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「可能性」の価値とその光について〜二人のプロ野球選手から〜


  

 前置き

 
 2023年11月6日。ついひと月前のことです。皆さんは何を思い浮かべますか。この数字を聞いただけで、ある球団の野球ファンはその興奮を抑えきれることはできないはずです。・・・そうです、阪神タイガースが38年ぶりに日本一になったあの日(アレのアレ)のことです。冒頭から勿体ぶるようなもの言いをしましたが、この程度のことなら阪神ファンの方でなくとも、野球ファンならばご存知の方も多いでしょう。では、その2023年11月6日、この時の阪神タイガースの先発投手を覚えていますか?
ここまで突っ込むと、阪神ファン以外の方だと覚えている人も少ないでしょう。そうです、青柳晃洋こうよう選手(これより青柳選手と呼称)です。38年ぶりの日本一(1985年の岡田、掛布、バース以来)を決める大一番、日本シリーズの最終戦(第7戦)、勝てば日本一、負ければ敗退というその年のプロ野球で最も緊張する場面(しかも彼にとって今年はじめてのオリックス戦でもある)、そこでPS(ポストシーズン)で一度も先発していなかった青柳選手がその大役を務めたのです。さらに、12球団随一のリリーフ投手が後ろに揃っている阪神ならば言わずもがな、自らの役割の重さというものは「これでもか!」と感じていたはずです。
 こうした極限の舞台において、5回途中無失点で切り抜けた彼の貢献は、とても大きいものでした。さらに、ここ数年阪神のエースとして活躍していたものの、今年はチームの好成績とは裏腹に自身の成績が振るわなかったことを踏まえれば(下段画像参照)、彼のその喜びと安堵は、部外者であり、阪神ファンですらない私などが想像できるものではないでしょう。
 これは余談ですが、阪神の岡田彰布監督は日本一になるためにオリックス・バファローズが対戦相手だと分かった瞬間から、青柳選手にこの第7戦を託すことを決めていたのではないでしょうか。過去の京セラドームとオリックス戦での青柳選手の相性の良さに加え(こちらを参照)、2023年は青柳選手と対戦のないオリックスとしては、打者が青柳選手の球に見慣れていない効果も大きい。野球経験者なら同意いただけると思うのですが、基本的に投手と野手の初対戦においては投手の方が有利と言われています。理由は単純で、投手の球筋は千差万別、十人十色であり(体格、腕の長さ、リリースポイント、球の回転も異なる)、初対戦だと打者が投手の球筋を予測しづらいからです。また、単純に岡田監督が青柳選手をそれまでのPSで起用しなかったのは、今シーズンの不調を見た上での判断と言えそうです(阪神は好投手が多い)。彼を起用しなくても、セリーグのクライマックスシリーズでは十分に勝てる見込みを感じていたのでしょう。こうして分析してみると、まさに最後の切り札、それが青柳選手だったことがよくわかります。「本当にそこまで考えて起用しているのか」とつっこまれそうですが、知将、岡田監督なら十分に考えられることでしょう。

 そんなわけで今回は、先日スポーツ選手として歴代最高額の契約をした世界の野球ファンにとっての大スターである大谷翔平選手・・・ではなく、私にとってのスターである青柳選手について、その魅力と素晴らしさを胸襟を開いて伝えたいと思います。私のような人間にできることが仮にもあるとすれば、彼のような選手の凄さ、その魅力を人に伝えることくらいでしょう。そして青柳選手の魅力は、今や現役の中では世界一の野球選手である大谷翔平選手ですら、マネできない性質のものでもあります。先にその結論を一言で要約してしまえば、それは、人にはそれぞれの持ち場があり「その人にしかできないことがある」ということです。

 今回は以前した、このポストを補足する内容のnoteになります。


 もう少しだけ、前置きが続きます。
20年前に大ヒットしたSMAP『世界に一つだけの花』。今のアラサー以上の日本人ならば、この曲を知らない方は殆どいないはずです。この時から既に日本の不況は叫ばれていましたが、世の中の暗さは今ほどではなかったように思います。その証拠に、当時のゆとり教育とセットでの流れだとは思いますが、自分の個性(元々特別なOnly one)を大事にしましょう、というこの歌のメッセージが素直に受け取られ、その年ナンバーワンのJ-popヒットソングに輝きました。CDの売り上げはダブルミリオンをこえ、当時はまだCDの売り上げ枚数がJ-popの評価軸として機能していたことも、今となっては遠い昔のことのようです。ただ、その当時とは反して、現代ではこの歌のメッセージである「Only one」の価値は、もはや枯れ木のように形骸化された言葉となってしまっています。数年前から定着され始めた「親ガチャ」という言葉も、こうした「Only one」がいかに空虚なものであり綺麗ごとに過ぎない、と現代人の多くが感じている証左でしょう。「もともと特別なOnly one」・・・・、「そんなものは、親が欲望に任せて"勝手に"私を産んだ無責任な行動を正当化しているだけではないか!!」、そんな怒声がどこからか聞こえてくるようです。今回のnoteは、そうした人たちの心の奥底に少しでも残る何かがあれば幸いです。



 

