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【今でしょ!note#77】 他人と比べることの無意味さ

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

「他人と自分を比べても仕方ない」という話、多くの人が聞いたことがあるのではないでしょうか。
ただ、人間なので、分かっていても気にしてしまう。何となく心がザラザラする。
これもまた真実なのだと思います。

分かりやすいのが人事評価みたいなもので、組織を一定成り立せるためには、やはり昇進や降格などの仕組みは必要です。
それがないと、特にある程度大きな単位の集合体であれば、空中分解してしまう。
そのため、そこにはどうしても「比較」が生まれます。

一方で、人の心の持ちようとしては、他人と比べたところで不幸しかありません。
他人と比べて自分が「負けている」と判断すれば、自己肯定感の低下につながりますし、他人と比べて自分が「勝っている」と判断しても、自分が「負けている」と思う別の相手を探し続けるだけです。

そんなところに神経を尖らせ続けること自体が疲れるだけで、やはり「人生において、他人と比べる時間がなくなった領域」に達している人の方が明らかに幸福度が高いです。

それには「他人と比べることの無意味さ」を自分の頭と心で腹落ちする知識と経験が重要
私ももちろん、そういう領域に達しているわけではないものの、自分が考える幸せに少しでも近づくための行動はしていますから、どのような考え方をしているか、という話をしていきます。

カシオペア座の話

私がはじめて「他人と比べることの無意味さ」が腹落ちしたのは、2021年冬に、澤円さんのカシオペア座の話を聞いた瞬間です。

趣旨としては、「カシオペア座を構成している星たちは、自分がカシオペア座のWを作っている一部だなんて絶対に認識していない。人は何でもかんでも縦軸と横軸で評価しすぎ」というものです。

カシオペア座を構成している星たちは、宇宙空間の中で、それぞれが横並びで存在しているわけではなく、全く別の場所にいるんですよね。
それを、人間側が勝手に選んで繋げているだけなんです。

横軸に年齢、縦軸に地位や肩書きを取って、「あいつは自分より若いのに出世している」「会社の同期の中で自分が一番先に高い役職に就いた」みたいな話は、自分より右側にいるカシオペア座の星のほうが自分より評価されている、と考えるようなものです。
他人と比べることがなんてくだらない話なのかと、はじめて言語化されて自分の中で腑に落ちた瞬間でした。

自分たちは空間に浮いている球体で、空間の中をどこへでも移動できる。
縦軸と横軸だけで表現できるほど、自分の人生、そんなペラペラなもんじゃねーぞ!なめんなよ!と気付けた瞬間でした。笑

自分らしく輝く星になること

30代後半に差し掛かってきたからかもしれませんが、自分の価値基準が「組織の中でいかに評価されるか」から、「1日何時間、自分らしくあれたか」に明らかに変わりました。

30代前半くらいまでは、「自分に期待してくれる人に対して、いかに成果上げて応えていくか」に自分の中の優先順位が当てられていた気がします。
だから、仕事でもかなりガツガツしてましたし、それなりに高い評価を取り続けていました。

「仕事自体が楽しいし、期待してくれる人に対して、しっかり応えていきたい」というのは今も変わらないのですが、本当の自分を押し殺してまで、それを続けるのは明らかにくだらないことだと感じ始めたのは、最近になってからです。

縦軸・横軸の二次元の中でどうポジショニングするかより、空間の中で存在する点として、いかに自分らしく輝けるか。
光の明るさとしての強弱ではなく、光の強さとしての強弱。
光量は弱くても、芯が強くジリジリ光り続ける線香花火みたいなイメージですかね。
自分はこうあり続けるんだ!という強い意志を内に秘めた星。

そんな存在になりたいと強く感じるようになりました。

他人と比べてしまって苦しんでいる人に

とはいえ、他人と比べてしまって落ち込んでしまう人、気にしないようにしているけど、どうしても気になってしまう人、いると思います。
人間ですから当たり前です。

私も、100%気にしない領域に入れているか、というと決してそうではありません。

だからこそ、自分がどのように考え方を変えてきたのか、ということには一定の再現性もあると思うのでご紹介しておきます。

まず、最も重要なのは、居場所を複数持つことです。

自分の生活が、家と職場の往復だけ。たまに学生時代の友人と会ったりするけど、新しい人間関係がほとんど生まれない、という生活の中では、どうしても閉鎖的な価値観に埋もれます。

学生時代に読んだ、外山滋比古さんの「思考の整理学」に次の言葉があります。

ひとつだけでは、多すぎる。ひとつでは、すべてを奪ってしまう。

外山滋比古 「思考の整理学」

私の解釈では、自分の選択肢がひとつだけの状態だと、どうしてもそこに拘ってしまう。
ひとつしかないから、それがなくなってしまうと不安だから、その状況を手放さないように、両手でより強く握ろうとする。
でも、両手で何かを強く握ったままでは、新しいものを掴むことはできません。

人からモテる人って、ひとつに拘りすぎることなく、常に心に余裕がある感じがしませんか?
物事は常に「需要と供給のバランス」ですから、「あなたに選んでもらわないと困る!」という営業よりも「他にもお客さんはいますから、あなたが選びたければこの条件で選んでください」のスタンスの方が圧倒的に強い。

常に自分側に選択肢を置いておくことって、あらゆる局面で重要です。

ひとつの環境にしか居場所がないと、そこで自分が価値がないように感じてしまうと居場所を完全に失ってしまうと不安になります。
余計に周囲が気になって、無意識に他人と比べてしまうと思うのです。

複数の居場所があれば、別にここで評価されなくても他があるからいいや、と心に余裕が生まれます。
その余裕が「他人と比べるのってくだらない」という実感に繋がっていきます。

自分らしく生きている人を知る

ネットが普及して「個の発信」の時代を迎えた一番の恩恵は、自分らしく生きている人の生き方・考え方に直接アクセスできるようになったことです。

例えば地方に住んでいて、物理的には新しい人の価値観に触れることに制約があっても、ネット上では物理的な距離の制約がありません。
マウント取り合いのキラキラSNSは嫌いですが、ありのまま発信されている方の考え・生き方を知るのは本当に面白い。

もちろん、それぞれの人が何らかの事情を抱えて生きていると思います。
でも、「自分らしく生きている人ってこんなにいるんだ」「自分もこういう生き方をしたい」という人を知れると、可能性は無限大です。

「この人のような働き方・生き方がしたい」というのは、他人と比べることとは明確に違います。
そこには、年齢と肩書きの無意味な二次元は存在せず、プカプカ宇宙空間の中で、芯と味があるいい光り方だなーと感じる別の星を見つけて、ヒューンと近づいてみる感覚があります。

「自分らしく生きる」のは、楽そうに思えますが、意思・勇気・覚悟を持った人の能動的な選択の上で成り立っている概念です。

私もまだまだ道半ば!
自分に嘘を付かず、やれることを一つずつやっていくだけです。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
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