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30歳で遂に海外に行く【②シドニー到着1週間、ホステルとシェアハウスと英語アクセント】

こんにちは、今日も元気にシドニーライフを送っている柚子です。
前回に引き続き今回はSydney到着後1週間のお話をお送りします。
過去のお話はこちらから

■お昼の12時ごろ、ついにSydney到着

シンガポールから7時間半のフライトで、ついにシドニー キングスフォード・スミス空港に到着しました。
飛行機から降りて、手荷物検査をしたらいよいよオーストラリア到着です。
自国の植物を守る意識が強く、関税や手荷物検査、入国審査が本当に厳しいと聞いていたため、緊張はマックスです。
当たり前ですが、空港職員は欧米人ばかり、予定外のシンガポールに立ち寄ったため、食べきれなかったセブンイレブンのみたらし団子をリュックに入れたまま、私は外国人用のimmigrationのラインで入国審査を待っていました。

そこに白人のおじさん職員がやってきて、私が日本のパスポートを持っているのをみて「あっちの自動入国審査機使ったら?」と声をかけてきました。

おじさん、そのゲートには「Citizen(市民)」って書いてあるけど外国人の私が通ってもいいのかい・・・?
そんな疑問を持ちつつ、通ってみると、一瞬で入国許可が降り通ることができました。
ビザ申請の時から思っていましたが、日本のパスポート、全面的に信用されすぎてませんか・・・?

その後到着ゲートの手前で、何か食べ物は持っていないかと聞かれて
持っていますと言ってみたらし団子を見せたところ、「あぁ、大丈夫、出ていいよ」と私はみたらし団子と一緒にオーストラリアに無事入国することができたのです。

■パニクって英語がわからなくなる

到着後すぐに空港のWifiを拾ったものの、cityに行く前にSIMカードを手に入れなければいけない。
日本にいた時から調べていた格安SIMのamaysimというSIMを購入したかったけれども、売っているのかわからないし、とりあえず目に入ったSIMスタンドに歩いて向かってみた

私をみて店員さんが「May I help you?」と声をかけてきました。
移民系の人で、発音も全然ネイティブではなく何を言っているのか聞き取れず、料金表を指差して「これってどこのキャリアのSIMですか?」と聞いたものの、全然通じず、「パードン?」と何度も聞き返され、パニックを起こしてしまったのです。
確かに英語でも携帯会社をキャリアっていうよな?と思いながらも、緊張と恥ずかしさでパニックになり、通じそうな
「Which one is your recommendation for 28 days? 」(28日用のおすすめはありますか?)と聞いて、「This one is good」と言われた35ドル50GのSIMをそのまま購入してしまい、そのままカードを差し込んで逃げるようにSIMカウンターを離れました。

ベンチで座ってからお母さんと彼氏に「英語通じない、だめだ泣きそう」と泣き言をLINEして母から「落ち着いて」と連絡がきて一呼吸
冷静に周りを見回すと私が買ったスタンド以外にもたくさんのキャリアのスタンドがあり、私はどうやらまぜこぜのスタンドで購入した模様
さらにSIMを挿してもらったものの、番号がわからないということに気が付き深呼吸をしてまた勇気を振り絞ってスタンドへ

「すみません、番号がわからなくて」というと
「だってあなた、私が伝える前に離れていっちゃうんだもの」
今度ははっきりとクリアに彼女がなんと言っているか分かった!いけそう!