1.青柳晃洋選手について


 話が暗くなってしまいましたが、前置きはこの程度にして、まずは簡単に青柳選手の基本情報を確認しておきましょう。

 いざ青柳選手のプロフィールを書くという場面になって初めて気づいたのですが、彼は私と同学年であるだけでなく、誕生日もほとんど変わらないという不思議な縁を感じます。詳細成績と出身校は下で確認してください。

青柳選手の歴代成績 https://npb.jp/bis/players/71175132.htmlより引用


まず青柳選手の最大の特徴と言えば、その投げ方でしょう。彼は現代プロ野球において数少ないアンダースローよりのサイドスローから、ボールを投げます(下画像参照)。プロ一年目はサイドスローとしては球が速いことが売りで、荒れ球ながらも(むしろこれも武器となっていた)150キロ近い速球で打者をどんどん押し込んでいく投球スタイルでした。ただし、成績にも表れているように、与四球が非常に多く(投球回68.1、四球 40個 、与四球率5超)、投手としての完成度は高くありませんでした(そもそもルーキーですから、完成度が低くて当然のことです)。正直、この与四球率でよく防御率(9イング投げた想定での失点の確率)3点台前半ですんだな、という印象です。というのも、荒れ球タイプの投手でこれだけ四球数が多いと、自滅することがほとんどだからです。また一般論として、先発投手で防御率3点台であれば十分な戦力という評価をされます(そのシーズンの投手・野手両成績の相互成績を踏まえた上で多少の評価の変動は勿論あります)。

サイドスローでもアンダースローに近い位置から投げる青柳選手


 またルーキーでプロとして初めて登板したOP戦(公式戦前の練習試合)では、初投球から10球連続ボールなど、その当時の記事を見てみても(下参照)、彼が器用なタイプではないことはよく伝わってきます。
こうやって少し振り返るだけでも、この時の青柳選手を見て、今のレベルの選手まで到達するとは、ほとんどの人が予想できなかったのではないでしょうか。


 青柳選手と言えばルーキーの頃とは異なり、今ではマウンドから投げる正確無比なコントロール・そのコマンド(狙ったところに投げれられる力)の高さが特徴であり、彼のストロングポイントを知らないプロ野球ファンはほとんどいない、そのレベルの選手になりました。今では彼は、かつての岩隈久志選手のようにボールが高めに浮くことがほとんどない投手の代表格として認知されています。彼はボールの高低で勝負をするタイプではありません。その代わりにボールの横の出し入れ、つまり、ホームプレートの横幅を広く使うことに長けた投手です。これは青柳選手のサイドスローという特性を最大限に生かしたもの(一般的に、サイドスローの投手は横変化のボールを投げやすいと言われる)で、球種もスライダー、シュート、ツーシームといった横変化の大きいものを得意としています。昔の名投手で言えば、シュートの達人である西本聖東尾修といった投手の名前があげられるでしょうが、彼らとの最大の違いをひとつあげると、やはり投げる位置でしょう。彼らはいずれもスリークォーター(オーバースローとサイドスローの中間)で投げていました。

かつて巨人軍のエースを務めた西本聖投手。青柳選手よりもリリースポイントは高い
西武ライオンズのエースを務めた東尾修投手。リリースポイントは西本投手よりも高い


 ちなみに先ほど少し言及した岩隈選手は、MLB移籍後はボールのキレを生かした高めのフォーシームで空振りをとる機会(ボールの高低を利用)も増えました。彼が徹底的に低めに投げていたのは、2009年WBCの神ピッチングで有名人となったあの時代のイメージが、強烈に日本人の記憶に刻まれているからでしょう。その正確無比なコントロールには、イチロー選手も「膝より高くいかない」と舌を巻くほどでした。それは下の動画で語っている通りです。


ついつい野球オタクのトークが長くなってしまいました。話を青柳選手に戻しましょう。ルーキー時代と違い、ピッチング時"には"正確無比なコントロールが売りの青柳選手です(与四球率の改善からも、そのことは顕著にわかる)が、実はフィールディング(特にゴロ処理のスローイング)が苦手でもあります。しかもそれは、少し苦手というレベルの話ではありません。現在イップスに苦しんでいる方は下の動画を観ることは避けていただきたいのですが、動画を少し視聴するだけでも、彼がどれほどスローイング(ボールを投げること)に苦戦しているかは伝わってきます。私もフィールディング時のスローイングや牽制のイップスで苦労してきた人間なので、彼の苦労はとてもよくわかります。



