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散文 8

意味。
そう、意味。

何かにつけてすぐに
意味について考えてしまう。

これはどうゆう意味なんだろう…?
こんなことをして
何か意味があるのか…?
無意味なことに時間を費やしてしまった…。
と。

歳を取って
こんな風に思うことが多くなった
ような気がしている。

若い頃はそれこそ
私の人生には
一体どんな意味があるのだろうか…?

この広がり続ける宇宙は
一体なんの意味があって
広がっているのだろうか?
などと考え
よく眠れなくなっていたものだ。

今思えば実に滑稽だ。
宇宙について何の知識も持たず
何も学ぼうとしていない者が
なんの心配をしているのか。
御門違いも甚だしい。

まあ過去は置いといたとして、だ。

現在、すぐに意味を求めたがるのは
限られた時間をいかに有効活用するか。
これに尽きるのだろう。
人生は長いようで短い。
ぼけっとしていたらあっという間だ。

だが後ろで俯瞰している
もう1人の自分が
腕組みしながら言ってくる。

理由や動機があるのはまあわかる。
でも全ての事象に意味を持たせたがるのは
いささか傲慢だとは思わないかね?
人間だけだろう、
そんなことをしたがるのは、と。

…なるほど確かに
そんな気がするな。
意味などはなから無いではないか。
それはどちらかというと
何かをしない為の理由づけではないか。

そう思うと何だか少しだけ
気持ちが軽くなった気がした。

無意味だと思うこと。
逆にこういったことに
懸命になれるのって
素晴らしいのではないだろうか?
そう思いはじめている自分がいる。

仕事や生活は生きる為だろう。
それはわかる。
でもじゃあ例えば仕事を丁寧にやろう。
家事に手間暇をかけてみよう。

これはどちらでもいいと言える事だ。
丁寧だろうが雑だろうが
結果は一緒かもしれない。
そう言ったことに心血を注ぐ。
見方によっては無意味だ。

でもなんか良いな、と思うんです。
例えばこのnoteなんかもそう。
毎日書く必要もなければ
雑に書いて、はいオッケーでも良いんだと思う。
結果も意味もどうでもよくて
そうゆうことに
一生懸命になれることや
楽しめること。
それはきっと意味なんかはないんだけど
良いよな、と思ってしまう。

自己満足と言われればそうかもしれない。
でもなんだろうか
不思議と生きる活力のようなものを感じるのだ。

では何でもかんでも
一生懸命取り組めばいいんですよね?と。
それは少し違う気がする。
仕事も生活も趣味も一生懸命。
それはそれで凄いと思うが
そうなるとそれはこだわりというものに
類されるように感じる。
細部まで気を配る職人のような精神。
そうではないのだ。

どこか無意味で無価値だと
頭では理解しながらも
時間や労力を、つい
費やしてしまっている。
それは一瞬の煌めきのようなものかもしれない。
緩やかにずっと側にあるものかもしれない。

この妙な感情のようなものの
名前を私はまだ知らない。
意味が生まれた途端に
退屈へと変貌してしまいそうな
この感情の名前を
私はまだ知らない。

散文として


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