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人を殺したい、僕(下)【小説】

前章:

5.

僕は部屋に入った途端、頭が真っ白になって緊張してきた。殺すことを忘れて、これが家に初めて誘われたことを思い出した。圧迫的な緊張感を感じた。女子の部屋に入るなんて、人生初めてだし、この人を本気に好きだし、どうすればいいいのか分からなくなった。

博美の部屋は意外と汚かった。下着が散らばって、ゴミもちゃんと捨てていない様子だった。これは、女子らしくないなと思って、びっくりした。女子は必ず部屋をきれいにしていると思っていたけど、男子とそんなに違いないじゃないか。

博美は寝室に案内して、ベッドに座っていいと言った。そして、ドラマでも一緒に見たいかと聞かれた。僕はドラマは普通見ないんだと言った。じゃあ、何をするの?と訊かれた。

「じゃあ…セックスしたい?」

博美はちょっと驚いた表情をした。

「冗談で言っていると分かっているけど、そういう変なこと言わないで」

僕は、失敗したことに気付いて、焦った。でも、何を言えばいいのか分からなくて、もっと変なことを言ってしまった。

「それは、冗談じゃなくて、質問だった…」

「それって、もっと変なことじゃん。なんで、そんなこと言おうと思ったのよ」

「ううん。ただ、なんで部屋に誘ったか、目的を知りたいんだ」

「目的って、なによ。別に目的はない。ただ、一人で退屈していたから、誘っただけだよ。もしかして、そんなこと初めて?」

僕は素直に答えた。

「初めて…なんにもかんでも初めてなんだ。僕、なんにも知らないんだ」

「じゃあ、はっきり言うから。ただ、なにもしなくても、一緒にいるのが好きなの」

「そう?じゃあ、なんで僕を見捨てようとしてたの?」

博美は顔を傾げた。

「見捨てる?何それ…」

「だって、最近メッセージ送らないじゃん。前は、毎日『おはよう』とか挨拶してたじゃん」

博美は笑った。

「もう。そんなに女子と経験が少ないの。毎日、そういう挨拶をするのは、お互いに退屈になってくるでしょう。最初は、そうやって毎日メッセージするけど、それをずっとつづけないよ、普通は」

「僕のことを飽きて、捨てるつもりじゃないのか…と思っていた」

「飽きてないよ。あなたは、本当に悲観的だね。でも、ちょっと分かっている。いろいろ、悲劇に遭ったから、心理的に幸せなことを受け入れることができないのね。ねえ、私と出会って、幸せじゃない?幸せでしょう?でも、幸せに慣れていないから、この気持ちが怖く感じるんじゃない?」

その通りだと僕は答えた。本当だ。こんな幸せになれるとは信じられなかったんだ。僕の人生にはこんなに良いことなんかあるわけがないと信じ込んでいた。だから、博美と付き合えることを諦めていたのだ。

「こめん…」と言ったけど、なんで誤っていたか分からない。もしかして、「変なことを言って、ごめんなさい」もしか「存在していて、ごめんなさい」どういう目的で誤っていた分からなかったけど、言葉が口から滑った。

「でもね。あなたのことを可哀そうだと思ってないよ。だって、あんたは強い人だもん。時々、弱い人の口振りをするけど、最後には格好いい姿を見せるのでしょう。あなたは、そういう人。わたしは、分かっている。悲劇に何度も遭ったことは知ってる。負った傷は治らないかもしれないけど、頑張って、本気をみせれば、本当に本気を出して努力してみれば、幸福になれるよ。そうなれるから。絶対」

その時、思い出した。

今日は博美を殺すつもりだったのだ。

首を絞って殺すことを決めていた。それが、僕の運命なんだ。でも、部屋に入った瞬間に殺意が突然消えた。もう、殺したくなくなった。少なくとも、今日はそうしないことに決めた。なんで、こんなに頭が良くて可愛くて優しい人を殺そうと思ったのだ。僕はバカだなぁ、と反省した。涙が出そうだった。博美のやさしさをやっと受け取れるようになった感じだった。

その後、韓国ドラマを一緒に見た。僕は、韓国ドラマを見るのは初めてだったけど、見ているとストーリーが面白くて、自分がどこにいるのか、誰が一緒にいるのか忘れてしまった。