 まずイップス経験者として声を大にして言いたいのは、プロ野球選手が内野ゴロの処理を全てワンバウンドで投げることに関して、どれほどの勇気が必要なことか、ということです。みなさん、この決断の勇気をあまりにも侮っている/過小評価している、私のような人間からはそう見えてしまいます。さらにYoutubeの動画において、事情を知らない一部解説の人たちがワンバウンド送球に驚きを隠せずにいますが、ある意味これは当然のこととも言えます。なぜなら内野ゴロの処理など、技術的にはプロ選手よりはるかに劣る小学生ですら難なくこなしているからです。加えて、現役プロ投手の中でも指折りのコントロールを持つ青柳選手がこのような送球をせざるを得ない、ということはイップスになった経験のない人にとっては、そもそもイメージすることができないかもしれません。しかし、イップスの経験者ならよくわかると思うのですが、近距離のキャッチボールの時こそ、「ミスすることは許されない」というプレッシャーゆえに(投げる瞬間に)身体が硬直し、まともにボールが投げれないものです。逆に遠距離の全力で投げることが可能な距離ならば、意外と普通に投げられるイップスの人は多いものです(もちろん、イップスの程度にもよるのですが)。
 想像するに、当初の青柳選手もスローイングが思うようにいかないことに、かなり屈辱的感覚を覚えたはずです。しかし、それでも、どうやってもこの根本解決は不可能だと分かったゆえに、自らの限界を受け入れ、見つけた先の答えがワンバウンドスローということだったのでしょう。この決断の重さは、イップス経験者でなければ想像できないかもしれません。
 これは私の霊感なので外れている可能性もありますが、イップスの起因は精神的な側面によるものがほとんどなのではないでしょうか。現代では投球イップスになる選手は「必ず投げ方(フォーム)に問題がある」と言われます。実際、そうなのだとは思います。ただ、先ほど述べたように、ある状況において(例:遠い距離でのスローイング、全力で投げることが許される状況)は全く問題なく投げられる選手も多く、イップスの一番初めのきっかけ(そもそもこれを特定することが難しそうですが)は、やはり精神的な部分からくる気がします。そして、そこから徐々にフォームも悪化し、全く投げられなくなってしまう、という流れが私の体験からの推測です。
 したがって、精神的な部分からのアプローチは非常に難しいので、視覚から判断が容易な投球フォームからなおしていきしましょう、という形にならざるを得ないのでしょう。これまで述べた私見は、専門家でもない人間による単なる素人の与太話なのですが・・・。

 改めて考えると、マウンド上からは針の穴を通すようなコントロールで打者を打ち取る選手が一転して、それよりも距離が近いスローイングになるとワンバウンドで投げないとボールが制御できなくなる、このなんとも不思議な現象には驚くばかりです。野球を少しでも知っている人間からすれば(さらに、投球イップスになったことがない人間からすれば)、「あいつは近距離"さえ"ろくに投げられないのか?(笑)」という話です。そして、青柳選手はそのような眼差しがスタンドから注がれることは百も承知で、「(それでも)暴投するよりはマシである」という心理でワンバウンド送球、もしくは下からのトスという苦肉の策を選んでいます。つまり、彼はどうやったってこの問題は根本解決ができそうにないので、フィールディングで勝負をすることを、完全にあきらめているわけです(大事なことなので何度でも)。これは厳しい見方をすれば、持って生まれた能力の限界、と言ってもいいでしょう。のちほどこのことについて詳しく言及します。
 手元に統計データがないので正確なことは言えませんが、青柳選手に限らず、おそらく昔よりも現代の方がイップスの選手は多いのでしょう(昔はイップスという概念の認知度が低く、実際はイップスであっても認知がされていなかった、という事情もあるでしょうが、野球選手のOBが口をそろえて現役選手のイップスの多さを指摘していることを考慮すると、やはり現代に多いイメージがあります)。ただ、現代では同時に、(野球に限らず)イップスについての認知も昔より格段に広がっており、昔のようにイップスによるミスを「ただの凡ミスである」と指摘をする人は少なくなってきたように感じます。これはスポーツ科学がもたらした大きな功績のひとつでしょう。本当に素晴らしいことだと思います。
 イップス話が長くなってしまいました。ここまで読んだ読者の方からは、青柳選手について、「不器用な投手だな」という印象が強くなってきたかもしれません。しかし、そんな青柳選手のクイック投球(ランナー盗塁されないよう、素早いモーションで投球すること)の速さは、リーグトップクラスになります。投手の投球モーション開始からボールが捕手に届くまで、通常1.2秒程度であれば十分とされるクイックですが、青柳選手の場合は1.0秒を切ります。これはプロ野球において最速クラスです。歴代でクイックが速い投手で言えば、渡辺俊介投手牧田和久投手久保康友投手あたりがすぐに浮かんできますが、青柳選手は彼らにも劣らないレベルです。
 そんな歴代でもトップクラスにクイックが速い青柳選手ですが、投球時のコントロールと同様、プロ入り当初からクイック投法が速かったわけではありません(Wikipedia引用を参照)。これも投球時のコントロールと同様に彼の努力の末に、手に入れた技です。
 しかしながら、この高速クイックを意識しすぎるあまり、被打率(安打をうたれる確率)が上がっている傾向もみられ、これが今シーズンの不調の要因のひとつでもあるようです。これも単純な話で、早く投げることを追求すれば、当然力を入れてボールを投げることは難しくなります。クイックと投げるボールの質、この両者はトレードオフの関係にあるでしょう。

2016年には相手走者による16回の盗塁企図中13回の盗塁を許したため、同年の秋季キャンプからクイックモーションや牽制球の技術の向上に取り組んだことから[76]、現在では投球開始からボールが捕手に到達するまでのタイムが最速で1秒を切る「高速クイック」を武器とし[77][78][79]、2020年シーズンには登板時の被盗塁企画数を12球団の規定投球回到達者のうち最小の3度に留めた[79]

Wikipedia 青柳晃洋より引用

 




2.投手にとっての「器用」とは?

