Mr Z-Flag

学生時代より教学が好きで、ライフワークとして研鑽を重ねています。 最近、ちょっとしたき…

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学生時代より教学が好きで、ライフワークとして研鑽を重ねています。 最近、ちょっとしたきっかけがあり、気の向くままにnoteを始めてみました。 一個人の勝手気ままな教学談義ですが、商売の合間に綴っていきます。 email : zflag8888@gmail.com

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三大秘法抄に仰せの『戒壇』に関する一考察(『国立戒壇論』を理解するための総論です。)

1)はじめに   昨今、日蓮系を自称する一部の教団が、「国立戒壇の建立は日蓮大聖人の御遺命である」と主張している。その根拠は、三大秘法禀承事(通称:三大秘法抄、以下、三大秘法抄とする)に仰せの御文にあるということだが、果たして、その主張は正しいのであろうか。そこで、本稿では、三大秘法抄に仰せの『戒壇』について考察を重ね、大聖人の御真意を明らかにしていきたい。 2)御抄全体より考える  『戒壇』についての御指南(1) 三大秘法抄は1282年(弘安5年)4月8日、日蓮大聖人が6

    • 富士大石寺顕正会「2020(令和2)年・12月度総幹部会」での 浅井昭衛会長の講演を読みました -己義に終始した年度末の講演-

      1.〝歪曲〟と〝己義〟が浅井氏の代名詞  もとより浅井昭衛氏に「御書」を語る資格はない。浅井氏は〝日蓮(御書)歪曲主義者〟だからである。御書を〝歪曲〟し〝己義〟を垂れ流し続ける浅井氏。一年を締めくくる「12月度総幹部会」の講演も〝邪智顛倒〟を象徴する低俗なものであった。 (なお今回の講演も富士大石寺顕正会の公式ホームページに掲載されていない) 2.御書に根拠なき〝邪智の顛倒〟 今講演の趣旨を端的に表す言葉は以下の通りである。 ■引用(顕正新聞令和3年1月15日号より) 【

      • 富士大石寺顕正会「第三青年会館落成御入仏式」での 浅井昭衛会長の講演を読みました -「顕正会の遥拝勤行」は〝歪曲の重ね塗りの産物〟ー

        1.「顕正会の遥拝勤行」は〝歪曲の重ね塗りの産物〟  顕正新聞令和3年(2021年)1月5日付号に、富士大石寺顕正会会長・浅井昭衛氏が昨年12月13日に行った「第三青年会館落成御入仏式」での講演が掲載された。  前回のブログでは「顕正会の『遥拝勤行』は邪義」であると言及したが、今回の講演にもその邪義が見られるため、以下に重ねて指摘しておきたい。  最初に端的に浅井氏の講演を引用する。但し、いつもと違い、今回の講演は富士大石寺顕正会の公式ホームページには掲載されていないことを、

        • 富士大石寺顕正会「2020(令和2)年・11月度総幹部会」での 浅井昭衛会長の講演を読みました -顕正会の「遥拝勤行こそ邪義の証」-

          1.顕正会の「遥拝勤行こそ邪義の証」 顕正新聞に「『遥拝勤行こそ忠誠の証』特集号」と銘打たれている通り、富士大石寺顕正会会長・浅井昭衛氏が行った11月度総幹部会の講演は、「遥拝勤行」に関する珍説・奇説に終始された内容であった。  最初に端的に浅井氏の講演を引用する。毎度のことだが、講演を全文読みたい方は、富士大石寺顕正会の公式ホームページを参照して頂きたい。 ■引用(顕正新聞令和2年12月5日号より) 【1】  そして本門戒壇の大御本尊こそ、大聖人様の大慈大悲の結晶であるこ

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        三大秘法抄に仰せの『戒壇』に関する一考察(『国立戒壇論』を理解するための総論です。)

        • 富士大石寺顕正会「2020(令和2)年・12月度総幹部会」での 浅井昭衛会長の講演を読みました -己義に終始した年度末の講演-

        • 富士大石寺顕正会「第三青年会館落成御入仏式」での 浅井昭衛会長の講演を読みました -「顕正会の遥拝勤行」は〝歪曲の重ね塗りの産物〟ー

        • 富士大石寺顕正会「2020(令和2)年・11月度総幹部会」での 浅井昭衛会長の講演を読みました -顕正会の「遥拝勤行こそ邪義の証」-

          富士大石寺顕正会「2020(令和2)年・10月度総幹部会」での 浅井昭衛会長の講演を読みました②

          1.狂気じみた妄想による浅井昭衛氏の〝醜いレッテル張り〟 狂気じみた妄想で、悪意のレッテルを一方的に張って回る。浅井昭衛氏のいつもの〝バカげたやり口〟だ。10月度総幹部会で行った「池田大作先生の日中友好の大偉業に対する雑言」も、典型的な〝バカげたやり口〟だった。 2.浅井氏は真実を直視せよ! ここで、池田大作先生の『日中友好の大偉業』について、その真実を客観的に裏付ける証言を記していきたい。なお、それらの証言は余りにも膨大な量であり、到底すべてを紹介しきれるものではないこと

