見出し画像

コロナ禍があってもなくても、そもそも学校システムはどこへ向かうべきか

新学習指導要領

私たち教員はコロナ禍がなかったとしても学校や教育を大きく転換していく必要がありました。その一つの根拠が新しい学習指導要領です。私たちは未来を生きる子どものために、積極的に教員としての資質をアップデートする必要があります。指導要領の一部に育成すべき児童像として、「主体的・対話的で深い学び」「人間尊重」「平和で民主的な国家及び社会の形成者」という記載があります。これらは、改めて私たちが自分たちに問い直すべき課題と捉えています。

小学校学習指導要領) (【総則編】小学校学習指導要領解説)    (新学習指導要領、改訂のポイント)


働き方改革

一方で、私たちには圧倒的に時間が足りません。日々の業務をこなすだけで、あっという間に勤務時間が過ぎてしまいます。そこで文科省や関係機関から、教員の働き方に対する提言や通知、努力目標が掲げられています。私たち教員は、自らのすべき仕事とそうでない仕事をもう一度選別し、本来の職務に専念することで、時間的余裕を生む必要があります。次の時代の子どもを育てるための、教員としての資質をアップデートするためには、物理的に時間が必要だからです。


私たちが自由になるために

教員としての資質として、子どもが未来を自由に生きるために(お互いの自由を承認し合っていきるために)、民主主義の社会を生きる人間として、その基盤を育てていく力が最も大切だと思います。前述のように、私たちは予測不可能な時代を生きる一方で、精神の自由が保障されています。その中で自分のしたいことを生かし、相手を尊重することが、自由に生きるためには必要です。


寛容さ

ところで、わたしとあなたの自由がぶつかった時、私たちはどうすればよいでしょう。私の自由を通すか、相手の自由を通すか、私たちはその2つの選択肢しか持ち合わせていないわけではありません。お互いが自由を主張し、対話を通して調整していくことが大切です。相手を受け入れることのみが寛容さを生むことにはつながりません。なぜなら、相手を受け入れ続けることは結果的に別の誰かから奪うことにつながるからです。その典型的な例が、いじめ、部活動、職員室の人間関係、依存や虐待に見られます。これらは基本的に搾取の構造です。搾取の構造が寛容さを生むことにつながらないのは明らかです。


今の学校や家庭

私の職員室は、一見お互いを尊重してるように見えますが、その中でも歪みが生じています。例えば、以下のよう出来事がよく見られます。

また、部活動では先輩後輩の関係で、不当に自由が制限されてるように見えます(当たり前のように見える上下関係は、教師側の都合で作られており、その構造を維持するように子どもが動くことで、子どもの自由ではなく、組織の維持が目的になりがちです)。

部活動における先輩後輩関係の研究

必要以上に教師が全体への奉仕を求める教室の構造は、時にいじめを生みます(これも全体の維持のために個人の自由が多くの点で犠牲になりがちです)。

依存や虐待は、連鎖しがちです(親に自由や尊厳を奪われた子どもが、さらに自分の子どもの自由を奪うのです)。


隠されたポスト全体主義

思想家、ハブェルが「力なき者たちの力」

で言うように、歴史的には1970年代の東側諸国では、ポスト全体主義と呼ばれる現象が起きていました。その内部にいる人間は、支配者だけでなくすべての人間がイデオロギーに支配され、個人の意志とは関係なしに、体制が維持されてきました。日本の学校や家族、ならびに社会構造もそれに類似する部分があるように思われます。また、哲学者、ガブリエルは「世界の針が巻き戻るとき」

で、「日本を優しい独裁国家」だと表現しています。「完璧に滑らかな機能性」がある一方で「抑圧された暗黒の力」があると述べています。これは、日本社会全体で乗り越えていかなければならない問題です。

ポストモダンも蔓延している

 さらに、下記の記事

のように、ポストモダンを悪用し、間違ったイメージを作り出そうとする人間がいることに、私たち教員は非常に無知です。何なら、職員室や教室の他者に間違ったイメージを植え付けているのは教員自身かもしれません。(たとえば○○くんは~だから、□□先生は、いつも勝手なことばかり言って仕事をせず、早く帰ってしまう、など。これらの多くは相手を一面的に見て、間違ったイメージを作り上げていくプロセスです。○○くんの家庭環境や周囲の人間関係に焦点を当てているでしょうか。□□先生は本当に仕事をしていないでしょうか。あるいはほかの先生について不当に評価していないでしょうか。事実とイメージを切り分ける術を私たちはもっと磨かなければなりません。人間性によってすべての事実の見方を変えるのは避けるべきです)

私たちがすべきこと

以上を鑑みて、私たちがすべきことは、非常にシンプルです。それは、

事実と向き合い、

寛容の心をもち、

倫理的であること

です。しかし、これは、残念ながら私たち日本人(あるいは教員)の多くができていません。時に、相手に支配され、同調圧力の中で生きることに慣れ、それ以外の術を知らないからです。私たちは、枠組みの外に一度出る必要があります。もちろん、私たちが持っている文化的財産には素晴らしいものがあります。それに気づくためにも、一度外からゆっくりと自らを眺める時間が私たちには必要なのです。