※この章の話は特段野球に興味がなければ、3.に飛んでいただいて結構です。

 ここで少し話は逸れますが、野球の投げる動作における「器用である」とは何を指すのでしょうか。例えば、現役のプロ投手の中で器用な選手と言えば、真っ先にダルビッシュ有選手が思いつく方も多いと思います。その時、私たちが器用だと言う根拠は、「多くの変化球を投げられる」ことでしょう。実際、日本時代のダルビッシュ投手が投げていた球種は数えきれないほどでした。しかし、コントロール(特にコマンド)に関しては、特別優れていたわけではないのは多くの野球ファンに同意いただけるでしょう。カブスに移籍した辺りから、MLBにおいても格段に与四球率は下がっておりますが、MLBでのキャリアハイと言ってもいいレンジャース時代の2013年は与四球率3.43であり、キャリア通算から考えても特段優れていたわけではありません。また、本人からも「特段コマンドに優れているわけではない」という趣旨のことは何度も言及されています。そのダルビッシュ選手が「コントロールが格別に優れていてうらやましい」と語る上原浩治選手は、変化球はほとんど投げられず、MLB時代は数種類のフォークとホップ成分の強いフォーシーム(球速は平均よりも遅い)のみでMLBトップレベルのクローザーとなり、ワールドシリーズ制覇の最後のマウンドにも立ちました。


ダルビッシュ投手の球種一覧。一部ネタが入っているのも面白い


 そんな上原選手について、野球経験者が彼を「器用な投手」ということはほとんどないと思います。また上原選手以外にも、コントロールが抜群に良くて球種が少ない投手の例は挙げられますが、(例:江川卓今中慎二佐々木主浩豊田清岩瀬仁紀 ※敬称略)やはり日本において、その投手が「器用」であるかどうかは「変化球をどれだけ投げられるか?」を第一ファクターにしているように思います。名前をあげた投手はいずれも優れたコントロールの持ち主ですが、球種は多くありません。
 このあたりの話は個人的にはとても面白いと思うのですが、本題とは逸れますのでこの辺でやめておきます。





3.青柳選手の魅力、彼が教えてくれた「可能性」について


 話は本題に戻りますが、青柳選手も変化球が特別多いわけではありませんし、フィールディングに決定的な欠落があります。したがって、「器用な」選手ではないでしょう。



青柳選手の変化球データhttp://xdomain3pk.html.xdomain.jp/hkt.htmlより引用

 また彼は、上原選手とは違い、何か一つの技が圧倒的に優れている( ※上原選手はストレートの切れが抜群で他を圧倒するレベルで、フォークも一級品と評されており、コントロールもずば抜けている ※実質3つの超一級品をもっている)わけではなく、ましてや巨人軍のエースでもなく、WBCを含む国際大会で大活躍した実績があるわけでもありません。サイドスローの投手としてはストレートの球速は速い方ですが、それでも2023年のストレートの平均球速は143キロであり、リーグ平均よりも下になります。青柳選手といえば、「このボールだ!」と即答できる野球ファンがどれほどいるでしょうか(玄人の方から、ツーシーム、チェンジアップ、シンカーという言葉出てくるのはわかります笑)。私が思うに、青柳選手はすべての球種をSABCでその質を評価するとすればほとんどの球種がB+であり(カーブはもっと低いでしょう)、その球種のコンビネーションとコントロール、投げ方を含む緩急、これらすべてを巧みに使って、総合力で打者を打ち取る投手です。その結果が、2年連続での最多勝・最高勝率(史上初)であり、昨年は最優秀防御率のタイトルも獲得しています。

フィールディング時のスローイングに圧倒的なhandicapハンディキャップを背負いながら、自らにできる別の部分を徹底的に磨き上げ(クイック、コントロール)、その能力を巧みに駆使しながら打者を打ち取る。現代野球においてパワー(球速)が正義とされる中(毎年のように投手の平均球速は右肩上がりの現状)で、その流れに逆らうかのように、ボールの力ではなく総合力(クイック、コントロールなど地味な部分)で勝負する彼のスタイルは、多くのファンが喜ぶようなわかりやすい凄さはないでしょう。その証拠に、今人気の日本人投手(佐々木朗希選手、大谷翔平選手、山本由伸選手etc)はいずれもスピードボールが売りの選手です。特に前者二人は160キロを超えるストレートで打者を圧倒します。山本投手もMAX158キロのストレートがあります。

