見出し画像

新しい住まいは砂漠の団地!

前:


深夜過ぎ、部屋のベッドで眠っていると、外から響き渡る銃声音で目覚めた。犬の悲鳴も聞こえる。バンバンとキャインキャインがずっと続く。

またか、と思った。野犬狩りだ。警察が銃で野犬を撃ち殺していっているのだ。

「あーあ、やだやだ、こんな所やだやだ」。


砂漠シティこと、ナセルシティ(勝利の町)の団地に、私は住んでいた。

カイロ空港寄りにあるナセルシティは、1960年代に開発がはじまったものの、90年代当時でもまだまだ開発途中の砂漠地帯だった。

なぜ、こんな所に住んでいるのかといえば、事の発端はひと月前に遡る。

画像1

(↑ナイル川付近にはShubra とImbabaという地区もありますが、テロリストが多く住んでいる、と"噂"を聞いていたので、念のため絶対近寄らないようにしていました。
また、空港の下にNew Cairoがあるけど、2004年頃まではなかったです。新しい地区でしょう。でも地域名がニューシティって、そのままじゃないか!


簡単に言えば、同居人の素行不良のせいで(日本の感覚だと、男友達を招くだとか、自宅で男女合同誕生日パーティーを開催するとか、どうってことないが)、

「一週間以内に荷物をまとめて、全員出ていけ」

と大家(同居人の母親)に怒鳴られた。しかも家をすでにイギリス人に売却してしまっていたし。(多分、私の不在の時に下見に来ていたんだろう)


慌てて私はいろいろな人に電話しまくり、賃貸アパートのことを聞きまくった。

と、私がバイトをしていた旅行会社に、ターメルさんというハゲのおじさんがいた。

ターメルさんはオフィスでは、うだつの上がらない窓際族だったが、仕事ができなかったわけではない。

真面目で正直、実直、かつ約束も守り時間にも遅れないきっちとした人だった。

だから"悪い"同僚たちに手柄を奪われたり、いろいろ利用されたりし、どうしても前に出て来れないのだ。

エジプトでA型性格で生まれると、本当に気の毒だと思う。

ちゃんとしていることをあざ笑われ評価されない。自分だけ時間厳守や規則厳守しても、周りは誰も守らないので、本人はものすごくストレスが溜まると思う。

そういう意味では、もともとちゃらんぽらんな私は、エジプトで働くのは楽だった。仕事において、みんながいい加減なので、自分も適当で良かったから。笑


とにかく万年課長のターメルさんが

「親戚が所有している、"素敵な"アパートの部屋が空いているよ」。

「場所はどこですか?」

「ナセルシティといって、君はタクシーで通過したことしかない地域だが、景色は綺麗で、静かで安全な最高のロケーションなんだよ。」

ナセルシティ...

空港の方に確か、そんな地域があったな、と思った。でも確かに行ったことがなく、全く記憶にもない。

しかし、

「あちこち見て回る時間もないので、そこにします!信頼できるターメルさんの紹介なら間違いないし、ぜひよろしくお願いします!」


授業や仕事で時間もなかったこともあり、本当にナセルシティの団地を下見もせずに引越しをした。

引越し当日、タクシーに詰めるだけの荷物を載せ、住所が書かれたメモを運転手に渡し向かった。

が、タクシーはどんどん人気のない寂しい砂漠に入っていく。久しぶりに私はかなりドキドキした。

「着いた、ここだよ」。

降りる前に、運転手に10か15ポンド渡した。

普通なら、「足りない、もっとはらえ!」と言われるものなのに、このタクシー運転手は逆に

「いや、5ポンドで十分だ。(ぼったくり)外国人料金じゃなくて、エジプシャン(ローカル人)料金でいいよ。」。

えっ!?

我が耳を疑った。エジプトのタクシー運転手に、「多過ぎる」と返金してもらったのは、初めてのことだった。通常は十中八九は、「日本人は金持ちだ、もっと払え!」とせびられるのに。

「さあ、メモに書いてある"No.7"は、あの団地建物だよ。素早く降りて、サッと建物内に入れよ。気をつけろな、グッドラック」。

そしてそのタクシーは猛スピードで一目散に去った。

サッと建物内に入れ?  気をつけろ? グッドラック??

どういう意味なのかな、と首を傾げ立ったままでいると、何か気配を感じた。

ん!?

