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少女の笑顔が消えた時 (エジプト)


「痛みというような生易しいものではなく、全身を炎で焼かれるようでした」  ナワル・エル・サーダウィ


「マダム! 何か用事ある? 何かお買い物ある? 

捨てるゴミ(袋)はある?」


カイロ郊外、砂漠地ナセルシティ-

団地のバワーブ(番人)の娘、ゼイナ(仮名)は、一日に何度も勢いよく階段を駆け上がってきては、7階の私の玄関扉をドンドン強くノックをした。

間違いなく、父親のハッサンの指示だった。なぜなら、娘が受けとる私からのチップは、そっくりそのままハッサンが奪って自分のものにしていたから。

もっとも、ハッサンは毎月、団地全ての住人からちゃんと管理費を貰っていた。

だが、欲深い男で、自分の子どもが別途貰うチップも狙いたく、それでやたらと娘に、住人たちの所へ行くように命令していた。

でも、ゼイナは決して渋々という感じではなかった。

いつだって楽しそうで、大きな目をキラキラさせ、私の顔をジイッと見つめてきた。

「ねえ、マダム。マダムはどうしてアラビア語がおかしいの? 」

「マダムは女なのに、どうしてひとりで暮らしているの」。

ゼイナはとても好奇心旺盛で、いつもいろいろ聞いてきた。何がそんなに面白いのか、分からないが私が質問に答えるたびに、大声で笑ったり、大袈裟に驚いたりしていた。

少女は他の住人の玄関扉も叩いてはいたが、私が唯一、彼女を邪険にしたり怒鳴ったりしない住人だった上、

それこそ女性ひとり暮らしだったから、彼女も来やすかったらしく、集中的に私の所ばかり来ていた。


トントン。

無視しても、私が部屋にいることを分かっている少女ゼイナは、こちらが応えるまで、えんえんとノックし続ける。

「マダム! 用事はありませんか」


やれやれ、また来たか...

ゼイナは当時、12歳だった。

いつもヒガーブ(スカーフ)を被り長い髪の毛を隠していたが、物心ついた時から、父親ハッサンの命令で、外ではヒガーブを必ず着用していたという。

そして多分、ゴミ捨て場で拾ったんじゃないか、という汚い服を着て、いつだって裸足だった。靴も草履も持っていなかったと思う。

でも常に笑顔で、何よりもキラキラ輝いた瞳がチャーミングだった。

「用事はないよ」

私がそう答えると、少女は露骨にがっかりした顔をし、うなだれトボトボ階段を降りていった。

それもそのはずで、父親のハッサンになじられるのだ。娘が用事をいいつけられない=自分にチップが入らないからだ。


だから、数時間たつと、再び階段を走ってきて、私の部屋の扉前に立ち、トントンとノックをしてくる。開けるまでまたトントンし続け、

「マダーム! 何か用事はないですか~?」。


最終的に私が根負け。別にそれほど欲しくなくても

「分かった、じゃあトイレットペーパーでも買ってきて」。

「マーシ!(了解)」。

そして私からお金を受けとると、また走って階段を降りて行く。戻ってきて、お釣りをチップとして受け取ると、満面の笑顔を見せ、

「ショックランゲジーラ!(ありがとう!)」。そして軽やかに去って行った。どうせまた数時間後に戻って来るのだけど。笑


ところで、ナセルシティにも、毎日ロバの野菜売りが来ていた。

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ああ来たな、というのが分かれば部屋の窓を開け、プスプスと呼び止めた。


そして7階の窓から長い紐がついたカゴを下に下ろす。カゴの中には

ポテト1kg、ニンジン1kg、トマト半kg

など書いたメモとお金(なるべくピッタリ)を入れておく。

するとロバの荷台のおじさんは、メモのとおりの野菜をそのカゴ入れ、代金はそのままちょうだいする。で、こちらはまた紐でカゴを上まで引っ張る。

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ナセルシティにくる野菜売りのおじさんは、私が外国人だからといって、決して傷んだ野菜をよこすことも、値段を吹っかけることもなかった。

お金持ち外国人が多いザマレック地区の物売りのように"すれて"いなかった。

そもそも、自分の部屋にいながら買い物をできるのはとても楽チンで、私は"窓から紐でカゴを下ろす買い物"スタイルを、なかなか気に入っていた。

だが、少女ゼイナはむっつりした。お分かりのとおり、自分を通す買い物じゃないので、チップを貰えないからだ。(イコール父親に八つ当たりされる)