 これはあらゆる分野でも言えることだと思いますが、野球で言えば、野球少年として野球をプレーしたあの日から、誰もが大谷選手を代表とするスーパースターに憧れるものです。しかし、プロスポーツ選手になれる人はその中のごく一握りの方に限られます。さらに、今の大谷選手のように、学生時代(特に高校野球まで)は二刀流(投手と野手の両方でプレー)でスーパースターだった選手が軒並み集まってくる場所がプロ野球の場です。そうした猛者もさの集まる場において、プロとして一軍の舞台でレギュラーとして出場できることなど、ほとんどの人ができることではありません。そうした一握りの天才たち(あえてこう表現します)が集まる場所において、致命的な欠落を持ち(フィールディングに難あり)、プロの投手としてわかりやすい突出した才能があるわけでもない選手が、トップ集団の舞台で一流選手として活躍ができる、この事実が与える感動(可能性と言ってもいいでしょう)は、大谷選手にはできない芸当です。
 野球を経験したことがある人間ならば、誰だってすぐに、「みずからが大谷翔平選手のようにはなれない」という残酷な事実に気づきます。能力には限界がある、そんなことは私などが言うまでもなく、多くの方が既にご存知のことでしょう。
 青柳選手の話で言えば、プロ野球で生き残るために、元々得意ではなかったクイック、投球時のコントロールを球界トップレベルまで磨き上げた。おそらくこれは、はじめはポジティブな理由からではなかったはずです。元はサイドスローからの力強いフォーシームと荒れ球(適度にボールが散らばること。これによって打者は的を絞りづらくなる)が売りだった選手です。しかし、それだけではプロで長く通用しないことをさとり、プロの世界で生き残るために、自らにできることを必死に探る中で「何を捨て、何を磨くか」試行錯誤の中で見つけた先が、現在の彼の姿なのでしょう。
 こうした青柳選手の姿から見えてくることは、「自分にできることをやっていれば、いずれ道が拓ける」ということです。これは、『ポケットの中の戦争』(ガンダムの例で大変申し訳ない)においてクリスティーナ・マッケンジーが、戦争下における軍人の無力さを嘆き、自らに言い聞かせるように絞り出した「正しいことなんてどこにもない。自分にできることをするしかないんだわ。」とは少しニュアンスの異なるものです。余談ですが、私にとって林原めぐみさんと言えば、クリスティー・マッケンジーのイメージが強いです。
 私たちだけに限らず、青柳選手が大谷選手のようなスーパースターになることは難しいでしょう。しかし、彼がプロとして生き残るために、当初はできなかったクイック投法、元々荒れ球だったコントロールの改善に取り組み、その結果として今の投球スタイルを確立しました。繰り返しますが、始めから今の彼の姿が見えていたわけではないはずです(下記事参照)。これが、決定的に大事な点です。今回、私がこのnoteで伝えたいことはたったこれだけのこと、そう言っても差し支えはありません。冒頭の話につなげて言えば、私たちは「もともと特別なOnly one」ではないのです。

※この時点の青柳選手の自己評価も決して、コントロールがいい投手ではありません。少しでも自らのコントロールを改善するために、数年に跨いで積み重ねた地道なトレーニングが身を結び、今の青柳選手となったのです

先のことなど全く見えないような状況でも、目の前の自分にできることをやることで(その時には思いもしなかった方向で・・・・・・・・・・・・・・・・)、道が拓けることがある。そんなことを青柳選手の姿から読み取ってしまいます。さらに、フィールディング時にイップスがある投手(あえてこう表現します)が、マウンドからの投球でビタビタのコントロールで投げる例など、ほとんど聞いたことがありません。やはり、イップス持ちの選手は投球時のコントロールもよくないことがほとんどです。その意味で、青柳選手は稀有な存在と言っていいでしょう。自らがプロとして生き残るために、必死にやった結果、他のだれも成し遂げられないような実績(二年連続最多勝・最高勝率)を残すことができ、(これは、ほとんどの人に注目されないかもしれないが)稀有な存在となったのです。
己の才能を如何なく発揮することで、人々に希望(≒可能性)を示したイチロー選手・大谷選手のようなスーパースターでなくとも、どうしようもない致命的な欠陥があろうとも、持てる能力をフルに使用してプロスポーツ選手として一流の活躍を残すことができる、こうした過程を経た時に”始めて”私たちは本当の意味で「可能性」という言葉のポジティブな側面を見出すことができる、私はそう思います。「あなたは何にだってなれる可能性がある」という子供時代の無限の可能性に満ちている時、この時はまだ「可能性」という言葉の持つ奥行きを、私たちはまだ理解していません。それは、「可能性」という言葉の価値の半分も捕まえていない。そうではなく、「自らの力ではどうしようもない限界を知った先で、その中で自らにできることをやった果てに、ようやく初めて開拓される道」、これこそが「可能性」という言葉が持つ奥行きであり、これこそがこの言葉が持つポジティブな面でしょう。これは、限界を知った先から見える、どこか晴れやかな風光を私たちにもたらしてくれるような、そんな可能性の光です。
 そして、これはよく言われるような「与えられた場所で咲きなさい」という運命論的な使命を全うすることとも、異なるものです。「与えられた場所で咲きなさい」という言葉は、"あらかじめ"決められた道を歩むことを前提としていますが、私の言う「可能性」は、無限の可能性に満ちた幼少期からはじまり(前提)、自らの限界を知る→その中でもがく→その先に"始めて"見える道、という三段構えです。この違いは、決定的に重要です。この前半の二段の体験があることで、始めて自らの世界が拡張されるその「可能性」を感じることができます。
 また、己の限界を知った中でもがくことは、何も無駄なことではありません。その過程が絶対に必要ですし、この経験こそが大きな財産となります。そして、この財産はその経験した後にしか理解できない性質のものです。また、この二段の期間は人によって全く異なることも強調しておかなければなりません。あらゆることが効率化することが正義とされるようになった現代において、時間をかけることの「価値」(より正確には、時間を要してしまうことそれ自体の「価値」)は圧倒的に見逃がされています。よく言われることではありますが、このことは何度強調しても、しすぎることはないでしょう。時間をかけることで、はじめてみえてくるものがあるのです。また、「可能性」の光の話とセットで言わなければならないことがあります。それは、ある限界の中で生きるしかない人達が、その限界の中でもがいた先に、彼らしか出せない「美しさ」がある、ということです。本題と少し外れるので深入りはしませんが、私たちが正面からこのことを認めることができなければ/信じていなければ、現代社会の前提とされている「すべての人間の命は尊い」などただの綺麗ごとに過ぎない、と個人的には思います。


