宝石の贈り物は挨拶代わり!
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毎朝、垣根越しの庭(花)の水まきを通して、(一言も口をきいていないけど)知り合いになったお隣りさんの家に訪問した。
お隣りさん(25-32,3才ぐらいの男性)の母親には、この時初めて会った。今まで一回も、隣家の主である母親を見たこともなかった。
住み込みのお手伝いさんや息子のお隣りさんが買い物やらゴミ出しやら行っていたので、母親は全く外に出てくることがなかったのだ。
母親は、いかにも敬虔なイスラム教徒だった。
全く化粧っ気がなくアクセサリーも何も身につけてもおらず、家の中なのに完璧に髪の毛も肌も身体の線も覆い隠していた。
その生真面目そうな母親はいきなり私に
「エンティ モスレマ?」あなたはイスラム教徒か?超ストレートですな...
違うと答えると、母親は「あっ...」と黙った。シーン...もう白けて会話が続かない..
息子もウ~ンと思ったのだろう、気まずい空気をどうにかするためにテレビのスィッチを入れた。画面に映し出されたのは、予想通りMTVインドだった。
「あの、実はうちのテレビでも(契約を結んでいない)衛星放送チャンネルにすると、MTVインドが映るんですけど、お宅で見ているものですよね?うちがそちらの衛星放送を受信しちゃっているんですよね?」。
聞くつもりはなかったけど、あまりにも話すことがないのでついそう口でにしてしまった。
「そうだよ。そちらでも受信できるのは知っていたから、君のためにいつもMTVインドのチャンネルにしてあげているんだよ」とお隣りさん、ニコニコ。
自分は見ないのに、隣の私が楽しめそうな番組をあえて付けてくれていた...なんて優しいのだろう、と感激するところだとは思うが、その前におや?と首をひねった。
「あの、私のためとは? 私が楽しめるようにMTVインドのチャンネルに合わせてくれているっていう意味がちょっと分かりかねるのですが...」
「だって君、ヤバニーヤ(日本人)でしょう?だからインドの音楽、聴きたいでしょ?」
「ぬっ?」
...
その後、徐々に分かってきたが、アジアを全然知らないエジプト人にとって、日本を含むアジア=仏教国圏内=インドっていう感じだった。(言うまでもなく、インドでは仏教徒は非常に少ないのだが)
だから、エジプトではずいぶんいろいろな人に
「日本はここだろ?」と世界地図の上でインドを指で示されたり、ガンジス川の質問をされたり、どうも日本=アジア=インドと思われていた。
ウ~ン、エジプト人恐るべし。ひと昔前に『バカ世界地図』が流行ったが、エジプト人の思う世界地図も作成してもらいたいものだ。
その後、「家中を案内してあげる」と言われて、お隣りさん邸宅ツアーが始まった。むろん、母親はずっと同行した。絶対に息子と私を二人っきりにさせることなく、始終監視してイマシタ..
お隣りさんとそのお母さんと私のお茶タイムは、結局いまひとつしっくりこなかったが、しかしこれがきっかけで翌朝から、私とお隣りさんは垣根越しで言葉を交わすようになった。
なんで、私の"ために"MTVインドをつけているのかといえば、庭先に捨てられた子猫を、私が毎回家に入れ、里親探しをしていることを、窓から見ていた、と。
それで「いい人だ」と感動し、MTVインドを見せてあげようと思ったのだという。
確かに捨てられた動物に手を差し出す人間は、この街では稀だったので、お隣りさんが驚いたのも無理ないかも。
(それにしても、見知らぬエジプト人たちにしょっちゅう、家の敷地内にこっそり子猫を捨てられ、大変でした)
会話を重ねるうちに徐々に分かってきたのだが、母親はエジプト人、父親はアラブ某国の人間だったので、彼はいわゆるハーフだった。
確かにアラビア語で話しをしてみると、お隣りさんはエジプト方言をあえて使わず、湾岸方言のアラビア語を口にした。多分、父親の家系やら父親の出身国の誇りによるものなのだと思う。
(いずれにせよ、エジプト方言アラビア語は「汚い」と、各アラブ諸国ではあまり評判は良くなかった。知り合いになったシリア人もみんな、野暮ったいエジプト方言アラビア語を馬鹿にしていた。)
お隣りさんはもともと飛行機のパイロットだった。(彼の身内かもしれない)某アラブ国の王族が設立した航空会社に所属していたが、何かがあって数年前に退社。(多分、1991年の湾岸戦争の影響)
その後、カイロでこの邸宅で、母親と二人きりでのんびり暮らしているのだという。
だけども、実はまたパイロットの仕事に返り咲きたく、いろいろな航空会社にアプライをしているのだという。
「マスルタイラーン(エジプト航空)は?」と聞くと
「マスルタイラーンはエジプト国籍じゃないと勤められないんだ」。
ちなみにエジプトは、一昔前の日本と同じで父系制度、父親側の国籍しか子供は取得できなかった。
つまりお父さんがエジプト人なら、子供もエジプト国籍を自動的に持てるが、もしお父さんが外国人ならエジプト国籍は駄目だった。(今はどうなのかな?)
