ざっきー

徒然なるままに。思考の切れはし。 そんなエッセイもどき。 普段はしょうもないネットラジ…

ざっきー

徒然なるままに。思考の切れはし。 そんなエッセイもどき。 普段はしょうもないネットラジオをしています。noteでは僕の中の真面目な思考をとめてみますね。丁寧な暮らしに繋げる為の備忘録。 最近は、他者とのコミュニケーションにおける言葉や表現について思考を巡らせていることが多いです。

最近の記事

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配信しているラジオ番組について

▼はじめにごきげんよう。ざきです。 今回は私のラジオのリスナーさんに向けての記事です。 忙しない日常の中でも、常日頃から私の拙いコンテンツに接して頂いている皆々様。 ご理解とご協力、そしてご贔屓頂きまして誠にありがとうございます。 私もあちこちで複数番組を配信していて、既に一人ラジオ局状態になってしまっているので、大なり小なり交通整理のためのリンク集を、1箇所で確認出来るように纏めておこうと思います。(2022年1月現在) 【各番組サムネイルに番組ページのリンクを貼り付け

    • 七転び八転び、転倒する男

      しちてん-はっき【七転八起】何度失敗してもくじけず、立ち上がって努力すること。転じて、人生の浮き沈みの激しいことのたとえとして用いることもある。七度転んでも八度起き上がる意から。▽一般に「七転ななころび八起やおき」という。「転」は「顛」とも書く。(三省堂 新明解四字熟語辞典) という意味だそうです。 七回転ぶどころか、八回以上転んでいる気がする私です。 努力の嵩は人それぞれなのだと思います。 失敗というものについて、 私は幼い頃から極端に恐れる子どもだったと思います。

      • 人生の時間

        人生の時間って、何か大きなことを成し遂げるには短すぎるし、怠惰に暮らすには長すぎるなあと最近つくづく思う。 私が今過ごしているこの時間は、いったい何のためなのか。 「やらなければいけない日々のあれこれ」に追われていると、そんなことをふと思うことがある。 好きなことを、強みとか得意なこととして押し上げられていたら、それともそんなことを考える暇もなく忙しなく働いていたら、こんなことを考えることも無いのだろうか。 それはそれで味気無いのかもしれないけれど… 自分のやりたいこと

        • 理想と現実のギャップ

          不特定多数へ公開する上で大事なのは、誰が聴いても不快にならないこと。誰も悲しい思いをしない。 それがある種の理想であり、ベストなのかもしれないが、外に向けて発信する以上、現実は異なるものだ。 長年、ネットでちまちまとものづくりをしていて思うことは、絶対に誰も不快にならないコンテンツなんてないってことだ。 コンテンツに個人の思想や感情が乗っかる以上は、公開すれば必ず相容れない価値観を持つ人の目に触れることになる。 中には心無い言葉が飛び交う場所や空気感にもなることもある。

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        配信しているラジオ番組について

          不誠実とは、あらゆる人に対して誠実であろうとすることである。

          不誠実とは、あらゆる人に対して誠実であろうとすることである。と言う言葉を聞いて、なるほど。と思った。 全てに対して誠実であろうとすればするほど、一貫性と言うものがなくなっていく気がしている。 だって、生まれた時代も、育った場所も違う人、全てに対応できるほどの力など備わっていないのだもの。 一方に誠実であれば他方に不誠実を働くことになる、時としてそんな場面もある。 だから、この人だと決めた人にだけ、誠実であれば良い。己の役割は全うする。自分が信頼した仲間を大切にする。それ

          不誠実とは、あらゆる人に対して誠実であろうとすることである。

          眠れない日は無理に眠らなくても良い

          眠れない日は無理に眠らなくても良い。 むかしは、最高23時間くらい眠れたロングスリーパーだった。 今じゃ、2、3時間置きに目が覚めてしまう。 出来ることならずっと眠りにつきたい。そう思う。だって、起きてる時間ってしんどいからね。 やらなきゃいけないことをやらねば生きていけないし、余計なあれこれを考えなきゃいけないし、嫌なことの方が遥かに多い気がするから。 前向きに幸せになろうなろうってみんな踠いてる。でも、何となくそれは簡単には手に入らないものだって分かっている。だけど、み

          眠れない日は無理に眠らなくても良い

          後悔しない航海を

          固執することを辞めた。 貴方が得意なことは何ですか? と尋ねられたら、1つのことをコツコツと長い間続けると言うこと。くらいしか言えない。そのくらいしか取り柄はない。そう思っている。 自分の中である程度のケジメのようなものがつくまでは続ける。それが不器用ながらも、自分と言う人間の生き方なのだろうと思い込んでいた。 一度きりの人生。正直言って何がしたいのか、何をすべきなのか、未だに分からなくなる時もある。 人生の時間って、何か大きなことを成し遂げるには短すぎるし、怠惰に暮らす