「今日、最後まで見る?」と博美が訪ねてきた。

「ああ、そうか。帰らないと」僕は時計を見て、焦って返事した。

「いいよ。泊っても」

僕は断った。もし、一晩も一緒にいたら、また彼女を殺したい気持ちになるかもしれない。夜ずっと一緒にいたら、本当に彼女の首を絞めたかもしれない。

いや、本当は泊まりたかったけど、勇気出して断った。韓国ドラマのお蔭かもしれない。そのドラマを見ている間に、僕は善人に生まれ変わったのかもしれない。殺したい気持ちはなくて、人の命を救いたい気持ちになった。その夜、泊まる誘いを断って、博美の命を救ったのだ。バカみたいな話だけど、これは真実だ。僕は本当に彼女を殺したい、殺すのが運命だ。でも、殺さなかった。彼女と距離を置くことを決めた。そういう選択を決めた。それだけで善人じゃないと皆は言うかもしれないけど、僕は本当に善人なのだ。自分の悪意を押し潰したんだ。自分のやりたいことを我慢して、慈悲の心を閃いたのだ。それが、悟りの道ではないのか。博美はその夜、死ななかった。韓国ドラマのお蔭で。

6.
部屋に誘ってから、二週間後に博美からまた電話が来た。どうしたのかと訊いた。博美は悲しそうな声で話した。博美は気まぐれで、落ち込むことはよくあるのが、これは異常に悲しそうな口利きだった。

彼女は、ゆっくりと説明した。

「部屋に誘った日から知っていたけど、その時は言いたくなかったの。実は、お父さんが癌の疑いで入院したの。いくつかの医療検査で、確実に癌だと診断された。この間、お母さんは一人で旅館を経営していたの。お父さんのお見舞いができなくて、二人とも辛いそうで。一日だけでも、来てもらったら心が和らぐとお母さんは言っているの…」

だから、博美は北海道に帰るという話だ。

それだけではない。癌の診断だから、治ってもこれから昔みたいに働くことはできないだろうという予想だ。そうなると、博美に働いてもらったら家族は一番安心だ。博美は大学卒業してから、旅館を受け継ぐという話だったけど、仕方なく退学して今から家族のために頑張らなければいけないという話になったのだ。

だから、僕を見捨てるということだ。

いや、見捨てるとは言わなかった。実は、僕を北海道の旅館に誘ったのだ。「いつでも、泊ってきていいよ」と言われた。でも、昔みたいに気軽に会うことはもうないと僕は分かった。彼女は、遠い場所へ行って、僕のことを忘れていくつもりなのだ。

部屋に誘った目的も明らかになった。残念な知らせを聞いて、彼女は寂しい気持ちだったんだ。だから、誰かと一緒にいたい気持ちだったのだ。彼女は、僕を部屋に誘って、一緒にドラマを見たら、現実のことを忘れると思ったのではないか。

そして、僕も悔しい気持ちになった。博美と離れることじゃなくて、なんで殺せるときに殺さなかったのかと後悔した。どうせ、博美は僕を見捨てると分かっていたのに、僕は善人ぶって殺すことをやめた。簡単に殺すことができたのに、土壇場で気が変わった。そして、もう殺す方法はない。もう、二人で部屋にいることはない。博美は北海道へ帰って、手が届かない場所に住むのだ。

まあ、殺さなかったから、刑務所に連れていかれることはない。だから、自由で何か楽しいことができる。そうは言っても、やりたいことはない。何をやっても、楽しくない。そして、博美と会えなければ寂しくて、これから所在ない日々がつづくだけだ。なんで、博美を殺さなかったんだ。なんで、僕は生きなければいけないのだ。

僕は失ったことを全て思い出して、死にたいという気持ちに悩まされた。どう見ても、生き続ける理由がなんともない。前も不幸だった、今も不幸だ、この先に幸福ある訳がない。ずっと重い胸を引きずりながら生きていくことなんて、楽しそうでもない。石みたいに固くて重い心を持ちながら、何十年間も憂鬱な生活をつづけるだけなのか。この痛みを和らげる薬はない。この悲しさと悔しは僕を影のように追いついてくる。恥を抱えてどうやって生きるというのか。それは、誰にも説明できないことではないか。死ぬ方がましだ。そうしか思えない。そうするしかない。


***
二億五千万年前に、ペルム三畳紀の大量絶滅が起こった。火山の大量噴火が原因で、全生物種の九五パーセントが絶滅した。しかし、菌類は生き延びた。生き残っただけではなく、繁栄したのだ。他の生物が次々と死んでいたところ、菌類はチャンスを握って、繁殖した。 他の種が死ぬと、菌類は拡散することができる。僕が死んで、死体が土に埋められたら、菌類は僕の死体の栄養を吸って豊富に生きて広がる。 人は死ぬ、菌類は食べる。僕も菌類の餌になるため、生まれてきたのではないか。

