群れからはぐれるたびに、人生は展開する。反対を押し切ってする異動であれ、休学であれ。
20代後半から30代前半にかけて、香港・中国に6年間赴任していた。
仕事は中国の工場にVCDプレイヤー向けの電子部品を販売する仕事だった。
6年の間に、ゼロから数百億円のBizに成長し、私は、南中国の責任者として、深圳事務所の所長をしていた。
そして、出元であった電子部品の営業本部に帰任した。
今度は、IT用CD-ROMやDVD-ROMの光学部品を、台湾や韓国のITメーカーに販売する仕事についた。
時代はちょうど、2000年頃で、世の中はITブームになっていた。
ソニーにおいても、出井さん(当時社長)が、「このITは、隕石がユカタン半島に落ちた衝撃を世界に与える、インターネットに乗り遅れると、ソニーは隕石で滅んだ恐竜のようになる」と言った。
そして、会社全体をデジタル・インターネットに向けて、大きく舵を切るという時だった。
その話しを聞き、私は、電子部品を売ってる場合ではないな、インターネットに関わるビジネスに参画せねばと、ひとり、あせっていた。
すると、ちょうど中国ビジネス時代にお世話になった中国室の課長が、So-netインターネットビジネスの海外展開プロジェクトを立ち上げる。という話しが耳に入った。
話しを聞きにいくと、半年後にはプロジェクトがスタートするということで、是非、参画して欲しいということになった。
社内募集をかけるので、そこに応募してくれれば、部品部隊から異動してこれるとのことだった。
数週間後予定どおり、社内webに上がった社内募集に応募したのだが、なんと、海外から帰任した社員は、最低2年間は帰任部署で仕事をしてからでないと、応募資格がないということで、はねられてしまった。
そこからは、正攻法で、直属の課長、部長、そして最後は副本部長へと直談判をしながら、異動の許可を貰ったのであった。
10年お世話になった、部品営業部隊。
半分くらいの上司、先輩、同僚は、私の異動に反対であった。
インターネットビジネスなんて、まだ新しくて、これからどうなるか分からない。
そんな物に飛びついて、後で戻る場所もなく、これからのキャリアは糸の切れた凧みたいに、ふらふらと彷徨うことになるぞ、と脅かされた。
これから先の長いサラリーマン生活を考えると、相当不安になる言葉であったが、ここは怯まずに、自分のやりたい道を進むのがよいと、腹の中かで感じた。
深圳で死ぬほどビビりながら仕事をした経験から、こういう時にお腹で判断ができるようになっていた。
副本部長は、私の香港・深圳時代の販売会社社長で、旧知の仲であった。
お前は海外が好きだろう、東京の部品部隊で2-3年働いたら、今度は、ヨーロッパかアメリカに出してやるから、インターネットなんとかなんかに行かない方がいいんじゃないかと、優しい言葉をかけてくれた。
後日談として、私が異動して半年後に、副本部長は系列の部品代理店に異動となった。
本部内では、副本部長が近いうちに本部長に昇進するというのがもっぱらの噂だったので、関係者は皆驚いた。
その送別パーティに顔を出した時に、「しょせん、俺たちはサラリーマンで何時どうなるか分からないから、お前みたいに、やりたいことがあるなら、躊躇せずにチャレンジしておくのが正解かもしれない」と励ましの言葉を貰ったのであった。
こうして、私は新入社員から10年お世話になった、ある意味、住み慣れた部品営業部隊から異動したのであった。
思い起こせば、大学時代4回生の時に、同級生が皆就職活動をする中、ひとり休学届を出して、アメリカの大学に留学した。
初めて大勢の群れからはぐれる感じと同じものを今回も感じた。
今でも、教務室に休学届を出しに行ったときに、手が大きく震えたのを思い出す。
当時は休学して留学する生徒はいなかった。教務員の人が、健康を壊した訳でもないのに、就職活動もせずに、休学なんかして大丈夫なのと、心配そうな顔をしていた。
当時は、まだ、学校で習った、「ちゃんと皆と同じようにしなければらならない。」
「1人だけ別行動をして皆に迷惑をかけてはいけないし、また、1人落ちこぼれになってもいけない。」
という価値観が体に染みていたので、学校での教えに反して、1人別行動をとることは、相当不安であった。
休学も、部品部隊からの異動も、相当不安だったし、ビビりもした。
それでも、自分がやりたいと思ったことをするために、勇気をもって群れから外れる判断をした、当時の自分を褒めてあげたい。
結果的には、群れからはぐれるたびに、人生が大きく展開して、とてもよかった。
大学を個人で休学して、アメリカの大学に留学。
英語が随分と話せるようになり、世界観が一挙に広がった。
1年の休学による遅れは、社会人になってみれば全く問題がなかった。
また、英語力もかわれて、入社3年で海外赴任にも出してもらえた。
社内の自分の意志による異動でも、インターネットのいう新たな世界にふれ、自分の仕事のフィールドがどんどんと広がっていった。
そして、面白いのは、部品部隊の人達と今生の別れのような気持ちで異動したが、実はあれから20数年後、今でも同時の上司、仲間との絆がしっかりとあることである。
異動してからの数年は、なかなか会う機会がなかったが、その後は、皆、いろいろな人生の展開があり、時に出会ってお互いを励ますような形で、今でもしっかりと繋がている。
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異動、転職、留学、など、人生の節目で色々と悩んでいる人がいるかもしれない。
私は、自分がやりたいと思えるのであれば、やる方をお勧めする。
皆からはぐれるのが不安なのは当たり前である。
日本は特に、教育や文化で個別行動を良いものと教えてこなかったので尚更である。
でも、今はVUCA (不確実で変化の激しい)時代である。
いつも皆と同じで、同じ窓から同じ景色をみて、何年、何十年も過ごすというのは、実はとてもリスクが高い生き方だ。
本当にやりたいことがあり、それが個別行動だからと躊躇しているのであれば、きっとやった方がよい。
後から振り返ると、その躊躇は、実はなんでもなかったということになる。