だから、お隣りさんはエジプト国籍を所有していなかった。
よってエジプト国外の様々な航空会社にCV(履歴書)を送りまくっているのだという。でもなかなか手応えがなく、憔悴しているようだった。
ちなみにパイロットの資格はアメリカで取ったそうで、やはりお金持ちのぼんぼんなんだなあと思った。
そういえば、バブルの余韻が残っていた時代、日本の私の友達何人かも、アメリカ留学をして(授業料が馬鹿高い)パイロット学校や宝石鑑定士になるための専門学校で勉強していた。その後、みんなどうなったかな...
毎朝、顔を合わせるたびに私が聞きたくてむずむずしていたのは、
「お父さんはその国の王族メンバーなのですか?ひょっとしたらお父さんは国王!?」。
でもやはり聞けませんな...
ただ、この話を親友のヨウコさんやほかの在カイロの日本人女性たちに聞かせると、全員口を揃えて
「それはそのアラブ某国のロイヤルファミリーの息子にきまっている!エジプト人のお母さんはおめかけさんだったのよ!」。
「そうかな。見るからに一日五回ちゃんとお祈りしています、全ての戒律をしっかり守っています、コーランもしっかり読んでいます、という真面目そのものにしか見えないあのお母さんが、おめかけさんだったとは想像できない」
「現在が敬虔なイスラム教徒なのは、過去の懺悔に決まっているじゃないの!」。
私の日本人友達のみんな、見たこともないエジプト人のオバチャンのことを好き勝手あれこれ言いまくり!
それはさておき毎朝の、垣根の塀を間にして、一緒おしゃべりをしながら庭の手入れをするひとときはホッとする時間だった。
本当にお隣りさんは、多少面白みに欠けるとはいえ、真面目で誠実な人柄で、安心できた。
そういえば、一回も私の年齢も聞いてこなかったし、プライベートのあれこれも詮索してこなかった。(普通は、タクシー運転手でも八百屋の店員でも、多くのエジプト人は初対面でいきなり年齢をずけずけ聞いてきた)
また、隣家だからこそ分かるが、お隣りさんはあまり友達もいないみたいで、ほとんど引きこもりだった。
ネットもない時代だったし、きっとお隣りさんにとって母親以外に、私は貴重な数少ない話し相手だったんじゃないかと思う。
さらにお花に詳しかったので、お花の手入れのあれこれなどずいぶん教えてくれた。全てもう忘れたけど。
そのうち毎朝会うと必ず自分の庭の花を一本切って、プレゼントをしてくれるようになった。(それだけ庭が広く、数多い花が咲き誇っていた)
毎朝、それぞれ違う種類の、一輪の花をプリーズ、と垣根の向こうから手渡してくれた。
貰う花はどんどんドライフラワーにしていった。
なにしろ空気がカラカラに乾燥しているので、全ての花があっという間にドライフラワーになった。
よく日本人駐在員の奥さんたちが
「湿度ゼロのエジプトにいると、加齢の進行が早まるので怖い」と言っていたが、本当にその通りだと思う。
洗顔後、すぐに保湿しないと、顔の皮膚も瞬時にカビカビになった。
エジプトに住むフィリピン人女性たちも、こまめに乳液を顔と全身に塗りたくっていると話していた。
さて、ある日のことだった。
いつものとおり、朝庭に出ると、垣根の向こうでお隣りさんが私の出てくるのを待っていた。一目で彼が興奮している様子がみてとれた。
どうしたんだろう何があったのだろう、と思いきや
「○○航空会社(アラブ某国)から返事がきたんだ!明日、インタビューに行ってくる!」。
ものすごく嬉しそうだった。
同じアラブ圏内とはいえ、外国だ。
当然二日ぐらいは不在にするのかな、と思い
「いない間、そちらの庭のお花の水まきをやっておくわね」と私。
が、お隣りさんはキョトンとして
「えっ、日帰りだよ」。
「日帰り?」
「この間もサウジアラビアまで日帰りでサッカーの試合を見に行ったしね」。
...