          富士大石寺顕正会「2020(令和2)年・10月度総幹部会」での 浅井昭衛会長の講演を読みました②

          富士大石寺顕正会「2020(令和2)年・10月度総幹部会」での 浅井昭衛会長の講演を読みました①

          1.浅井昭衛氏の常套手段 -不安と恐怖を煽る- 今月も〝日蓮歪曲主義者〟の浅井氏らしい〝歪曲〟に満ちあふれた講演であった。  浅井氏は自身の講演を正当化するために、今回も撰時抄と上野殿御返事(梵帝御計事)の一節を、結論で引用している。同じ御文は先月の総幹部会でも引用されたが、この内「撰時抄」に関する〝歪曲〟への指摘は、当ブログの「『2020(令和2)年・9月度総幹部会』での浅井昭衛会長の講演を読みました②」で記した。  今回は、上野殿御返事について検証して参りたい。最初に端的

          富士大石寺顕正会「2020(令和2)年・10月度総幹部会」での 浅井昭衛会長の講演を読みました①

          富士大石寺顕正会「2020(令和2)年・9月度総幹部会」での 浅井昭衛会長の講演を読みました②

          1.撰時抄の御精神を踏みにじった浅井昭衛氏 前回の「現当二世」に続き、今回は撰時抄の御精神を〝歪曲〟し〝踏みにじった〟浅井氏の悪質な講演を検証したい。  今講演で2度引用された御文がある。それは撰時抄に仰せの「前代未聞の大闘諍」である。それでは最初に、関連する浅井氏の講演を端的に引用したい。 ■引用(顕正新聞令和2年10月5日号より)  この対決(筆者注:アメリカと中国の対決)は、世界の覇権を賭した戦いであるから、やがて全世界を巻き込む。そして最終的には核兵器をも使用する大

          富士大石寺顕正会「2020(令和2)年・9月度総幹部会」での 浅井昭衛会長の講演を読みました②

          富士大石寺顕正会「2020(令和2)年・9月度総幹部会」での 浅井昭衛会長の講演を読みました①

          1.浅井氏は日蓮歪曲主義者 毎度のことながら、浅井氏の十八番である〝歪曲の漆塗り手法〟に彩られた悪質な講演であった。〝歪曲の漆塗り手法〟とは〝複数の角度から複数の歪曲を混ぜ込ませ塗り重ねていくやり方〟のことである。その歪曲の一端を以下に指摘したい。 2.講演に見る歪曲 今講演でも浅井氏は、いつもの調子で社会的な不安を煽り立てた上で、次のように述べた。なお、長文になるため簡潔に引用した。前後も含めて講演の内容を確認したい場合は、富士大石寺顕正会の公式サイトを参照して頂きたい。

          富士大石寺顕正会「2020(令和2)年・9月度総幹部会」での 浅井昭衛会長の講演を読みました①

          富士大石寺顕正会「2020(令和2)年・8月度総幹部会」での 浅井昭衛会長の講演を読みました②

           まるで、戦争が起きることを望んでいるかのようであった。富士大石寺顕正会の8月度総幹部会で講演した浅井昭衛氏は、日本国憲法を「空理」「空論」とこき下ろしたあげく、次のように言い放った。少し長文になるが、顕正新聞令和2年9月5日付より以下に抜粋して紹介する。 ■引用  すでに「アメリカ一強」という時代ではなくなっているのです。 このような状況の中で、中国の侵略が日本におよぶとき、アメリカは果して「いかなる犠牲を払ってまで」して日本を防衛するであろうか。 そのようなことはあり得

          富士大石寺顕正会「2020(令和2)年・8月度総幹部会」での 浅井昭衛会長の講演を読みました②

          富士大石寺顕正会「2020(令和2)年・8月度総幹部会」での 浅井昭衛会長の講演を読みました①

          1.浅井氏は日蓮歪曲主義者  富士大石寺顕正会会長の浅井昭衛氏。その人物的本質は「日蓮歪曲主義者」である。歪曲とは「故意にゆがめること、ことさら事実をいつわって伝えること」である。つまり浅井氏は、日蓮大聖人が御書(遺文)に記された文脈を自分勝手に歪曲し、大聖人の意図とは違うものを、さも大聖人の真意であるかのように、世間に言いはやしているのである。 2.8月度総幹部会の講演に見る歪曲  令和2年9月5日付の顕正新聞2面~4面に、8月度総幹部会における浅井氏の講演が掲載された。