そして、電車の前に飛び出すことを考え直した。博美を殺してから、自殺しようと考えていたが、今になって博美は殺せることはできない。でも、自殺することに支障はない。いつでも、どこでも自殺できる。

最初から、そうだったかもしれない。殺したい人は他人ではなく、自分自身のことだったのではないか。他殺ではなく、自殺をしたかったのだ。自分が苦しんでいるのに、それを他人のせいにするのは悪い。不道徳だ。不条理だ。博美はなにもしていないのに、殺すなんて、ひねくっていることだ。僕は、何を考えていたのだろう。本当にバカな発想だった。

自分が苦しんでいる。それをどうするか。他の人を殺しても、自分の苦しみをより苦しくするだけだ。でも、自分が死んだら、苦しみは肉体と一緒に消える。その方が、楽ではないか。そして、お母さんのことを思い出した。僕のお母さんは、生きるのが辛かったから、早く死んだんだ。僕も、同じことをすれば、世界は平穏になる。世界から苦しんでいる人が一人減ったら、良いことではないか。僕が死んだら、世界の大義ではないか。道徳的にも、考えたら自殺した方が良いと思った。

じゃあ、自殺の手口を考えよう。

首吊りが一般的な自殺法で、必要な物は紐とぶら下る場所だけだ。しかし、窒息は割と苦しい死に方だ。死ぬことは一度だけだから、なるべく無痛の死に方がいいんじゃないか。

既にナイフを買っているから、血管を切ることができる。上手く切れば五分間で死ぬことができるそうだ。でも、血管をどこにあると知っていても、ちゃんと切るのは几帳面な人でなければ難しい。自殺するかどうかは一発で決めないといけない。手が震えたり、頭が混乱したりしたら、自殺は成功にならない。そして、自分の体に傷をつけるのは痛い。窒息より痛いのではないか。

シアン化物があればいいのだ。シアン化物が百ミリも持っていたら、飲んですぐ死ぬことができる。毒はすぐに血流に入って、体の機能が混乱する。摂取すると、シアン化合物をチオシアン酸塩に変化させる体内の能力が圧倒される。そして、細胞が酸素を利用できなくなり死んでしまう。最終的に心臓発作で死亡する。シアン化合物は担子菌から抽出されるのだ。この菌類があれば、僕だったらシアン化物を抽出することができる。ただし、この菌類も化物も簡単に手に入れることはできない。

やっぱり、電車の前で飛び降りるのが一番良いかもしれない。ただ、早く走る電車の路線を見つけなければならない。それは、簡単に調べることができるだろう。しかし、電車に飛び降りることが一番いいと思った時に、なんとか違和感が感じた。自殺したいのは、本気だけど、電車の飛び降りて死にたいと思わなかった。説明しにくいけど、なぜかこの方法で自殺したくない気持ちになってきた。死ぬのは一度だけだから、気持ちよく死にたいと思う。

結局、自殺もできないのではないか。そう思った。他人も殺すこともできなければ、自分も殺すこともできない。僕は、なんにもできない人間だ。生きることもできなければ、死ぬこともできない。じゃあ、何のために生まれてきたのだ。なぜ、生きるのだ。それが知りたい。知りたい。知りたい。

7.
神様に祈るしかなかった。なぜ生きるかを教えて下さい。人生の目的を与えて下さい。僕は、なんで人間として生まれたか分かりたいです。暗い闇の中にいる僕に天から光を当てて、人生の目的を明らかにしてください。心の底から願った。

何時間も正座したまま、祈りつづけた。でも、返事は何もなかった。数日間、僕は絶望の池に溺れていたままだった。地獄の最下層で、僕の魂は泳いでいた。

諦めるつもりだったけど、その時に状況が微妙に変化した。まず、隣の部屋に新しい家族が入居した。三人家族だった。デブのパパと、ブサイクのママに可愛い幼い子供。子供は五・六歳ぐらいの男の子だった。ちょっといたずらが好きな本当に可愛い子だった。よく近所でママと子供を見かけるようになった。公園で滑り台で遊ぶのを見た。ママは「危ない!危ない!」と言いながら、子供は笑いながら滑り降り、高いところを登ろうとしている。スーパーでもママと子供が一緒にいた。子供は野菜を見て、つまらなそうな顔をしていた。そして、お菓子が目に入ったら盛り上がって「チョコほしい!」と叫ぶ。