そこからはこのSIMがテレストラという割高で高品質なキャリアのもので、28日をすぎたらデータが余っていても使用不可になるとなどを確認して、めっちゃ失敗したなと後悔
もっと落ち着いて、状況を把握してからSIMを購入していれば28日なら15ドルくらいのSIMもあったのになと

■お金との戦いが始まる。

私が渡豪したのは2022年9月の中旬、円安真っ只中で$1AUS=92~98円台と米ドル並みの高水準でした。これからはAUSドルで表記をしますが、便宜上大体1ドル=100円弱だと考えてもらって問題ありません。

ちなみに円安前は$1AUS=65~85円台だったので、本当に苦しく、なるべく節約をしたい私はシドニーの物価の高さにびっくりしました。

SIMを手に入れた私は関東で言うSuica的な交通ICカードを購入し、市内を目指すのでした。

空港からCity(セントラル駅)は18ドルもするため、バスを使って安く行くことも考えたものの、格安航空24時間の移動は思ったよりも疲労を感じ、おとなしく電車に乗ることにしたのです。

セントラル駅に近づくほど、街並みがヨーロッパ調で、イメージしていたオーストラリアと全然違った印象でした。(もっとカンガルーとかコアラとかのイメージでヨーロッパ風の要素なんてないと思ってました)

そこからすぐの5泊で1万3千円のバックパッカーズホテル(ホステルとか、バッパーとかって言います)にチェックインをして部屋の鍵をもらい、6人一部屋の女子部屋に向かったのでした。

■私以外全員欧米人で過ごした5晩で脳みそ停止

部屋に行ってみると、2段ベットが3つ並んでおり、私以外は
ドイツ人1人、アメリカ人1人、イギリス人1人、アイルランド人1人、カナダ人1人とそこから毎晩入れ替わって、ペルーの子とかもいました。
全員がネイティブだった訳ではないけれども、私以外一人もアジア人はいませんでした。

ホステルの1階にはレセプションがあり、作業ができるソファーがあったり
2階にはみんなが使えるキッチンがありましたが、アジア人は滞在中に3人みたくらいでした。

同じ部屋の子に話を聞くと、ほとんどはワーホリできており、たまに旅行で来ている子もいました。

当然ながら、会話は全部英語です。いきなり大量の英語を使うことになり、脳みそがショートして、全く話せなくなってしまいました 笑

そこでまた泣き、アジア人一人である寂しさに怯え、頑張って話をするものの、全然聞き取れなかったり、なんと反応したらいいのか分からず、本当に悔しい思いをしていました。

■義務教育の大勝利、アメリカ英語最高

さて、頭がショートして辛い気持ちの中、周りの観察にフォーカスしていくつか発見したことがあります。

まずは英語力とコミュニケーションについて
私はアジア人で英語が話せなくて話も盛り上がらなかったし、辛い思いをしていたと思ってたのですが

① 1人で旅行に来てて、周りと仲良くなりたいけど誰も知り合い出来なくて周りをキョロキョロしてる白人たちも意外と多いこと

②ルームメイトがほぼ全員英語ネイティブだった時でも特に仲良くなったり会話が弾んだりしてない様子があった。

結論、結局英語が話せるかどうかではなくて、その人の性格や、相性なんだなという当たり前なんだけれども見落としがちな事実を認識して、随分心が楽になった。

そして更に自分の英語力についても気がついたことがあったのだけれども
それは出身国によって英語の聞き取りやすさが桁違いに違うと言うこと
私の場合、スコットランド、ロンドン以外のイギリス、カナダの英語は私には少し難しく聞き取れないことが多くありました。
一方でアメリカ(特にカリフォルニア)とイギリスのロンドンの人が話す英語はほぼ100%近く聞き取れると言うことにも気がつきました。

渡豪後すぐだったので耳が慣れてなく、今どうなのかはもう分からないけど、そんな状態でもアメリカ英語はマジで桁違いに聞き取りやすくて、日本は本当にアメリカ英語がスタンダードだったんだなと思い知る機会になりました。

そんなこんなで同室のLA出身の女の子と仲良くなり、一緒にホステルが催してるワインチーズパーティーに参加したら、これまたアメリカ出身のナイスガイと旅先で出会ったというノリの良いオランダ美女と合流
お酒を飲みながらカラオケ行こうぜとなり、3日目の夜にみんなでカラオケとその後飲みに行く展開となったのです。

