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【最強の瞑想リトリート!】 禅修業「大摂心」に今年も参加してきました。

 清涼山天龍寺が行っている禅修業「年末大摂心だいせっしん」に今年も参加してきました。

 摂心せっしんとは、マインドフルネス瞑想の言葉でいう「リトリート」と近い、いわば瞑想合宿です。摂心の期間は坐禅が生活の中心となります。

 ただ一般的なリトリートと異なるのは、その過酷さです。

 写真を挟みながらご紹介すると……

・夜21時30分頃に就寝。午前2時に起床。毎日睡眠時間は4時間半ほど。
生活はほぼ僧堂の中で行う。
僧堂で与えられる場所は、畳一畳に満たない空間
・その空間の上で 坐禅 & 食事 & 睡眠、すべてを行う。
小説家の「集中力」の鍛えかた
ここが僧堂
僧堂の中
与えられた一畳弱のスペース。青い布の奥に布団をしまえる。
この場所自分の畳の上で、眠って、食べて、坐禅する。


起床20分後(AM 2:20)から坐禅。就寝準備開始(PM21:00)までとにかく坐禅。
1セッションは3時間。それを朝から晩まで繰り返す。
・休憩として経行(歩行瞑想)ができる。
僧堂内は完全沈黙。
・外は雪。でも生活は裸足
・食事は1日2食。食事も坐禅をしながら行う。
・食事は応量器を使用した厳格なルールに基づいた食事法。
・この生活を1週間以上。
最終日は徹夜。
小説家の「集中力」の鍛えかた


世界中のさまざまな修行やリトリートに参加されいる方が、大摂心について「これまでで最も、そして他と比較にならないくらい断トツにキツイ」と仰っていました。

 僕もまったく同じ気持ちでした。
 一日中、坐禅の姿勢をとり続けていると数日もしないうちに体がバラバラになるほど痛み出します。僕が摂心に参加するようになって初めて知ったことは「長時間、坐禅をし続けると、足だけじゃなくて『手までむくむ』」ということでした。

 睡眠時間の短さもあって体力がなかなか回復しません。最終日の徹夜の辛さは相当なものです。そんななか集中力を維持して瞑想を続けるという経験はこれまでの人生を思い返しても大摂心以外にはありません。

 ただ大摂心が終わった後の感覚は、他では感じたことのないようなものです。あえて言語化するなら
「思考が凄まじく澄んでいる」状態で、
「踵が浮いているように心が軽い」とも感じました。
なにより自分がいまこの瞬間に、そのようなコンディションであることを「常に自覚できている」というのが特徴的です。

 また、サイエンスライターの鈴木祐さんの記事「バケーションは素晴らしい。しかし、瞑想合宿はもっと素晴らしい」によると、瞑想合宿のリトリートにおける効果は、実に10ヵ月も続くという研究結果が出ています。この結果は僕自身の実感と矛盾ありません。

 そして大摂心を経た後に得られるこの感覚は、言うまでもなく、素晴らしいものです。

「大摂心に出るとどうなるの?」

 と人に聞かれると「MPの上限が上がってしかも満タンの状態になる」と僕は答えています。もちろん冗談ですが、意外とこんな感じなのかもな、と言う気がします。

「MPは十分。あとは呪文さえわかれば、時間をとめられる」(笑)。

 今年も無事そのような状態になって戻ってきました。
 天龍寺の皆さま、年末の一大行事に参加させて頂いてありがとうございました。また仕事関係のみなさまにも、この年末の忙しい中連絡がつかなくなりご不便をおかけ致しました。ご理解いただきありがとうございました。そしてなにより、快く送り出してくれた家族に感謝しています(いつもありがとう)。


 みなさんのお住まいの近くの曹洞宗のお寺でも、摂心を行っているお寺はあるかと思います。一週間という単位ではなくても、一日単位での摂心を行っているお寺は数多くあり、また一般の参加を受け付けていることは珍しくありません。

 もしご興味があれば、まずは一度、一炷いっちゅう約40分ほどの坐禅を体験(参禅さんぜんといいます)してみてはいかがでしょうか。思っているよりも敷居は低く、そして集中力やストレスへの高い効果を感じられるかと思います。新年のチャレンジとしてぜひお薦めします。



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