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「国立戒壇思想」の源流を考える (総論を理解するための小論②です。総論を理解するための手掛かりとして下さい)

 日蓮大聖人が三大秘法抄等で仰せになられた「本門の戒壇」について、現在も「国立で建立することが大聖人の御遺命である」と主張する教団がある。その教団の書籍には、「御遺命の戒壇とは『広宣流布の暁に、国家意思の表明を以て、富士山天生原に建立される国立戒壇』である」と記されていた。その上で、本門の戒壇が国立でなければならない理由として、三大秘法抄を以下のように解釈を示していた。

 ①「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して」とは、国家が宗教の正邪に目覚め、日蓮大聖人の仏法こそ国家安泰の唯一の大法、衆生成仏の唯一の正法であると認識決裁し、これを尊崇守護することである。
 ②「勅宣」とは天皇の詔勅。「御教書」とは今日においては閣議決定・国会議決等がこれに当たる。「勅宣並びに御教書を申し下して」とは、国家意思の公式表明を建立の手続きとせよということである。
 ③戒壇建立の目的は仏国の実現にある。仏国の実現は、国家次元の三大秘法の受持があって初めて実現する。その具体的姿相こそ、「勅宣・御教書」の発布である。
 ④国家意思の表明により建立された本門戒壇に、「本門戒壇の大御本尊」が奉安されれば、日本国の魂は日蓮大聖人となり、日本は「仏国」となる。
 ⑤全人類救済のための大法を、国家の命運を賭しても守ることが日本の使命である。このように崇高な国家目的を持つ国は世界のどこにもない。 
 ⑥日本に本門戒壇が建立されれば、この大波動は直ちに全世界に及ぶ。そして世界の人々がこの本門戒壇を中心として、一同に南無妙法蓮華経と唱える時がくれば、世界が仏国土となる。この時、地球上から戦争・飢餓・疫病等の三災は消滅する。

 そして、教行証御書の「前代未聞の大法此の国に流布して、月氏・漢土・一閻浮提の内の一切衆生仏になるべき事こそ、有難けれ有難けれ」(御書1283)との御文を引用し、「大聖人の究極の大願はここにあられる。そしてこれを実現する鍵こそが、日本における国立戒壇建立なのである」としていた。
 しかし、本当に国立戒壇の建立が日蓮大聖人の唯一の御遺命なのか、または、富士大石寺の伝統教義であるのかーー疑問を抱かずにはいられない。
 なぜなら御書の中に「国立戒壇」という言葉は一箇所もなく、明治時代以前の大石寺の法主の言葉にも「国立戒壇」という言葉は見られないからだ。さらに、大石寺門流以外の日蓮系各派においても、江戸時代以前の戒壇論は、法華経に説示される本国土妙、霊鷲山、常寂光土等を理論的根拠として、大聖人の仏法を信受・修行する場そのものがすでに戒壇であるという「普遍的戒壇論」が主流であり、特定の場所に戒壇を建立するという思想や、国立戒壇論はなかったからである。