          後悔しない航海を

          空気を読む言葉

          もしも私が話していることや誰かがかけてくれる優しい言葉、全てが偽りだったら一体私は何を信じて人と接していけば良いのだろう。 空気を読むと言う言葉がある。吸うのではなく、読むのである。日本特有のものだろうが、その場の空気に流される、空気を壊さないようにすると言う習慣がある。 雰囲気が悪くなる。次に会うときに気まずくなる。色んな理由で本音と建前が使い分けられる世界。そんな本音なのか建前なのか分からない言葉なのに、何故か心に響いて残るものとそうでないものがある。言葉って何を言った

          空気を読む言葉

          誠意って何かね

          北の国からの名シーンで、純の交際相手の父親役の菅原文太が良い放つ迫力ある一言なのですが… 「誠意って何かね」 せい‐い【誠意】 の解説 私利・私欲を離れて、正直に熱心に事にあたる心。まごころ。「―のこもった贈り物」「―を示す」「誠心―」 辞書的な意味はこれです。誠意って言葉だけじゃなくて態度で示さなきゃ表せないものなんじゃないかって以前ラジオで話したことがありました。 私の好きな本にサン=テグジュペリの「星の王子さま」と言う本があります。その本の一節に出てくる重要な

          誠意って何かね

          これからも私は私のままで

          もっと明るく、笑顔で、愛想良く、ハキハキと。 生きていて、そんなことをよく言われます。 確かに私に欠けているものだから、それを求められるのは仕方ないと思います。でも、私だって心から楽しい時は笑います。私が笑ったところを見たいならもっと面白いこと言ってみろよと心の中では思っています。面と向かってそんなこと言いませんけどね。 こちとら根暗を売りにしてるんです。 マイナスのエネルギーをプラスに変えて前に進んで行くのが私の個性なんです。それは私の個性を殺す強要です。しゃらくせえ。

          これからも私は私のままで

          価値の芽生え

          この世のものの価値と言うのは、人であれ、物であれ、その価値に気付いた時にその人の中で初めて芽生えるものではないかと。僕は思う。 価値を置くのも自分だし、外すのも自分だし。 光の当て方により、そのものの見え方というものは幾重にも変わる。 1000円のものを1万円としてみたり、1万円のものを1000円としてみたり。 今日好きだったものが明日は嫌いになったり、今日まで嫌いだったものが明日は好きになったり。 人間って生き物が生み出す価値概念は忙しなく巡っている。

          価値の芽生え

          うしろ向き人間学

          後ろ向きってそんなに悪いことでもない。 私自身、数えれば無いものの方が多い人間なのだから仕方ない。 そういう話が苦手な人からは 無いものを数えるよりも、自分に有るものを数えましょう。 と言われるのかもしれないが、私に言わせれば、無いものだって捨てたもんじゃない。 有るものを数えて自分に足りないものが浮き彫りになる。 それでよく落ち込む。 無いものを数えて笑えるならそれでいい。 裏を返せば表なように、後ろ向きだって、方向だけ変えれば前向きだ。 そんな私は、前向きに後

          うしろ向き人間学

          オノマトペの涙

          ぽたぽた つーっ じわっ ぐすん しくしく ぶわっ ぜーんぶ、なみだ。 また梅雨が明けましたね。

          オノマトペの涙

          お便りに頼って11年

          #わたしとポッドキャスト こんなにも聴き手の皆さん方のお便りに頼りきっている番組があるのかと言うほど、私はお便りに依存しまくり。 先週なんて「話す内容が無い」で本編をゴリ押ししていた不良配信者です。 お便り数にすると、今ポッドキャストでやっている番組が一番多く来ていて、今日までで累計585通。本当に毎回中身の無いものなのに有難い話です。 ポッドキャストを始めたのは11年前の2011年になります。今までどれくらいの番組本数を作ってきたのか、もう思い出せません。もう公開さ

          お便りに頼って11年

          高校のマラソン大会での話

          私の高校にはマラソン大会があった。30km以上の距離を朝から夕方まで走らされる。それが年に1度、3年間も続く。走ることが何よりも嫌いな私にとっては地獄のような学校行事だった。 高校3年生のマラソン大会。やっとの思いで3度目の完走を果たした。これでようやく忌々しい行事から解放される。ほっと一息つくはずだった。 完走した瞬間、当日、ズル休みで棄権したクラスメイトからある言葉をかけられた。 「ざきくん、ゴールするのおせぇよ」 確かに順位は下から数えた方が早かった。何なら復路

          高校のマラソン大会での話

          立ち止まって早幾年

          10年程前になるから一昔前と言って良いだろう。 その頃、一緒にものづくりをしていた仲間がいた。ほとんどの人とは連絡を取り合うことも無いのだが、時たま連絡が来たり、風の噂を耳にしたりする。 私もしぶとく首の皮一枚で生き残り続けてる老害(その頃から彼らに老害と呼ばれていたけれども)だが、やってることも考え方も何にも変わらない。びっくりするくらい変わらない。 創作物の内容もだが、使う道具、環境、技術、何か1つ取っても変化したものが無い。 何でここまで変化が無いのか、成長する意欲

          立ち止まって早幾年