だから、なんと強行手段に出て、カゴの紐(ロープ)をほどき、中身の入ったそのカゴを自分が階段を上って運んでくるようにしたのだ。

オイオイ、と思ったが、チップの額は日本円でわずか15円とか30円だったし、暴君な父親に怒鳴られないように、協力してあげないとなと思い、私はまあいいや、と何も文句は言わなかった。


彼女はもちろん学校には通っていなかった。

だから文字も読めなかった。少女はとにかく一日中働いているように見えた。廊下の雑巾がけも団地前のほうき掃きも、全ての住人の言い付けも一手に引き受けていた。

では親は何をしていたのか、といえば父親のハッサンは団地の入口に座って、建物を出入りする人々を見張り、住人以外の人物が来るようなものなら、つかさず張り切って尋問をしていた。

また彼は住人たちの郵便物を預かり、どこの宛先から誰にどんな郵便物が来たかチェックをし(さすがに勝手に中身開封はしていなかったはず)、

近所のほかのバワーブたちとはしょっちゅうつるんで、オッサン同士の井戸端会議に花を咲かせてばかりいた。


バワーブ...

カイロの集合住宅には必ずどの棟にも、バワーブと呼ばれる管理人がいた。

私の団地のバワーブ、ハッサンは娘にほとんど雑用を押し付けていたが、

普通は『めぞん一刻』の管理人の響子さんのように、バワーブ自身が各部屋のゴミ捨て、敷地内ほうき掃き、廊下の雑巾がけ、そして住民のための買い物などがするものだった。(ただし響子さんは、五号室の五代君ばかり贔屓し過ぎでしたな...)

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↑カイロのアパート/マンションのバワーブたち。みんなこんな感じだった。(ネット拾い画像)

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↑ルクソールの神殿のバワーブ


彼らは一見、貧しそうに見えるが、何を隠そう、羽振りの良いバワーブも大勢いた。というのは仲介料(マージン)だ。

部屋を探している新住居者を斡旋すると、大家から手数料が貰える。

だから「このアパートには空き部屋はあるか」とそこのアパートのバワーブに尋ねると、非常に熱心に協力をしてくれる。

また、女を自分の部屋に連れ込みたい輩は、集合住宅の入口でバワーブに阻止されぬよう、賄賂で買収するので、そういう"小遣い"も結構懐に入った。

お金持ち外国人の多く住む、高級住宅街ザマレック地区など、賃貸料が高いマンションのバワーブは、これがまたなかなかの高い仲介料を懐に入れているものだったのだ。


ナセルシティにある、私が住んでいた団地のバワーブ、ハッサンはしかしお金持ちではなかったが、娘に働かせ、自分はよくタバコも吸って自適悠々にしているようには見えた。

ちなみに彼は、地図にも載っていないような、ものすごい田舎の農村出身だった。

本人いわく、村にいた時は妻が三人いたという。

だけど、カイロに出てくる際に、全員は連れて来れなかった。だからひとりだけ連れて上京してきたのだという。どの妻にしようか、真剣に悩んだとか...

そして人づてで、このバワーブの住み込みの仕事を手に入れたのだそうだ。


一家は団地の地下室に住んでいた。

こどもはゼイナ以外、年少の息子もいたが、まだ幼すぎたのでほとんど見かけることもなく、あまり印象に残っていない。

ハッサンの妻(上京の連れに選ばれた妻)は見るからに大人しそうな女性だった。夫と子供以外とは口を利くことも全くなく、おそらく夫に禁じられていたからだろう。


しばらくすると、ゼイナは私から頼まれなくても、買い物をしてくれているようになった。

どういうことかというと、賢い子なのだろう。

2ヶ月ほど、私の買い物を続けて、どのくらいの日数でミネラルウォーターがなくなるのか、

パスタや菓子はどのメーカーのものを私が好きで、毎回数や量はどのくらい欲しがるのか、など私"傾向"を掴んだのだ。

だから、私がどこからか戻ってくると、トントンと私の玄関扉を叩き、

「何か買い物はありますか?」ではなく、

「マダム! もうお米が切れたでしょう? 新しい米を買っておきましたよ。」と、はいと買い物済みの食料品を渡してくるようになった。(支払いは"ツケ")