 私のこの文章は恐らく、十代の過去の私に言っても何も伝わらないでしょう。そんなことは笑止千万、百も承知です。しかし、過去の私のような人間にこそ、この幼少期の「可能性に溢れた世界」の限界を知った後に、そこからもがくことの意味、そしてその先に見える道(=可能性)、この素晴らしさを伝えたい。今はその意味が分からなくとも「何か引っかかるもの」があれば、それだけで十分です。人が本気で伝えたいその想いは、相手にも伝わり、ささくれのように心のどこかに残ります。だからこそ、親からの言葉について、「年を経てから始めてその意味がわかる」というあの体験を、多くの方が経験します(もちろん、これは親の言葉に限りません)。そして、そう信じているからこそ、私は現在こうして文章にしているわけです。

 これまで述べた「可能性の価値」を乱暴に要約してしまえば、「年をとることで見えてくる景色」、そう理解してもらっても大きく外れてはいないでしょう。こう言ってしまうと、「何をお前はきれいごとを言っているんだ!」、そう叱責されるのが目に見えます。たしかに、一度SNSの言説やニュースをみてみれば、少子高齢化・人口減少・物価高・国際政治の暗雲etc・・・、誰だってすぐに「世の中や未来は暗いもの」であると判断することが可能な、そんな情報で溢れています。まさに暗い時代だと言ってもいいかもしれません。そして、こうした言説にかなりの説得力があることは、十分に理解します。さらに、大変おこがましいこと(?)を承知で言えば、私のような人間は、世界をそのようにとらえる才能に関しては、人よりも優れている自信もあります。だからこそ、「そんなところに入って就職をどうするの?」と身内に言われても、Xでは地の底までに評判が落ちている某学部に敢えて入ったわけです。そもそもこんなことは自慢することでもないですし、悲しくなってくるのですが・・・笑。
 仮にこの文章を読まれている方の中に、ただ絶望し、打ちひしがれていることを強いられ、何もできない状況に置かれていたとしても、気が向いたときにでも自分にできることを少しやってみてはいかがでしょうか、と伝えたい。そして、それは今すぐでなくとも構いません。どんな偉人であろうとも、何時かは死ぬ運命にあるのですから、死ぬまでの暇つぶしとして「(気が向いたら)その中でもがいてみたっていいではありませんか?」そう、思わずおせっかいな言葉をかけたくなってしまいます。特に青柳選手のようなスターの存在を一度みると、可能性のポジティブな面を思わず強調したくなります。そして、これは大谷選手がいかに素晴らしいプレーを魅せたとしても、私には喚起されることのない感情です。

 

 少し話が逸れてしまいました。ここまで長々と述べてきたように、大人になったからこそ持てる「可能性」の真の価値を、青柳選手を通して感じることができるわけですが、私の言ったことはどれほど伝わったでしょうか。
 





4.スーパースターが最後にみせた姿


 ここからは、蛇足になってしまうかもしれません。しかしもう一人、この「可能性」の力を示してくれた重要な野球選手がいます。そう、スーパースターの松坂大輔選手(これより松坂選手と呼称)です。ここで野球を知っている方からは、「何を言っているんだ。松坂大輔こそ、大谷翔平側の人間(スーパースター)ではないか!」そんなツッコミを入れてしまいたくなるかもしれません。確かに、彼の全盛期を知っている今のアラサー以上の人間にとっては、誰もが認める国民的スーパースターでした。しかしそれは、彼のキャリア前半の物語に過ぎません。私がしたいのは、彼がMLBから日本プロ野球に返ってきてからのキャリア後半の話です。また、意外と彼の後半のキャリアについて語られることは少ない気がします。そして、これは「あの現場」にいた私の役目でもあります。

 2018年4月30日、この日、松坂選手が12年ぶりに日本プロ野球での勝利を収めた日です。私はこの日、ナゴヤドーム(現バンテリンドーム)現地に観戦にいっておりました。目的はもちろん松坂選手を観るためでした。当時、中部地方に住んでいなかった私にとっては、たまたまGWであったことが幸運でした。会社の休みを使って、彼の登板をたまたま生で観ることができました。そしてあの時、ナゴヤドームはホーム側の観客席でさえ中日ファンではなく、(あえてこういいますが)全盛期とはほど遠い松坂選手を観に来た野球ファンで溢れていました。最後に、あの場にいた私の使命として、彼のキャリア晩年について少しばかり言及させてください。