言われてみると、日本人も香港に食事や買い物で日帰りで出かける人たちがいたなあ。それと同じ感覚なのかな。
結局、お隣りさんはそのアラブ某国の航空会社に、パイロットとして採用されることになった。
カイロとの往復便はないそうで、今後滅多にエジプトに戻ってくることはないだろう、とのことだった。住み込みお手伝いさんがいるとはいえ、残される母親がちょっと可哀相だなと思った。
エジプトを去ることが決まった時、お隣りさんは私に「最後の夜に一緒にドライブをしてほしい」と誘ってきた。
でも外で二人で会うのは母親には絶対内緒、(あそこの息子が外国人とデートした、と騒がれると母親に迷惑がかかるから)近所の人にも絶対見られてはならない。
そこで目立たないように日没を待って、二本隣の通りで待ち合わせしようという段取りにした。
ところが、これまた苦笑ものだったのだが、いくらこそこそしても、結局意味がない。というのもお隣りさんの車は真っ赤なポルシェ、密会でこの派手な車!目立つのなんの!
人々がじろじろ見る中、痩せこけて哀しい顔で俯いているロバと、ロシアのラーダ(ダサいおんぼろ車)の間を抜けて堂々と発車。俄然、注目を浴びていた。
(話は逸れますが、カイロでは幸せそうなロバは一匹も見ませんでした。みんな殴られ野菜運びなどで酷使され、どのロバもがりがりで暗い表情ばかりでした。)
車が走りだしてすぐに、私は驚愕した。
お隣りさんの人格が一瞬で豹変したのだ!
ハンドルを握った瞬間、顔つきがギラギラしてものすごいスピードを飛ばし始めた。
確かにもともとカイロでは総じて、どの車もスピードを出しまくる。「名古屋走り」が全然可愛く思えるほど、エジプト人は車を飛ばす飛ばす!
だから私も猛スピード運転の車には馴れてはいたのだが、お隣りさんの運転はそんじょそこらのエジプト人よりもずっと過激で乱暴だった。
必死にシートにしがみつきながら、「死ぬんじゃないか」とゼーゼーハアハア。
そして案の定、道端にいた、貧しい身なりの老人を轢きそうになった。
「危ないじゃないの、もっとスピードを落として。あの老人を殺しかかったわよ!」
「ふん、あんな貧乏人なんてロバと一緒だ。殺しても問題ない」
「!!!???」
ひぇーとびっくり仰天! いつも温厚で物腰柔らかく、丹念にお花の手入れもしているのに、全然別人のようじゃないか! そもそもロバだって轢き殺しちゃならんだろうに!
もちろん、全ての信号は無視(もともと信号を守るエジプト人は皆無だけど)、人が道路を横切っていても車の速度を止めないし、一方通行逆走も当たり前。
一応、警察官はあちこちに立っているものの、高級ポルシェ(イコール特権階級の車)を止めることなんて絶対しない。逆に自分の首が飛んじゃうから。
暴走ポルシェが、ギザのオベロイホテル(上の画像)に到着した時、もうこっちはくたくた...
よくぞ事故らないでカイロからギザのピラミッドのふもとまで無事に来れたものだ。これぞアルハンドゥリッラー、アラーのおかげで、心の底からアラーに感謝した。
また、ふと思った。
「まさか飛行機の操縦は慎重だろうな。こんな調子の操縦なら、一生この人の飛行機には乗りたくない」...
ところで、オベロイホテルはインドのホテルチェーンだ。だから
「やはり、また"インド"か」と思わず苦笑。
そして案の定、ホテルの中にある、西洋レストランの方ではなく、予約済みというインド料理レストランに連れて行かれた。笑
ちなみに日本だと、そう親しい間柄ではない男女の、夜の食事がホテルのレストランで、というのはあまり適切じゃないイメージだ。
でもカイロは外資系五つ星ホテルの中ぐらいしか、まともなレストランはそうそうなかったので、ホテルのレストラン利用は普通だった。ま、日本のデパートのレストラン街に足を運ぶという感覚と同じだった。
お隣りさんのインド料理の食べ方は非常に上品で、育ちの良さがうかがえた。
話し方もいつもの、穏やかなものに戻っており、あの運転中のラリっているような様子は一体なんだったのか、車のハンドルを握ると性格が変わる人って本当にいるのだな...