正直言うと、有り難迷惑(苦笑)だったのだが、屈託のない笑顔で現れると、「余計なことしないでね」とは言えず、

「気が利くわね、ありがとう」。


私が観光ガイドのバイトで遠出し、数日間戻らないと、

「マダム! お元気でしたか? いつお戻りになるか、いつかとずっと待っていたんです!」と走って飛んできて、私の旅行バッグをサッと持った。

チップ目的なのは明らかだったが、砂漠地帯の暗い団地にひとり暮らし。やはりいろいろ気が滅入ることも多く、そんな時にニコニコ笑顔で明るく

「マダム!マダム!」と近寄って来られると、ホッとするのも事実だった。


ところがある日、私がどこからか戻ってもゼイナが私の部屋の階まで上がって来ない。

気になって音楽を消して、玄関扉の向こうに耳を済ましたり、階段を見下ろしたり、ついうろうろ。

だけども、全く現れない。父親のハッサンの姿もどこにもなかった。

おかしいな、と思った。だってしかもその日は一ヶ月分の管理費を手渡しする日だったのだ。管理費受け取りの日に、ハッサンが姿を消したことは一度もない。

(ちなみに家賃は、毎月決められた日時に、必ず大家の妻がひとりで直接お金を受け取りにやってきた。一度も遅刻はなかった。一応毎回手書きの領収書は受け取っていたかな)


翌日..

ハッサンは見かけず、妻は裏でタライと洗濯板で衣服を手洗いしていた。

挨拶で声をかけると、なんだか沈んでいたので

「どうしたんですか」

と聞いてみた。

...