個人的にはアメリカ英語の聞き取りやすさと、ノリの良さ、そして一期一会でも楽しく遊べるいい意味での軽薄さでアメリカ人やっぱりすっごく好きだなと思ったのでした。
多分仕事でかなりアメリカ人と接してきたので、ノリもよく分かっており、付き合いやすかったのもあったと思います。

あとどうやら、アメリカ人的にも私の英語は聞き取りやすいらしく、今までアメリカ英語寄りに音読などをしていた効果を感じたのです。


■シェアハウスを見つける

こっちにきて、仕事よりも先にまずシェアハウスを見つけなければいけませんでした。
毎日部屋の子が入れ替わるホステルは寝心地も安心感も薄く、またアジア人のみであるシンドさに心が休まりませんでした。
みんな結構友達と来ていて、一人で来ている私は少し浮いていることや年齢層が20代前半寄りで30歳の私はノリが合わないこと、また、仲良くなったアメリカ人も翌日には出ていってしまっていたのです。
(まぁ、残ってても翌日はもう知らない人って感じなのがアメリカ人のノリだと思いますが)

私は日本にいた時に1件内見の連絡を予約しており、到着後の2日目には内見に向かいました。
タイ人3人と日本人2人、台湾人1人の比較的色々な場所にアクセスしやすい週150ドルのマンションでした。
内見をすると感じのいい年上のタイ人のシェアリーダーが部屋を見せてくれて、即決で入居を決めました。

ホステルに戻ってそのことを話すと、コロナで閉じていた国境が開いて大量に外国人が戻ってきたので、今部屋探しは本当に難しくて、あなたはとってもラッキーだと言われました。

そんなこんなで、5泊のホステルを延長することなく6日目にはシェアハウスに引っ越すことが決まりました。

■残りの日程で街を歩き回り、アルゼンチンの子と仲良くなったりして引っ越す

そこからは一人で街を歩き回ったり、ホステルのツアーでみんなと回ったりしてのんびり過ごしていました。

Colesというスーパーの物価を調査したり

チャイナタウンに行ったり

なんでも揃うと噂のKmartに行ったりもしました。


そして無事にシェアハウスに引っ越しました。


■6日間でだいぶ英語に慣れる

最初の3日間、本当に頭の処理メモリが足りなくて、何度もショートして、頭から煙が上がっていたのですが
3日であっという間に耳が慣れ、何を言っているのかが随分クリアに聴こえるようになり、処理メモリも増強されたのか、それとも効率が上がったのか、5日後にはショートしなくなりました。
急に英語が聞こえるようになるタイミングがあると聞いていたけれども、思ったよりもずっとずっと早くそのタイミングが来て、自分でも驚きました。

そして今まで日本でどれだけ勉強をしても全く話せるようになる気がしなかった英語を話せるようになる感覚を初めて掴めたのです。

→初っ端からトップギアで英語を頑張って使ってました
→最初は脳みそショート
→文法もミスばっかで、過去形も思い出せない
→ミスばっかの英語を積み重ねた先に何があるのか全くイメージが付かず不安に
→5~6日目で、英語話すのに慣れてきて、省エネで話せるように →ミスだらけ英語をスラスラ流暢に話せるようになる
→脳みそのキャパが生まれて、自分が話した表現、相手が話していた表現を覚えられるようになる
⇨自分の何が間違いだったのか思い返せるように!
⇨相手の表現も覚えられるように

ツイッターでも書いていますが、全て日本で勉強をしていたおかげでここまで短期間で、英語がすんなり出てくるようになっていたのです。
それはもう間違いない事実で、自分でも本当に勉強していてよかったと、報われている感覚を感じた瞬間でした。

最初の1週間を終えた柚子氏の運命やいかに!
次回、仕事探しに奮闘する回をこちらのお仕事事情とともにお届けします!、お楽しみに

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