雨ニモマケズ
本日は稀に前向きの気分です。それで、自ら省みて、今までの進捗に気付けました。
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雨の日、アパートに引きこもって本でも読む。
これでも、悪くない。アマゾンで注文していた小説を両手で掴んで、他世界に潜り込む。
でも、屋内に長くいるときに、色々なことを思い出して、寂しくなりつつある。
過去の職場では鬱状態を隠しながら仕事をすることがよくあった。
(英語先生として学校で仕事していたとき) 校庭に歩き回り子供に囲まれて、幸せになるはずなのに、なぜか「死にたい」という思考に振り回せる。
感情障害は目に見えない障害である。演劇部だった私は隠すことが上手いのか、誰にもバレないようにいられた。それが「勝った」ということはない。引き換えに「負け」だったかもしれない。
英語先生を仕事を退院して、事務所の仕事に転職した。環境を変えて治ると謝った信念を持った。逆に、症状が悪化して、事件を起こして入院に退行した。
一年間ぐらいは、頭の中は朦朧でなにもかも分からない間に、障害福祉に入り、無職・ニートの人間に変身した。毎日のごと、空っぽの日程を過ごしながら、死と生の違いがはっきりしてない状態で、何となく残存してきた。
その中、少しずつ回復していたのだ。「回復」ということは突然なことではなく、ゆっくり這い上がりながら前進することなのだ。と気付いたごろ、もう既に大分進んでいた。就職をできる所まで着いた。
カウンセラーに通っていたらもっと早くここに着いたかもしれない。残念に経済的の理由でこれは不可能だった。いい先生も知っているのに。でも、この支えを失くても結局ここまでも来れたことが嬉しい。
今がそこです。昨日も求人欄に応募して、夢の翻訳の仕事が得られるかも。普段も否定的な私はきっと受からないとは考えるけど、結果を発表するまでは諦めないことに決めた。
通院しつつ、たまには落ち込むことあるものの、前進していくことが病人としては正しい生き方ではないのか。服薬と睡眠の習慣にきっちり身に付けて、頑張ることが仕事だ。無職と言いながら、割と大変な一年だった。
頼っていた家族に感謝を表すべき。食事を作ってくれたり、用事もない時にも電話してくれたり、面倒見てくれました。ありがとう。
Noteで読んでくれたり、スキやコメントを残してくれたり世話をしてくれた皆さんにも感謝を浴びます。ありがとうございます。応援してくれて、お陰様でここまで辿り着きました。
これからの道は長い。数十年は生きるつもりだ。その間に、キャリアを獲得・結婚して子供を産む・世界の旅をすること出来たら最高だ。
出来なくとも、ただ安静な生活だけでもたっぷり幸せだと言える。
日が暮れて、雨はまだつづく。でも、今日は招待的に明るい気分でいられた。これは「勝ち」って言ってもいいじゃないか。