答えない。ふと見ると目に涙が受かんでいた。

おや、と思ったら、

後ろから旦那のハッサンが現れ、妻に向かい怒鳴りつけ引っ込ませた。


三日経っても、ゼイナは姿を現さず、トントン、ノックしにやって来なかった。

そこで、エレベーターで一緒になった、上の階の奥さんに

「バワーブの娘を見かけないが、何か知っていますか」

と尋ねてみた。奥さんは身を乗りだして

「あら、知らないの?」。

「何をですか?」

「そう、知らないのねえ」。勿体振ってニヤニヤ。


そのタイミングで、エレベーターがまたもや止まった。停電だ。

でも、もうこちらも慣れたもので、慌てはしない。どうせまたすぐに動くだろう。

奥さんもエレベーターに閉じ込められたことを、全く気にせず、やれやれホイッサ、とベタッと床に座りこんだ。

「あの子は具合が悪くて、動けないのよ。ずっと地下の部屋で寝込んでいるのよ」。

「えっ!?風邪とか?」

「風邪? とんでもない!」 奥さんは激しく両手を上下に振って、大袈裟に驚いた表情を見せた。

「割礼よ、割礼」

「えっ?」

「床屋で女子割礼をやられたのよ。ああ、やだやだ。エジプト人は野蛮よね。あたしらシリア人には考えられないわねぇ」。

奥さん、シリア人だったんだ。どうりで肌が白いわけだ、と思ったが、それはいいとして、

「床屋で女子割礼をするんですか!?」

びっくりして、私が聞き間違えたのではないか、と身振り手振りの英語でも確認してしまった。


女子割礼The term Female Genital Mutilation (FGM)(女性器切除)-

(あまり生々しくならないよう、あえてオブラートに包んで書きます。)大きく三つの方法に分かれ、

一つはク○トリス切除(タイプ1)、もう一つはク○トリスと陰核切除(タイプ2)、そして三つ目は女性器全体切除(タイプ3)だ。

最も有害で危険な形態であるタイプ3は、国の南部のいくつかの村(地域)を除いて、めったに行われてはいないらしい。

タイプ3は、外性器(陰核、小陰唇、大陰唇)の一部または全部の切除(除去)と、膣口の縫い目または狭窄である。

尿と月経血の流れを可能にするために、マッチ棒の直径程度の非常に小さな開口部だけが残される。


女子割礼のルーツは、数千年前に遡る、長く長く続いてきた土地の風習であるため、イスラム、コプト(キリスト)どちらの教えでもなんでもない。むしろ宗教とは無関係だ。

この慣習はエジプトの生殖年齢の女性の間でほぼ普遍的で、調査された女性の97%が、女子割礼を受けていることが判明したという。

少女の3分の2が7歳から10歳の間に手術を受けており、5歳未満のは5%未満で、13歳以上は3%未満だった。

(2000年の米国国際開発庁(USAID)による、エジプトで実施された一連の人口統計および健康調査(15〜49歳の既婚女性15,648人対象)。


90年代には、イスラム教とキリスト教の両方の高僧はこの慣習に反対を表明していた。エジプト政府も女子割礼を良しとしていなかった。

実際、1997年12月には、エジプトの最高裁判所は、女子割礼の実施に対する政府の禁止を支持している。

ところが厄介だが、長い間続いた慣習を無くすのは難しい。

多くのエジプト人は、女子割礼は宗教的伝統であるので重要であるとし、また女性の純潔を守るためにはとても必要なことである、と信じており、

実際に、まだまだ多くの男性は、女子割礼を受けていない女性を、結婚相手として受け入れることを拒んでいた。

その理由としては、清潔を保つためであると、また中には女子割礼は女性が結婚前に乱交することと、結婚後の不貞を防ぐ、最良の方法と信じる男性もいたからだ。

2000年の調査(DHS)でも、まだ大多数のエジプト人"女性"ですらも、この慣習を継続すべきだ、と回答した。

ただし、条件があり従来の助産師(TBA)や床屋ではなく、医師にのみが女子割礼手術をすべきだ、と彼女たちは主張した。

何故なら床屋やジプシー、助産婆が女子割礼を行う場合、局所麻酔薬を使わないことが多々あり、大量出血や、切除の失敗やショックによる死亡事例も後を絶たなかったからである。


....

ショック過ぎて私も声が出なかった。

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女子割礼(FGM)のことは、すでに方々から聞いてはいた。カイロの都会では、病院で医者がタイプ1の施術を行うのが主流。

地方の農村やギザ地区の貧困街では、確かに床屋や助産婦が"エグい"施術、タイプ2または3を行い、そのため、心身共に傷を負う。

いろいろ知ってはいた。ほとんどエジプトの女性の多くは経験していることも、聞いていた。

でも、身近なこんな小さなこどもが...と思うと失神しそうなほどの衝撃を受けた。


それから数日後だったかな、ようやくゼイナが上に上がってきて、トントン、私の玄関扉をノックした。

「ゼイナ! 大丈夫なの!?」

少女はこっくり頷いた。

だけども、しんどそうでどこか無理しているのが分かった。

「マダム、何か買い物ありますか?」

「...じゃあポテトチップス一袋だけお願いね。ゆっくりでいいからね。無理はしないでね」。

ゼイナは弱々しく微笑んだ。


心配だったが、彼女はその後徐々に回復したようで、そのうち走り回るのを見かけるようになった。

そして以前と同じように、日に何度も7階まで上がってきて

「そろそろなくなると思って、トイレットペーパーを買っておきました」

などと言って、手を差しだし、父親に奪われるチップを要求した。

だけど以前は、チップを受けとる度に、ニターと屈託のない笑顔を見せていたものの、割礼後の彼女の顔からはそれが消えてしまっていた。笑ってもどこか淋しそうで陰があった。

私がこの団地を去るまで、結局ゼイナは本来の太陽のような笑顔を二度と見せることはなかった。



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↑2013年FGM統計。Map of the Day: The Countries Where Female Genital Mutilation is Still Rampant - UN Dispatchより 
https://www.undispatch.com/map-of-the-day-the-countries-where-female-genital-mutilation-is-rampant/


追記:

2014年にはエジプト国内におけるFGMは61.1%に減少。

FGMは、心理的および肉体的に女性に影響を与える最悪の犯罪および違反の1つであるとし、

2016年の改正の際には、FGMは軽罪ではなく重罪として再定義され、

また女性性器の一部を切除したり、それらの臓器を切断、または負傷させた者は、5年以上の懲役に処されることが規定された。

さらに、犯罪が恒久的なハンディキャップにつながった場合、罰は7年以上の懲役と重労働を伴うものとし、その行為が死に至った場合、懲役は10年以上と定められた。

しかし2021年、少女にFGM施術を行った医師が逮捕される、という事件も起きた。言葉を返せば、今だに女子割礼が完全になくなっていないということだ。

また、2020年11月から2021年1月の間に行われた調査によると、対象者6000人の女性(エジプト南部)のほとんど全員が、幼い時または若い時にFGMを既に受けていた。

助産師によるものもあれば、医師や看護師によるものもあり、さまざまな方法にもかかわらず、彼女らは皆、FGMによる心身ともに悪影響や弊害に今だに苦しみ、

だからこそ、娘や将来の世代をこの"犯罪から守りたいと、全員がはっきり主張したという。果たして、完全にFGMが無くなるのは果たしていつのことか...


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↑ナワル・エル・サーダウィ:

エジプト、1931年生まれ。

医学を学び、若くしてエジプト保健省の要職に就いたが、女性器切除(FGM)を批判したため解任される。

77年の著書『イヴの隠れた顔』(邦訳・未来社)で、サーダウィは6歳のときに受けた自身の女性器切除の体験を生々しく語っている。

小説『0度の女』(邦訳・三一書房、75年)では強制結婚の実態も告発している。

81年にサダトの命令でサーダウィは逮捕され、多くの人は彼女が死刑されると思ったが、逮捕の1カ月後の81年10月にサダトは暗殺。サーダウィらは釈放された。 2021年3月21日没(89歳)


参照:

 https://www.refworld.org/docid/46d57876c.html 







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