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「『国立戒壇』って、何!?」という方のために、『国立戒壇論』を理解するためのQ&Aを作成しました!

Q:国立戒壇論って何?  

A:国立で戒壇を建立するということです。国家によって戒壇を設立し、維持・管理させようとする主張です。
 これを実現するためには、憲法第20条(信教の自由と政教分離原則)を改正しなければなりません。

Q:そもそも戒壇って何?  

A:見習い僧が正式な僧侶となるために戒を受ける儀式を行う場所。この戒壇で、受戒する者は戒師の前で戒律の順守を誓います。
(授戒とは戒を授けること、他方、受戒とは戒を受けること)

Q:国立戒壇について、御書にはどう書かれているの?

A:御書に「国立戒壇」という文字はありません。御書には、「戒壇」という言葉が26回出てきますが、「国立戒壇」と書かれている箇所は1つもありません。

Q:なぜ国立戒壇という考えが出てきたの? 

A:「国立戒壇」は、明治時代に、立正安国会の創始者・田中智学が言い始めました。田中智学は、天皇中心の明治憲法下において「日蓮主義」という国粋主義的な時代迎合の宗学を立て、日本の国体思想を擁護し、大きな影響力を持つようになりました。
 そのため、田中智学が唱えた「国立戒壇論」は、他の日蓮宗各派にも取り入れられるようになり、大日本帝国時代の戒壇論の主流になりました。
 しかし、第二次大戦後、政教分離を規定した現在の日本国憲法が施行され、天皇が主権者でなくなると、天皇帰依を前提とした国立戒壇論の意義は変化していきました。

Q:国立戒壇を主張している人は、何を根拠に主張しているの?

A:三大秘法抄の「勅宣並びに御教書を申し下して」との一節が根拠です。そもそも「国立戒壇」という言葉は、田中智学が著した「本化妙宗式目」の中で初めて使われた言葉です。当然、大聖人の御書には一度も記されていません。
 田中は三大秘法抄の御文を、「国体思想」に沿って解釈していき、「勅宣」を天皇による「大詔」(天皇が広く国民に告げる重大な言葉)、「御教書」を「国会の議決」と捉えました。
 さらに、「王法仏法に冥じ」は、「仏法は国家の精神たるに至る」ことであり、「仏法王法に合して」は、仏法を国体擁護と世界統一の大思想として「国法化」すると述べています。
そして、「国立戒壇建立の過程」を通して、日蓮仏法の国教化、政教一致を成し遂げ、さらには日本による「閻浮統一」(世界統一)を訴えました。

Q:勅撰、御教書って何?

A:勅宣とは「天皇の命令を伝える公文書」。御教書は「高官が出す命令書」のことで、鎌倉時代には「幕府の命令書」も指します。「勅宣」は、天皇の命令による「宣旨」と、上皇による「院宣」の総称です。また、大聖人が三大秘法抄に記された御教書は、鎌倉幕府が発する「関東御教書」を指していると考えられます。
 朝廷の「詔書」および幕府の「下知状」が最重要事項に対する命令であるのに対して、「勅宣」「御教書」は、公文書ではあっても主に通常の問題に関する命令といえます。そのため、「勅宣並びに御教書を申し下して」の一節は、「重大な国家意思の表明」などではなく、通常の命令・決定および手続きなどを示す公文書を出すことだと考えられます。

Q:「勅撰・御教書」が国立戒壇建立の根拠と本当に言えるの? 

A:言えません。現在、天皇は象徴となり、将軍も執権もいない「主権在民」の時代です。民衆の意思こそ重要です。大聖人の時代には、新たに戒壇を建立しようと思えば、先例にしたがって天皇の「勅宣」と幕府の「御教書」が必要でした。また、当時の時代からすれば、一国の広宣流布は、天皇や幕府の指導者の正法への帰依がなければありえないことから、「勅宣・御教書」を戒壇建立の条件として記されたと拝せます。
 しかし、信教の自由が保証されている現代では、「勅宣・御教書」がなくても戒壇は建立できます。主権在民の現代にあっては、民衆一人一人が正法に帰依していくことが広宣流布の姿であり、民衆の意思こそ「勅宣・御教書」に代わるものとも言えます。

Q:大聖人の御精神のうえから、戒壇は「国立」にすべきなの? 

A:違います。「国立」の戒壇に、大聖人のご精神はありません。大聖人のご在世当時、東大寺、観世音寺、延暦寺の3寺に国立戒壇が設けられていました。天皇から得度を許され、国立の戒壇において授戒を受けた僧を官僧といいます。
 官僧は、朝廷や幕府のために祈祷行い、国家から給付をうけとり、さまざまな特権が与えられていました。現代に当てはめて言えば「国家公務員的な僧侶」といえるでしょう。
 このような授戒制度は、奈良時代の唐僧・鑑真の来朝にはじまり、14世紀半ば(鎌倉幕府末期から室町幕府初期)には、その役割を終えています。
 これらの歴史的事実を踏まえると、国立戒壇とは、特定の時代の、特定の国(日本)における、授戒制度の一部と言わざるを得ません。はたして、制度的・形式的戒壇の建立に、大聖人のご真意があるのでしょうか? 否、まったくありません。
 「報恩抄」のなかでは、

「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(御書329ページ)

と仰せになり、万年を超えて未来永遠に渡る広宣流布を指向されています。
 また、「顕仏未来記」では、

「月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く」(御書508ページ)

と仰せになり、大聖人の仏法が全世界に広宣流布していくことを予言されています。
 さらに、佐渡流罪から鎌倉に帰還された大聖人は、幕府から、土地や堂舎を寄進することを条件に、国家の安泰を祈るように要請された時も、それを敢然と拒否され、国家の権力に縛られない、仏法者としての屹立した姿勢を示されました。
 このように、時代的・地域的制約を超え、いかなる権力にも縛られない、未来永遠に渡る世界広宣流布こそが、大聖人のご精神です。
したがって、古代から中世における、一国の繁栄のための、授戒制度の一部である「国立戒壇」に、大聖人のご精神が脈打つはずは断じてなく、むしろ大聖人のご意思に違背するものと言えるでしょう。