ふりかえると、野犬だった。

4,5匹の野犬が私を見ていたのだ。しかも全員、痩せていて飢えている顔つきで息遣いも荒い。

後でわかったが、ナセルシティは野犬だらけの地域で知られており、だからタクシー運転手はそそくさ居なくなったのだ。

ゴックン。唾を飲み込んだ。

周りを見渡すと、ぼつぼつ人がいるのが見かけた。みんな、こちらを無表情で眺めている。

でも誰も、野犬に囲まれかかっている私を助けようとはしていない。

どうしよう...

その時、バッグの中に、食パンを一斤入れていたことを思い出した。

だからバッグからその食パンを取りだし全て、遠くの先に思いっきり投げた。野犬たちはバッと、すぐにそっちへ飛んだ。

「今だ!」

私はその隙にダッシュで走った。

話は逸れるが、私は中学生の時、湘南の海の真ん前の学校に通っており、毎日のように体育の授業でも運動部の部活でも、海岸の砂浜沿いを走らされていた。

都内の高校に進学した後、中学三年間の海岸砂浜ジョギング成果で、校内マラソン大会でいつも一位になった。「第二のアベベ」と年寄り先生に命名されたほどだ。笑

人生、何が役立つか分からないもので、砂浜を走るのに慣れていたのが助かった。

一瞬で食パンを飲み込んだ野犬たちは、きびすを返し私の後を追ったが、なんとかぎりぎりセーフ。

捕まる前に、No.7の団地の中に入れた。重い荷物もいろいろ持っていたのに、さすが我ながら第二のアベベだ。笑


画像2

↑住んだNo.7の団地。私の全身は"エジトン"(エジトンのベネトン)。ベネトンぐらいしか、まともな服屋はなかった。肩にかけているショルダーバッグは、GUCCIです。こんな所でGUCCI 笑 


ゼエゼエハーハー。

団地玄関には、バワーブ(番人)のハッサンというオッサンがいた。

「この建物が、ナンバー7の団地か?」

まだゼーゼー言いながら、私はハッサンに尋ねた。

「イエス、イエス。マダム、待っていました、ウェルカム、ウェルカム」

ハッサンはニタニタして答えた。

けっ、野犬たちに睨まれている私をずっと見ていたのに、助けようともしなかったくせに、何がウェルカムウェルカムだ。

ハッサンは、すぐに12歳の娘を大声で呼んだ。

「マダム(私)のかばんを上の部屋まで運ぶのを手伝え」

すると、地下室から、ボロボロの服装で裸足の少女が走って現れた。名前はゼイナといった。笑顔はとても可愛いらしい。

もし私が男だったり、もしくは夫でもいたらハッサン本人が、上(8階)の部屋まで案内してくれただろう。

でも女性の私ひとりだけだったので、娘だけを一緒に行かせることにしたに違いなかった。

エレベーターが下りてくるのを待つ間、ゼイナは何度も私の顔を見上げ、凝視してきた。きっと外国人を間近でみるのが初めてで、物珍しいのだろう。


エレベーターに乗ると、途中いきなりグワングワン上下に大きく揺れた。

驚きと恐怖のあまり、腰を抜かしそうになってその場で座りこんだ。

なんとか上まであがったが、4階と5階の"間"でエレベーターは止まった。

だからエレベーターから"脱出"するのが一苦労だったが、ゼイナはケタケタ笑い

「マダム、こんなことはよくあること、マーレッシュ(気にしないでね)。この暴れん坊エレベーターに慣れないといけないよ」。

いや、命に関わる事故が多いエレベーターなのに、"気にしないでね"とは、おいおい...


5階から8階までは、スーツケースを引っ張って階段で上がった。いやあ、しんどいことよ...