 まずはMLBから帰ってきた後の、松坂選手の状況を簡単に振り返っておきましょう。ソフトバンク入団一年目は怪我により、レギュラーシーズンでは一度も出場することはありませんでした。それに関して、今では殆ど記事は残っておりませんが、Yahoo!ニュースでも苛烈に批判されていました。当時の期待度を考えれば仕方ないのですが、球団ではなくファンが、年俸に対する働きをしていないことに対して苛烈に批判する姿は、選手としては少し理不尽な気もします。

 そんな松坂選手が満を持して日本復帰後二年目に見せたピッチングは、残念ながらファンの期待を裏切るものでした。改めて冷静に見てみると、立ち上がりがうまくいかず、そのまま崩れてしまった印象が強いです(松坂選手は立ち上がりが悪いことも有名)。


そして、翌年のOP戦。復調の兆しを見せたものの、また故障により長期離脱を余儀なくされました。


 当然、期待通りの活躍どころか二シーズンを通して一回しか公式戦で登板できなかった松坂選手は、ソフトバンクから育成契約を打診され、自由契約を選びました。この判断について、色々意見が分かれるとは思いますが、引退後の今から振り返ると、今ここで育成契約で再度二軍等で結果をだしてからの一軍登板となると、身体が持たないことを認識していたのかもしれません。それよりも、少しでも長く一軍で登板するために、あくまで一軍登録をしてくれる球団を探した、と好意的に解釈もしたくなります(もちろん、年俸の問題もあるでしょう)。
 この時の松坂選手に対する批判は正直、みるに絶えるものがありました。私たち野球ファンは彼の甲子園での活躍、WBCを代表とする国際大会の彼の貢献にどれほどの夢や希望を与えてもらってきたことでしょう。その恩義などまるでなかったかのように成績が衰えた瞬間、苛烈に彼をネットで叩く姿は本当に悲しくなったものです。その当時と比べると、今のYahoo!コメントは本当に平和になりました。かつては便所の落書きである、くらいに言われていたYahoo!コメントですが、今やXのような殺伐とした雰囲気は全く感じません(分野によっては異なるかもしれませんが、スポーツ分野においては平和なコメントが多い印象です)。


そんな厳しい視線が注がれる中、松坂選手は中日ドラゴンズに入団後、予想を上回る活躍を見せ始めます。注目すべきは、2017年4月19日の阪神戦です。7回2失点、123球の熱投で負け投手。不安視されていた肩の問題を感じさせない、過去の松坂選手のような熱球でした。ただし、好投を続けるもチームも強くないこともあり、なかなか勝ち続けることができない状況が続きました。しかし、2017年4月30日、当時強力打線が売りだった横浜DeNAに6回1失点の好投、12年ぶりの日本球界での勝利をおさめます。その当時の一連の流れをまとめた下のMADを観ていただければ、これ以上私の言葉はいらない気もします。



野球が好きで、自分がまだ投げられるという気持ちが残っているうちは、あきらめずに、いつまでも投げたいですね。

松坂大輔選手の発言


 甲子園春夏連覇、WBCで二度の世界一を経験、レッドソックス時代にはワールドシリーズ制覇を達成、プロとして数々の名声を手にした松坂大輔選手が最後に私たちに見せてくれた姿は、「野球が好きだから(たとえ能力的に衰える一方でも)、限界まで野球を続けたい」という少年のようなマインドです。今こうして振り返ってみると、松坂選手は若いころから努力する姿をほとんどメディアには見せず、ひょうひょうとした(育ちのいい)姿ばかり取り上げられ、多くの誤解をされていたと思います。そして、彼のこうした人懐っこい性格のよさが、その人気を支えていた部分もあるでしょう。しかし、彼のMLB時代後半の怪我に始まり、これまで述べたようなソフトバンク時代の苦労を考えれば、相当な努力を余儀なくされたことは間違いないはずです。彼の輝かしいキャリアから一転して急激に衰えを見せる姿に、ファンからは「引退しろ!」、「晩節を汚すな!」という罵詈雑言が溢れていた当時、そんな批判コメントに対して、メディアを通して反発することを全くしなかった松坂選手に対して(その是非はともかく)、彼なりの美学があったことが想像できます。その彼の意志の強さ、それは「もう一度復活できるという自信」からもたらされたものだとは思いますが、その姿には感嘆する他ありません。その彼の美学のひとつに彼の代名詞でもあるワインドアップも含まれるでしょう。
 そして、実際、この12年ぶりの勝利以降、彼は勢いにのりオールスター出場、シーズン6勝の活躍でカムバック賞も獲得しました。そして、この年(特にこの試合)のピッチングは、全盛期の打たれる気配が全くないような打者を圧倒するものではありませんでした。少し間違えれば大量失点をされてもおかしくないような、常にギリギリの状態でのピッチングであり、この松坂選手の一挙手一投足、投げる一球ごとに彼の野球人生で培った技術が垣間見えるようなピッチングは、若い頃には出せなかった円熟味に溢れていました。これが多くの野球ファンの胸に響くものがあったことは間違いないはずです。彼の投球は、それまでの野球人生のすべてが詰まっているような、そんな「物語」を観ているように、ファンに差し迫ってくるピッチングでした。だからこそ、上のMADが作られるわけです。そして、これが私を含め多くの人の心を動かした。
 残念ながらその後は不運な怪我もあり、活躍するどころかほとんど試合に出場することもできませんでした。しかし、この年の松坂選手の姿をみたプロ野球ファンからは、以前のような否定的な意見はほとんど見られなくなりました。彼のそのプレーによって、その後ろ姿で批判的意見を黙らせたのです。これには天晴れという他ないでしょう。

