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30歳で遂に海外に行く【プロローグ】

こんにちは、今日も元気な柚子です!
この度30歳と5ヶ月でオーストラリアのシドニーにおります。
学生時代に留学に行きたくても金銭的な理由で出来ず、社会人を経験してからの渡豪になった訳なのですが
1週間ちょい経ち、少し落ち着いたので、自分の記録としても今回の渡豪について記録を残そうと思います。
今回はとりあえず、オーストラリアにきたモチベーションについて、忘れないように簡単に書こうと思います。

■ずっと留学に行きたかった、でも行けなかった

私は国立大の卒なのですが、我が家は経済的にかなり苦しかった時期だったので、お母さんとこんな約束をして大学に入学していました。
「貴方が大学に行くのが誇らしい、大学に行くお金はどうにかする。でもそれが精一杯で、留学に行きたいとは言わないでほしい」

入学前にそんな約束をして、周りが留学に行っている中でも、私は留学に行きたいとは言わずに4年きっかりで大学を卒業して社会人になりました。

その後私は数回転職はしているものの、キャリアの半分以上を外資系企業で働いてました。
留学に行けなかった分、仕事で英語を学んで海外赴任に行きたい、海外出張に行きたいとずっと思っていました。

夢は叶って、4回くらいアメリカを含む海外出張に行く経験ができました。
自分でも勉強を続け、TOEICも825点まで行きましたが、私の英語力はいつまでも私を満足させるものにはなりませんでした。

■コロナで失業、1年の無職

一方それまで順調だった仕事がコロナで大打撃
リストラをされた訳ではないけれども社内が大混乱し、モラルが低下してパワハラ系の上司や近隣部署が頭角を表し、働きすぎた結果ボロボロになり、29歳で仕事をやめてしまいました。

あまりの疲れに再起不能になり、1年くらいゆっくり休もうと決めて無職に
プライベートでは結婚を考える彼氏と出会い傷を癒しつつ、幸せな日々を送っていました。
半年くらい経った頃、ちょうど30歳になり、そろそろ元気になり始めてまた仕事を探そうと思った時に、そういえばワーホリって30歳までだったよな。と思い出して何気なくお母さんと会った時にそのことを話しました。

母は基本的に日本が最高で、海外は怖いことばかり、なんで海外なんて行きたいの???というタイプだったのですが
これまでずっと勉強を続けていた私を見て、留学に行かせてあげられなかったことを申し訳ないと思っていてくれていました。
「お母さんは応援するよ。行ってきなよ。」と

彼氏にもその話をしたら、彼氏も日本で待っていてくれるから行ってきたらいいよと言ってくれました。

コロナで状況が一転し、心がボロボロになって色々なことがうまく行かないと思っていた矢先に
大学に入った時から諦めていた英語の勉強をしに海外に行くという夢が叶うことになるとは思っておらず、なけなしの貯金を叩いて航空券を購入しました。

■そんなわけでシドニーなう

ワーホリビザにしたのは生活費を稼ぎながら滞在ができるビザだったから

また、働くことができるけど、働いてなくても滞在ができるのです。
学生ビザは学校に滞在しないと発行されず、滞在にコストがかかり
労働ビザはスポンサーになってくれるこちらの会社でずっと働いてないと滞在ができません。

でもワーホリビザなら、お金さえあれば働かなくても学校に行かなくても滞在できるし、働きたければ無制限に働ける*し、学校にも行ける*

基本的に外国人が現地で労働することは本当に難しいのですが
時間無制限で労働ができるワーホリビザは本当に最強のビザです。

一方、イギリス、カナダ、オーストラリアの中でオーストラリアにしたのは
・給与が高い、外国人向けの仕事が多い
・日本との時差が1時間
・気候が良い(暖かい)(カナダは寒くて…)
・外国人に寛容
・戦争中のヨーロッパに対して地政的リスクが低い

そんな訳で急遽決まったオーストラリアのワーホリで現在シドニーに滞在中という訳です。

今後1ヶ月ごとに現地の状況を伝えたいと思います。

オーストラリアのワーホリビザについて
*いくら稼いでもいいけど6ヶ月以上同一雇用主の元で労働できない
→それさえ守れば1ヶ月に140時間でも200時間でも働けるのが凄い
*4ヶ月までしか就学できない

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