事前にターメリックさん経由で受け取っていた鍵を開けて、中に入った。荷物運びを手伝ってくれたゼイナが、手のひらを差し出してきた。

「ああ、バクシーシね。ショックラン(ありがとう)」

と1ポンド札を渡した。

「ショックラン!」

裸足の少女は笑顔で階段で降りて行ったが、住民から受けとるお金はどんな小銭にでも、すべて父親のハッサンが巻き上げていることは後で知る。


家具と電化製品付きとはいえ、殺風景な部屋だった。

でも当時は単身者用アパートなんてまずなかったので、広さだけはたいしたものだった。8畳はある寝室が三つ、開放的なリビングルーム。

でも廊下、各部屋、台所を歩いていると、おや? ざらざらしている。

足元をよおく見ると床中、砂だらけだた。砂漠地帯だから、方々のすき間から砂がいっぱい入るのだろう。

台所の流し台の蛇口をひねってみた。大量の砂混じりの水が出た。お湯に切替しても、砂だらけだ。


「とりあえず、お風呂でも入ろう」

朝からずっと引越しの支度で体を動かし続け、しかも野犬から逃げるのに走った。もう汗で体中べとついていた。

浴槽にお湯を溜めていると、電話が鳴った。出るとターメリックさんだった。

「Lolo、Everything is okay?」

...

全然Okayじゃない、と言いたかったけど言えない。

「いい所だろ? 静かで空はよく見えるし、空港にも近いから仕事で空港利用する時は、とても楽チンだよ」。

ターメリックさんは心の底からナセルシティがいい所だ、と思っているようだった。

おそらく、彼自身はこういう寂しい地域が好きなんだろう。外国人にとっては住みにくいんじゃいか、などという想像は全くないようだ。さすが万年課長...


文句言っても仕方ないな、と思ったので、お礼だけ告げて電話を切った。

「もうお湯も溜まっただろう」

浴室に戻った。浴槽を覗き込み、ア然。

真っ黄色なのだ、張ったお湯が見事に真っ黄色!!!

...

さすがに砂だらけのお風呂に浸かる勇気は持てず、真っ黄色いシャワーをさっと浴びるのが精一杯だった。


体を綺麗にしたのか逆に汚したのか、分からないような砂シャワーの後、服を着て狭いバルコニーに出てみた。

お向かいのNo.18の団地建物の窓辺にいた、エジプト人のオバチャンと目が合った。

オバチャンは視線をそらしたり微笑んだりすることもなく、無表情でこのままこちらをじいと凝視。

バルコニーを見下ろすと、至る所で野犬がたくさんたむろっていた。

「早くまた引っ越そう」

ぽっつり思わず呟いた。まだ引越し初日なのだけど...!

画像11

※なぜかこの団地の部屋の写真は、まだありました。ここの前に住んでいた、ゴージャスだった邸宅(villa)の写真は一枚も見つからないというのに、トホホ

画像3

↑部屋の中からカメラを向けた玄関扉

画像4

↑テレビ上のウィスキーは、ツアーのお客さんからいただいたもの。余ったインスタント味噌汁、小分け醤油、小分けふりかけもよく貰いました。

画像5

↑ちょくちょく、ツアーグループのお客さんたちが、自由時間の合間に来てくれました。団地出入り時、野犬を巻くのは協力しあっていましたが、あと今頃思えば、万が一お客さんが噛まれていたら、重大問題になっていましたな、ゾクッ。

画像6

↑腕にキンキンなゴールドブレスレット(フェイクで150円ぐらい)ですが、観光ガイドをしていると、阪急ツアーのオバチャンたち(大阪人)に必ず褒められました。笑

画像7

↑エジトンではガラスのコップに熱いお茶を煎れます。 黒いボトルは、サニースーパーで買った、中国か台湾かインドネシアのまずい醤油。

画像8

↑台所。よくぞこんな所で料理をしていた、と我ながらギャアー!! (砂漠では砂がすぐに入ってくるので、しょっちゅうしょっちゅう床をほうきで掃いていました)

画像9

↑写真左は従姉妹と洗濯機。洗濯機の中が回るのではなく、洗濯機全体ごと暴れ狂うので、電源ONの時は、決して近づけない、危険な洗濯機でした。(スマホがあれば絶対動画を撮っている) メーカーは『ナセル SHARP』。
帰国後、親戚の法事で会った、SHARPでエンジニアしていた伯父さんに聞いてみましたが、「『ナセル SHARP』? 知らないなあ」と。エジプトが勝手きSHARPの名前を拝借した家電メーカーだったのかも。

画像10

↑従姉妹その2。日本からわざわざ遊びに来てくれましたが、芦屋生まれ育ちのお嬢さんで、私の団地に耐えられず、すぐにカイロ中心部の5つ星ホテルに移っちゃいました。

画像12

次へ:


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?