 おそらく若い頃の松坂選手は、練習すればするほど右肩上がりの野球人生だったことでしょう。そして、あらゆる国際大会(オリンピック、WBC)でも常に「日本のエース」として活躍してきたことは多くの方のご存知のとおりです。ちなみに、多くの国際大会で常に日本のエースとして投げてきたという意味において、田中将大投手も、ダルビッシュ投手も、大谷翔平投手も、松坂選手には及ばない、と個人的には思います(いずれの選手も未だ現役ですので、今後どうなるのかはわかりませんが)。そうしたスーパースターが、どう頑張っても能力的に成長をするのが難しい(それどころか衰えていく一方の)状況において、それでも自らが野球をする意味を考え、たどり着いた先が「野球が好きだから」という初心に戻る姿は、まさに無限の可能性を失った先に見つけた新しい道(可能性)、そのものでしょう。彼のようにスターとしての頂点を知っている人間が、自らの限界に直面した時の辛さは、頂点を知らない人たちの辛さとは比べ物にならないことは、私にも想像できます。もちろん、これは青柳選手の道とは少し異なるものです。松坂選手の例から言いたいことは、この道(可能性)は何も新しい道とは限らないということです。しかし、それで何も問題ないでしょう。この時の松坂選手の勝利後の心からの喜びを観れば、そんな野暮な言葉をかける気にもなりません。そして、これはビギナーズマインドを思い出すこと、そう言い換えてもいいでしょう。野球が好きで、これ以上技術的に(成績的にも)向上することがないとしても、ただ好きだから、野球それ自体を楽しむ、まさに「just enjoy the show(ただそれを楽しんで)」。それこそが「人生を謳歌することである」、そう松坂選手のピッチングが教えてくれるようです。

※12年ぶりの日本での勝利時の松坂選手のヒーローインタビュー






 まとめ、個人的に今後期待していること


 青柳選手の素晴らしさについて書いていたら、気づいたらオタク特有の早口で松坂選手への愛を囁いていました・・・笑。しかし、これで私の伝えたかったことは、多くの方に届いたと思います。青柳選手は、可能性の限界が見えた中で、その中で過去の自分では想像もつかない自らの新たな道(可能性)を見出しました。それに対し、松坂選手は圧倒的な才能を持ちながらも、年齢と怪我による衰えから自らの限界を痛感した先に、野球を楽しむというビギナーズマインドを思い出した。要するに、私の言いたかったことはたったこれだけのことです。
 また、このnoteでは大谷選手を青柳選手と対比的に言及しましたが、大谷選手にも(もちろん、青柳選手にも)松坂選手のような時期は必ず到来します。人間、老化には逆らえません。その時、彼がどのような選択をするのか、個人的にとても興味があります。基本的に大谷選手は、メディアの前ではとてもスマートな姿しか見せません(これは時代が生んだ部分も多分にあるでしょう)。しかし、2023年のWBC準決勝でのメキシコ戦、9回先頭打者として出塁し二塁打を打った後のあのガッツポーズは、皆さんの記憶に新しいことでしょう。


普通に考えれば当然なのですが、彼にも野球が好きであり、負けたくないという熱い思いがあります(むしろ、ここまでストイックに努力できるのは、その思いが誰よりも強いからでしょう)。ただ彼の美学として、それをあまり表に出さないだけなのでしょう。実際、MLBでもベンチ裏で悔しさの余りモノに怒りをぶつけている姿を、通訳の水原一平さんより報告されています。こうした彼の人間臭い部分を知ると、彼がその可能性の限界が見えた先に「何を見せてくれるのか」、個人的には今からとても楽しみです。そして、2023年シーズン、持ち味のコントロールもイマイチさえず、シーズンではその力をあまり発揮できなかった青柳選手。最近は30歳前後でいきなり成績が落ちる投手も多く、彼の来シーズン以降の奮闘にも期待したいところです。
 今回は青柳選手を中心として、「可能性」について語ってみたわけですが、今回改めて文章を書く中でわかったことは、私は「物語」が本当に好きなんだな、ということです。人の人生を物語化してみてしまう癖があるのでしょう。だからこそ、かつてはプロレスに夢中になった。というわけで、既に1万7千字を超えてしまったので、さすがにここらで筆をおきたいと思います。今回の私の雑文で青柳選手、松坂選手の魅力が少しでも伝わったのならば、これ以上の喜びはありません。





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