものに特殊な価値を置いていることも、この理由である気がしますが、それだけでもないような感じがします。というよりも、私たちが「死」を特殊なものとして価値づけるその要因となっているものについて、私たちはあまり自覚できていないのではないか、と言った方が正確でしょうか。
 道徳や倫理といった話の文脈を放棄して考えてみると、人間は誰だって「生まれた瞬間に死ぬ定め」であり、そんなことは小学生のある段階までいけば、みんな知っていることです。しかしながら、それにもかかわらず、私たちは寿命の長短に関係なく、他者の「死」について非常に重く受け止めてしまいます。冷静に考えると、とても不思議なことです。もちろん、上述したように、自らを形成する一部となっているようなレベルでの(より正確には、そう感じてしまう)親密な他者の喪失というのは、(言葉は悪いですが)まるで自らのピースが欠けたように感じられ、その意味で非常に大きな意味を持つことになります。しかし、恐らくそれだけが大きな理由ではないはずです(大事なことなので、何度でも)。
 生者にとって他者の存在というのは、その可能性が完全に終了した後(死後)に、大きな意味(価値)を与えます。その理由を考えてみると、他者がその人生を完結した後に、「他者」がどういった存在であったのか、「私」の記憶の中において回想(解釈)が切実なものとして始まり、この反復によって過去の出来事の意味(価値)をより強固にし、この行為が「私」にとっての「他者」の存在をより大きくさせるからでしょう。これは、生前での他者との交流、その時間の長さといった蓄積を遥かに凌駕する力をもち(冷静に考えるとすごいことです)、語弊を恐れず言えば、私たちはこの時はじめて「他者」と向き合うことが可能になる側面がある、と個人的に考えています。もちろん反論としては、「リアルで話し合うことが大事なんだ!(それこそが、本物である)」ということが想定されますが、上掲のとおり、この方向では限界があるでしょう。それができていれば、現在のような状況にはなっていないのであり、それ以外の道を模索する重要性を真剣に考える必要があるはずです。
 完結前(生前)の存在としての他者は、とめどなく変化する存在ゆえに、その存在を固定することはできません。固定されることのない、自らの予想を超えてくる存在(例:思いもしなかったことを発言する、行動する)である他者について、私たちはどうしてもどこか手探りで交流している部分があります。それは対面という場であっても同様のことです。いや、むしろ対面という距離感で会話するからこそ、その他者のわからなさ(可変性)というのはより鮮明に浮き彫りになります。だからこそ、信頼する他人が私たちの予想を超えた言動をした際に、「あの人があんなことするなんて・・・」という反応が生じるわけです。
 しかし、記憶の中における死後の「他者」との対話においては、「他者」は(「他者」自身が、もはや新しい何かを生み出さないという意味で)「私」にとって固定された存在となり、その固定された存在について、「私」は遡及的に他者のパーソナリティ(人格)の解釈を行います。こうして、そこで始めて「私」にとっても他者がどういった存在であったのか、という解釈が可能になります。つまり、「私」が他者を"固定化"する作業を始めるわけです。もちろん、過去の存在となった「他者」と向き合うのには、ある程度の時間が必要なのは言うまでもありません。そして、死後の「他者」と向き合うためにも、別の他者の存在が必要であることは、既に述べた通りです(例:僕と桜良の関係に対する男子生徒。フリーレンとヒンメルの関係に対するフェルン、シュタルク)。そして、この意味でも生前の他者は「私」にとっても重要な存在となるわけです(大事なことは、何度でも)。
 こうして記憶の中において、過去となった「他者」の存在を反芻する中で、自らにとっての「他者」の存在を固定化し、固定化された「他者」は「私」にとってその存在感が増大していく。これはカッコよく言い換えれば、「私」による死後の「他者」を再解釈する行為といってもいいでしょう。さらに、場合によっては、「私」の生前の他者への評価とは大きく変わることもあります(プラス、マイナス両方の可能性があるでしょう)。プラスの実例としては、武田鉄矢さんの父親に対する想いがまさに当てはまるでしょう。


 以前noteにも書きましたが、ある限界の中で生まれる別の可能性というものは確かにあり、これもその「可能性の光」の例のひとつです。こうした観点からも、私個人としては「死」をネガティブなものだけとして捉えることはしない/できないのですが、この辺りは人によって本当に大きく判断が分かれるところでしょう。



 SNSを見れば、社会での制約が高まったがゆえに(「ポリコレ」のネガティブな部分)、人々の欲望が良くも悪くも駄々洩れであり、その欲望の中身を見てみると、ほとんどの人が自らと異なる意見である人の話を聞くどころか、本心ではその意見を潰すことに快感を見出し、日夜、勢力戦争に熱心に励んでいます(上掲のネットミームもこの事例のひとつでしょう)。もはや生きている間に、「お互い話し合って理解を深めよう」なんていうのは幻想に近いと、誰もが内心感づいているはずです。実際、ほとんどの現代人は、内心ではこのことをあきらめている雰囲気が漂っている気がするのは、私だけでしょうか。そうであるならば、やはり別の手段を考えなければいけない、ということで先ほどのような他者理解の話を持ち出したわけです。
 だからこそ、新たなナラティブとして、私たちは死後に「他者」とわかり合うことができる物語を積極的に打ち出していくのは、「価値」がある気がします。実際、近い人間であればあるほど、死後に「他者」の存在感が増すことは、珍しくないことです。まさにそれが「宗教」の役割なのでは、という話ですが、日本人の宗教嫌いを踏まえると、やはり「宗教」の名前を用いない「何か」を作る必要がありそうです(もちろん、既存の宗教も大きな力を与えることができるはずです)。また、私の他者理解の話にもツッコミどころはたくさんあり、哲学的な表現をすれば、「それはもはや絶対的な他者ではなく、あなたの「観念」が作りだしている想像上の「他者」と対話しているに過ぎませんよね(笑)」といわれても仕方ないものです(これを自慰行為と言ってもいい)。しかしながら、何度も言うようにそれ以外で他者理解が可能なのですか、というのがこれまで述べたとおり、私の偽らざる本音です。そういえば、こうした問題意識があるがゆえに、過去にこんなポストをしたのでした。