聞くつもりだったロイヤルファミリーについては、結局聞かなかった。
というのも、インド伝統音楽、シタール楽器生演奏をBGMに、コースのインド料理をゆっくりいただきながら、多少生い立ちや身の上話もされた。
はっきりとは言わなかったけれど、もうね、言葉の端々に出ていた。
やはり、あのアラブの国の王(族)の落とし子なんだろうな、父親のことはタブーなんだろうな、とぴーんときたのだ。
だから、今回の航空会社就職内定も、おそらくロイヤルファミリーのコネだったと思った。
帰りは家の真ん前で車を下ろしてくれた。
夜も遅かったので、さすがにちょっと離れた場所で私を下ろすわけにいかなかったのだろう。
帰りももちろん無謀運転だったが、でもなんていおうかセクハラとか言い寄るとかボディタッチとかそういうのは全くなかった。運転以外は始終ジェントルマンそのものだった。
「明日早朝にカイロ国際空港に向かうから、もう当分ローロー(私)にも会えない。本当に今まで友達でいてくれてありがとう」
お隣りさんはそう言って、最後に車の中でプレゼントを渡してくれた。それは植木鉢の薔薇の花だった。
「この植木花には"サプライズ"がある。後でゆっくり見て」
と、お隣りさんはニッコリ。
「ありがとう。あなたの幸運を祈ります。元気で」
握手のために手を差し出そうかな、と一瞬思ったが近所の目を気にしてそれは止しておいた。ニッコリ笑顔だけにとどめた。
自分の家に戻ると、明かりの下でその植木鉢をしっかり見た。
「あっ、この植木鉢の薔薇、生花じゃなく造花だ! これが"サプライズ"なのかな?」。
花を通して知り合ったから、その思い出を枯らさないように、ということで造花なのだろうか。
ウ~ン、やっぱり感覚が違うなあ、と私はその造花の植木鉢をぽいっと自分の寝室の鏡台の上に無造作に置いた。そしてそのまま完全放置...
翌日の早朝、私は2階の自分の寝室の窓から、タクシーに乗り込む隣りさんに手を振った。向こうも笑顔で振り返してきた。母親が怖い顔で睨んでいたけど!
それから毎朝、私は隣の庭の花壇にも、塀越しで長いホースを使い水まきをするようになった。
ちゃんと水を与えているのに、不思議と隣の花々は萎れていった。主が消えて寂しいのだろうな、花も。
そういう私もやっぱり寂しかった。
毎朝起きて台所の勝手口から庭に出ても、もう自分ひとりだけ。話し相手がいない。
彼には結構、同居のエジ子たちの愚痴を聞いて貰っていたし(毎回大笑いして耳を傾けてくれていた)、エジプトの悪口や愚痴も二人であれこれ言い合っていた。その相手がもういない。
そしてテレビも、衛星放送チャンネルに切り替えても、もう何も映らない。MTVインドも全く映らない。ボリウッドポップスが急に懐かしくなってくる。
その後、お隣りさんから国際電話がかかってきた。通信状態が如何せん悪いので、お互いの声が途切れ途切れだったが、
「僕の"サプライズ"ローズ、驚いたかい?」と言ってきたのは、聞きとれた。
「うん、永遠に枯れないローズだった。ありがとう!」
「永遠に枯れない! 表現が上手いじゃないか、ワハハ」。
?
造花は枯れないから、そう言っただけなのになあ。
その後も何度か国際電話はかかってきたが、いつだって雑音ばかりで聞き取りにくかった上、しょっちゅう通信状態が不通になっていた。
また、そもそも家の固定電話はたいてい同居人エジ子さんたちが占拠していた。だから本当に会話まで至るのが大変だった。
その後、いろいろあってまた引っ越しすることになった。
自分の寝室の荷物を片付けているときに、長らく鏡台の上に置き放しにしていた、造花植木鉢に目を留めた。すっかりホコリが被って汚くなっていた。
「申し訳ないけど、これ、棄てていこうかな」
と、その植木鉢を手に取った時、うっかり床の上に落としてしまった。
すると!!!
えっ?
ええっ!???
植木鉢の底が割れ、造花の薔薇の花びらの茎がパカッと開いたのだが、それらの中にサファイアとアレキサンドライトの宝石が出てきたのだ。
サファイアとアレキサンドライト!
そう、これがお隣りさんの言っていた"サプライズ"だったのだ!!
びっくりだ、危うく捨てるところだったじゃないか!贈り物はシンプルにしてくれ!
さて、私もいろいろ移動があったので、お隣りさんとはそれっきりだった。二度と会うことはなかった。(本当に携帯とかeメールが存在していたら...)
お隣りさんは私より年上だったので、おそらく今頃五十代だろう。もうパイロットは引退し、かのアラビア半島の砂漠の国で、呼び寄せた母親も共に、優雅に暮らしているんじゃないかと思う。エジプトは嫌っていたから。
でもお隣りさんを思い出すと、アラブの匂いというよりやっぱり、いつもインド音楽とカレーのスパイスがどうしても連想されちゃいます。笑
蛇足ですが、いただいた宝石は私がエジプトを引き揚げる時に、某孤児院に寄附しました。
またGoogleマップで見る限り、現在はお隣りさんの邸宅も、私が住んでいた邸宅も取り壊されており、車販売店になっているようです...(ア然...)
追伸
今ならカッコつけないで、宝石はしっかりいただきます。
(ピラミッド通りの先にある、オベロイメナハウスホテルはthe palaceとも呼ばれていました)
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