          富士大石寺顕正会「2020(令和2)年・8月度総幹部会」での 浅井昭衛会長の講演を読みました①

          根本精神は「民衆立による安国」

           大石寺26世・日寛は、立正安国論文段のなかで立正安国論のことを「凡そこの論はこれ国主諌暁の書」(日寛上人文段集7㌻)と位置付けた。これは立正安国論とは、国家そのものや権力に対して働きかけた「国家諌暁の書」ではなく、一人の人間としての国主(権力者)に対して宗教的な覚醒を促された、「国主諌暁の書」であることを指摘したものである。なお、ここでの国主とは、「位」などのいわゆる立場というよりも、むしろ、民衆に対して直接の政治的な影響を与える「政権」(国の統治機構を動かす権力)を掌握す

          根本精神は「民衆立による安国」

          「『国立戒壇』って、何!?」という方のために、『国立戒壇論』を理解するためのQ&Aを作成しました!

          Q:国立戒壇論って何?  A:国立で戒壇を建立するということです。国家によって戒壇を設立し、維持・管理させようとする主張です。  これを実現するためには、憲法第20条(信教の自由と政教分離原則)を改正しなければなりません。 Q:そもそも戒壇って何?  A:見習い僧が正式な僧侶となるために戒を受ける儀式を行う場所。この戒壇で、受戒する者は戒師の前で戒律の順守を誓います。 (授戒とは戒を授けること、他方、受戒とは戒を受けること) Q:国立戒壇について、御書にはどう書かれている

          「『国立戒壇』って、何!?」という方のために、『国立戒壇論』を理解するためのQ&Aを作成しました!

          受持即持戒の精神(総論を理解するための小論④です。総論を理解するための手掛かりとして下さい)

           日蓮大聖人の仏法では「受持即持戒」と言われる。つまり、末法においては、南無妙法蓮華経の御本尊を受持することが、そのまま戒を持つことになるという意味である。  もともと「戒」とは、サンスクリットのシーラの訳で、仏道修行者が自ら誓い自分に課した戒めのことであり、「防非止悪」の意義があるとされる。加えて、「律」とはサンスクリットのヴィナヤのことで、教団の規則のことである。一般的に日本では同一視されており、まとめて「戒律」と言われることが多い。  中国仏教で立てられた考え方では戒を

          受持即持戒の精神(総論を理解するための小論④です。総論を理解するための手掛かりとして下さい)

          さる間・成仏は持つにあり(総論を理解するための小論③です。総論を理解するための手掛かりとして下さい)

           「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(御書1136)。この有名な御文は、日蓮大聖人が四条金吾に与えられた別名「此経難持御書」の中に出てくる一節である。「此経難持」(此の経は持ち難し)とは法華経見宝塔品第十一に出てくる経文で、仏の滅後に法華経を受持することがいかに困難かを示した言葉である。  当時、主君や同僚から怨まれ、社会的に苦境に立たされていた四条金吾は、つい 【御文】 貴辺のかたらせ給ふ様に持つらん者は現世安穏・後生善処と承つて・すでに去年より今

          さる間・成仏は持つにあり(総論を理解するための小論③です。総論を理解するための手掛かりとして下さい)

          「国立戒壇思想」の源流を考える (総論を理解するための小論②です。総論を理解するための手掛かりとして下さい)

           日蓮大聖人が三大秘法抄等で仰せになられた「本門の戒壇」について、現在も「国立で建立することが大聖人の御遺命である」と主張する教団がある。その教団の書籍には、「御遺命の戒壇とは『広宣流布の暁に、国家意思の表明を以て、富士山天生原に建立される国立戒壇』である」と記されていた。その上で、本門の戒壇が国立でなければならない理由として、三大秘法抄を以下のように解釈を示していた。  ①「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して」とは、国家が宗教の正邪に目覚め、日蓮大聖人の仏法こそ国家安泰の唯

          「国立戒壇思想」の源流を考える (総論を理解するための小論②です。総論を理解するための手掛かりとして下さい)

          戒壇の歴史的背景を考える(総論を理解するための小論①です。総論を理解するための手掛かりとして下さい)

          【仏教伝来と戒壇の設立】 日本への仏教初伝は6世紀とされる。公伝(公的な伝来)については、出典により諸説あるが、特に欽明天皇の時代の、552年と538年の2説が知られている。(日蓮大聖人は諸御抄の中で552年説を用いられている)  『日本書紀』によると、仏教公伝当初、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏が争い、用明天皇の御代の587年に物部氏が滅びて正式に仏教が受容された。その後、用明天皇の皇子である聖徳太子が仏教を手厚く保護し、法隆寺や四天王寺などを建立した。ちなみに、日本の仏教

          戒壇の歴史的背景を考える(総論を理解するための小論①です。総論を理解するための手掛かりとして下さい)