 いかにして異質な存在である他者と共存できる場所を整備していくのか、が大きな課題となっていると思いますが、他者との関係のハードルを上げすぎた現代においては、プライベートでこういった場を作るのはかなり難しいのが現実です。その意味でも、かつて会社などの場所が旧来のイエ制度を保っていたことの意義については、そのデメリットも十分承知の上で、よくできていたのだなと思ってしまいます。私はその時代をリアルで体験できてはいませんが、『私をスキーに連れてって』のような作品をみると、その時代の雰囲気(バブル)と場の強制力のもたらす好影響について思いを馳せるものがあります。この作品を鑑賞した時も思いましたが、当時の時代のある側面(≒雰囲気)を確実に捕えており、同時にこうした環境がいかに「価値」あるものであったか、失ってから気づく私たちの愚かさに思わず嘆きたくなるものです。そうは言いながらも、スピッツさんが『愛の言葉』で「くだらない話で やすらげる僕らは その愚かさこそが 何よりの宝物」といったように、この私たちの「どうしようもない愚かさ」こそが、愛おしさなるものを生み出しているのかもしれません。そしてこうした「憐憫の情」は、差別といったものとも近いところに位置しています。このことも忘れてはならないでしょう(しかし、現代ではこの文脈を強調しすぎて動けなくなっている(雁字搦めになっている)側面が強い気もします)。


 私が最近参加している摂心のような場は、それぞれに固有の事情はありながらも(思想信条も様々でしょう)、とにかく長時間(数日間)他人と一緒に坐る(会話もない)わけですから、まさに理想の空間と言えるでしょう。実際、摂心後の皆さんとの会話はとても楽しく充実感に溢れています。何よりも、こうした活動を数年単位で継続して主催している仏教のアレ編集部のお二人、仏教徒ちゃんこと堀部遊民和尚には、改めて尊敬の念を禁じ得ません。こうした場が少しでも継続できるように、参禅者による協力は必ず必要でしょう。私にできることは、ただ文章を書くことくらいですが・・・。

そして、遊心さんがたびたび仰っている「人と一緒に坐りましょうね」という言葉の意味についても、私がこれまで述べたような枠組みで理解しています(大きく外れていたらごめんなさい)。



 プライベートに限らず、会社でもこういった他者との強制力のある場をつくることは同様に可能ですが、こちらに関しては最早崩壊しつつあることは既に述べた通りです。こういった問題意識もあって、Xでは大人気のイーロン・マスクさんも、出社義務を課したのでしょう
 実際、思想信条が近いもの同士の集団(これは、政治団体に限らない)が、内ゲバで崩壊していく様を何度も見てきたことを踏まえると、そうしたもの"だけ"で繋がることの限界を感じずにはいられません。そして、以前TLでみた鈴木おさむさんの結婚事例を踏まえても、自律した個人同士がある程度の時間を過ごせば、相手に対する「尊敬」は必然的に生じる方向に可能性を見出したくなります。ただ、こう言えば理想的なのですが、実際彼のような行動を起こし、他者との強制力のある共存の場を作ろうとすれば、現代においてはそれなりの覚悟がないと厳しいでしょう。理由を語るのも辟易するところですが、こうした行動に対して脚を引っ張る言動にかけては、天才的な力を発揮するのがSNSであり(そして、これは現代日本人の性といってもいいかもしれません)、これに踊らされない覚悟が要求されます。特に私のような軟弱者のキョロ充は、簡単には屈しないために仲間の存在が必要であり、そこでは理念だけではない「何か」をクッションとして繋がっていることが必要である気がします。この意味でも、「摂心参禅者には謎の信頼感がある」という遊心さんの言葉には、個人的にも深く同意するところです。念の為、付言しますが、こうしたクッションは別に坐禅・瞑想に限らずなんでもいいでしょう。Xをみると英語学習もその一つとしていい効果を出しているように見えます。よく「TOEICにいつまで固執しているんだ」、と馬鹿にしているポストを見ることがありますが、その度に「彼らが作り上げているコミュニティーがいかに稀有なもの(有意義)であるか、冷静に考えたことはありますか?」と問うてみたくなります。そのくらい、場を作ることが難しいのが現代という時代である、というのが私の認識です。




 またしても長い文章になってしまいましたが、しばらく文章を書く機会もなくなるので、今私が考えていることについて雑多に文章にしてみました。なんだか偉そうな感じの文章になってしまいましたが、この1年間noteを書く中で、私の関心が「他者」とどう向き合うのか、「救い」とはなんであるか、といったものにあることに気がつきました。それも、こうして文章を細々と書いてきたおかげでしょう。細々ながら続けてきてよかった(^▽^)/
かつての私は「他者」に全く関心が持てなかったですが(そもそも自分のことで精一杯であった)、私も多少は成長しているということでしょうか。結論のない文章となってしまいましたが、ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。本エントリーが少しでも何かを考えるきっかけの種を与えられたならば、これ以上の喜びはありません。


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