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戒壇の歴史的背景を考える(総論を理解するための小論①です。総論を理解するための手掛かりとして下さい)

【仏教伝来と戒壇の設立】

 日本への仏教初伝は6世紀とされる。公伝(公的な伝来)については、出典により諸説あるが、特に欽明天皇の時代の、552年と538年の2説が知られている。(日蓮大聖人は諸御抄の中で552年説を用いられている)
 『日本書紀』によると、仏教公伝当初、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏が争い、用明天皇の御代の587年に物部氏が滅びて正式に仏教が受容された。その後、用明天皇の皇子である聖徳太子が仏教を手厚く保護し、法隆寺や四天王寺などを建立した。ちなみに、日本の仏教の興隆は寺院の建立によるところが多く、これが飛鳥文化・天平文化の中心をなしたとされる。
 さて、時代は下り奈良時代に入ると、701年に大宝律令が制定された。これにより、天皇を中心とする官僚機構が設置され、本格的な中央集権統治体制が成立した。しかし、国情としては、地方での反乱や、災害、伝染病の流行などが相次ぎ、そのため社会全体をある種の不安感が覆い、庶民は苦しい生活を余儀なくされていた。そこで、724年に即位した聖武天皇は、このような災いから国家を守ろうと、仏教の力を強く頼み、深く帰依している。
 当時の出家僧は、国家から保護をうけ、税や刑罰を免除されるなどの優遇を受けていた。その影響により、正式な許可を受けずに僧となる私度僧(自分で出家を宣言した僧)が多数あらわれ、律令政下の身分制度を混乱させる要因となっていた。そこで聖武天皇は、伝戒師(僧に位を授ける人)制度を日本に普及するために、適任者を捜した。このような背景もあり、日本から唐に渡った栄叡・普照らは、四分律〈1〉に基づく南山律宗の継承者であり、4万人以上の人々に授戒したとされていた揚州・大明寺の住職・鑑真に訪日を懇請したとされている。その後、苦難に次ぐ苦難の末に、ようやく鑑真は日本の土を踏むこととなる。
 754年、鑑真は東大寺大仏殿の前に戒壇を築いて、上皇から僧尼まで400名に菩薩の戒を授けた。これが最初の戒壇である。その後、東大寺に戒壇院、筑紫(現在の福岡県)大宰府の観世音寺と下野国(現在の栃木県)薬師寺に戒壇が設置され、戒律制度が急速に整備されていった。
 これ以降、天皇から得度を許され、国家の定めた戒壇にて授戒を受けた僧を官僧とするようになる。官僧は、朝廷のために祈祷を行い、さまざまな特権や給付を与えられ、次第に政治と密接に関わるようになる。

【大乗戒壇の設立と鎌倉時代の機能】

 平安初期の僧で、日本天台宗の開祖・最澄(伝教大師)は、法華経を根本とする天台宗を開創し、法華経の一仏乗の思想を宣揚した。晩年は大乗戒の独立を目指し、822年、最澄の没後7日目に勅許が下りたことにより実現した。そして比叡山に日本で最初の天皇の勅許を得た大乗戒壇が建立されたのである。
 さらに時代が下り、日蓮大聖人が活躍された鎌倉時代では、律令制は形骸化し、政治の実権は、武士を中心とする鎌倉幕府に移っていた。天皇は、政治的な権威としては存在していたが、何かを行使する実力は失っていた。このような政治的背景もあってか、当時は官僧と私度僧の区別もなくなり、授戒を行う戒律制度も崩れていた。事実、「鎌倉新仏教」と言われる6宗の開祖(日蓮大聖人、法然、親鸞、一遍、栄西、道元)は全員、延暦寺で修業をした経験を持つ。これら6宗は、教義はまったく異なるが、禅宗を除けば、旧仏教(南都六宗など)が求める厳しい戒律は、信仰の実践に不要であるという点で共通している。さらに言えば、当時、戒律復興運動を起こした叡尊でさえも、受戒の儀式を伴わない自誓受戒〈2〉を推奨している。これは、ある一面、これまで天皇や貴族、国家のためのものであった仏教を、武士階級や庶民に普及し、それぞれの宗派なりに、仏教の民衆化を図る試みであったと見ることもできよう。
 これらの歴史的事実を見ると、所謂「授戒の場としての戒壇」の機能や仏教的な意義は、日本仏教において13世紀には、その実質的な役割を終えたと言えるだろう。ましてや現代にあって、あえて授戒をする特別な場所を国家の手によって建設する仏教的意義など、まったくない。


■脚注

〈1〉中国・後秦の時代、法蔵部に伝承された律を仏陀耶舎[ぶっだやしゃ]が中国に伝え、竺仏念[じくぶつねん]らと訳したもの。60巻。内容が4段に分かれていることから、このように呼ばれた。道宣らによって中国に広められ、日本には鑑真によってもたらされた。東アジアで最も広く用いられた律。道宣の『四分律行事鈔』では、戒を四つに分け、仏によって定められた戒についての教えを戒法、授戒の儀式によって心に納めて防非止悪の功徳を生ずる本体を戒体、戒を持って実践修行することを戒行、五戒・十戒・具足戒などの具体的な戒の規定を戒相とする。
〈2〉大乗仏教の菩薩戒を受けたいにもかかわらず、周囲に戒師がいないとき、仏菩薩の形像の前で、自ら誓い、菩薩戒を受けること