 そこで、国立戒壇論の思想の源流を求めていくと、田中智学という宗教家が、1901年(明治34年)に初めて、三大秘法抄で仰せの「本門の戒壇」を「国立戒壇」と創唱したことがわかった。では、その田中智学とは、一体どのような人物なのか。
 田中智学(1861年~1939年)は、明治中期から昭和初期にかけて活躍した宗教家である。日蓮宗身延派の寺院で得度するが、後に還俗して1884年(明治17年)に立正安国会(後の国柱会)を設立した。そして、天皇中心の明治憲法下において、日蓮主義という国粋主義的な宗学を立て、当時の日本の国体思想を養護し大きな影響力を持つようになった。さらに智学は、大聖人の本懐は「国教化」にあるとして、日蓮仏教の国教化による政教一致(法国冥合)を目指す手段として、国立戒壇建立を訴えたのである。
 宗教学者の大谷栄一によると、智学が取り組んだ「日蓮主義運動」とは、「第二次世界大戦前の日本において、『法華経』にもとづく仏教的な政教一致(法国冥合・王仏冥合や立正安国)による日本統合(一国同帰)と世界統一(一天四海皆妙法)の実現による理想世界(仏国土)の達成をめざして、社会的・政治的な志向性をもって展開された仏教系宗教運動」(近代日本の日蓮主義運動)とあった。
 また、松岡幹夫は智学について、「近代天皇制を日蓮仏教によって意味づけ、日本国体の仏教的意義を国民に啓蒙するところに彼の真の目的があった。それゆえ智学の日蓮主義には政治イデオロギー色が強く、日本による世界統一を唱えるなど、極端な汎日本主義を中核に置くことから、一種の超国家主義=ウルトラ・ナショナリズムとみなされている」(日蓮仏教の社会思想的展開)と評している。
 智学の国体主義への傾倒は、明治末期から大正期を経て、昭和期に入るとますます激化していった。智学は、大聖人の仏法を自らの〝国体主義〟を鼓吹する道具として利用し、〝天皇は世界戦争の解決者たる賢王〟〝天皇を戴く日本民族には世界を統一する使命がある〟などと主張して、軍部主導の体外膨張主義を積極的に支持したのである。その結果、智学の思想に影響を受けた者たちは、侵略戦争へと狂奔していくことになる。
 では智学の中で、日蓮仏法と国立戒壇は、どのように関連付けられていたのであろうか。大谷栄一によると、智学が「三大秘法抄」の一節を解釈して、国立戒壇建立のプロセスとして提唱したのが、①二法冥合、②事壇成就、③閻浮統一、である。この中で②の「事壇成就」については、「日蓮仏教に帰依者が集まると国会で大日本帝国憲法の信教の自由の条項が改正される。国会の一致によって憲法改正がされる。それを受けて天皇が憲法を変えて日蓮仏教を国教にするという大詔渙発の語が出されるという言い方をしているわけです。それによって『一国同帰』、日本中の国民が日蓮仏教に帰依する状態になると言い方をして、国立戒壇が成就する」(近代日本の日蓮主義運動)と解説している。  
 「権力の力で日本中の人々を日蓮仏法に帰依させる」――この点だけを見ても、智学の国立戒壇論が、大聖人の仏法からかけ離れた異質な思想であることは明らかである。なぜなら、大聖人は鎌倉幕府の最高実力者であった平左衛門尉頼綱に対して、「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」(御書287)と仰せであるからである。
 王の支配する地に生まれたので、身は従えられているようでも、心を従えることはできない――このように断言される大聖人が、権力の力で人々を信仰に帰依させるこなど、有り得ないのである。

 ここまで田中智学について検討してきたが、その結果として、智学の主張と、冒頭で触れた「現在も国立戒壇の建立が日蓮大聖人の御遺命であるとする教団」の主張には、多くの共通点があることがわかる。具体的には「日蓮仏法を国教にする(国家が宗教の正邪に目覚め大聖人の仏法を尊崇守護する)」、「国立戒壇の建立で日本を仏国にする」、「世界の中で日本だけがその使命を持つ」などの点である。
 加えて言うならば、日蓮仏法による世界統一実現のために戦争を肯定した智学と、その教団が布教活動の中で、何度も反社会的な行為を行い、問題となっていることは、「自己の主張の実現のために、必ずしも、対話という手段に徹して相手の得心を得る訳ではない」という点で類似している。

 ともあれ、日蓮大聖人とは無関係の「国立戒壇」という言葉を使い、〝国立戒壇建立こそ日蓮大聖人の唯一の御遺命である〟と喧伝する先の教団の行為は、明確に大聖人に違背するものである。この点、彼の妄言に騙されている人が一日も早くその過ちに気付き、正しい大聖人の仏法に目覚めることを切に願って止まない。