「やめなさい、シュウジ!」とママは叱る。

シュウジと言う子なのだ。シュウジのことを本当に気に入った。ちょっとだけでも、一緒に遊びたいと思った。滑り台とかで遊んで、チョコを満足するまで食べさせて、楽しい時間を過ごしたい気持ちが目覚めた。週に一時間でも、ベビーシッターとしてシュウジを面倒を見れることができたら、なんと嬉しいことだ。もしかしたら、ママに声をかけてみたら、ベビーシッターさせてもらうかもしれない。そう思った。そして、ママに話しかける機会を待ちながら、何を言えばいいか考え始めた。

その時、ある夜、この計画が崩れた。夜遅くだった。僕はいつも一時過ぎに眠るから、まだ起きていた。ヘッドフォンをつけて、ネットの動画を見ていたら、隣の部屋から大きな音が聞こえた。ヘッドフォンを外して、なんだろうと思ったら、誰かが大声で怒鳴っていた。本当に気持ち悪いだみ声だった。何を言っていたかは聞き取れなかったけど、男が誰かに向けて、攻撃的なことを言っていた。そして、女性の声が聞こえた。女性も、ぜんぜん優しくなく、悪口を言い返した。酷い口喧嘩だった。そして、その裏に赤ちゃんの泣き声が響いた。泣いているのはシュウジだ。デブのパパとブサイクのママが大喧嘩して、子供のシュウジが巻き込まれていたのだ。

その後、ママともパパとも声を掛けたいと思わなかった。

一度だけだったら、どんな夫婦でも大声出して喧嘩することはあるだろう。でも、この隣人は一か月の間に三回もこういうことがあった。これは、異常だと僕でも分かる。これは、普通の家族ではないことが分かってきた。

そして、本当に残念なことを目撃した。この三人家族が駅の方へ向かっていたとき、パパはシュウジの頭を掌で叩いた。それで、シュウジは泣き出した。子供は当たり前に歩くのが遅い。そして、好奇心が高いから、止まって何かを調べるのが好きなのだ。だから、どこへ行くのも時間がかかる。シュウジは止まって「だっこ」と言ったり、虫か何かを追いかけて親から離れるときもあったり、いたずらが好きな子なのだ。だから、急いで目的地まで移動することは無理なのだ。それは僕も知っているんだから、親も知っている筈だ。でも、パパは分かっていないのか、急いで駅まで歩かないと苛々している間に、息子のシュウジに手を挙げたのだ。これを目撃して、気分が胃の底まで沈んだ。冷え冷えする気持ちが全身を通った。

僕は、もう限界だった。これは許せない。シュウジが叩かれるのを見て、思い付いた。僕は、このパパを殺すと決めた。いや、もっと前から考えていた。もし、この亭主関白が死んだら、シュウジの人生はもっと楽になるのではないかと思った。お金が困ったら、僕も寄付できるんだから。ただし、暴力を振るう、大声で怒鳴る父親と住むのは酷すぎる。シュウジのことが可哀そうだ。

ママも少しは憎んでいた。ママも怒り出すし、子供を打ったことは見ていないけど、そうやるかもしれない人に見える。そこまでしなくても、ママにも罪がある。虐待を起こす旦那を追い出さないことは、虐待を許していることと同じだ。こんなバカなママがいる子供は本当に可哀そうだ。常識がない、自分の子供を守る頭がない、本当にバカで最低なママを許し難い。

でも、一番悪いのはパパだ。この人の存在をまず消さなければいけない。そして、僕はそうする能力があるのだ。僕は、人を殺すことができるのだ。このために、神様が僕に殺意を与えてくれたのだ。神様はこの男を殺して欲しかったのだ。だから、神様が僕に可笑しい頭と、辛い人生を与えたのだ。この悪魔を倒すことが、僕の人生の目的だったんだ。

8.
「バイキング」と言ったら、日本人は「食べ放題」という意味だと思っている。実は、バイキングは北欧に住んでいた民族のことだ。このバイキング族は邪悪で恐ろしい人々だった。他国に住んでいる村人を襲撃して略奪する族だった。人殺しも性暴力も犯した。じゃあ、なぜバイキング族はそんな悪辣なことを平気にできたのか。その理由は、きのこだ。バイキングは戦争の前にベニテングタケを食べたのだ。あの赤くて白い水玉模様がついている毒きのこだ。

毒きのこを摂取すると、痛みを鈍らせる、顔を認識できなくさせる、そして血圧を下げる。幻覚も発症して、道徳的や論理的な思考が乏しくなる。アルコールを飲んで、暴れる人もいるが、バイキングはきのこを食べて、戦争の準備をしたのだ。 僕はこのきのこの力を借りたかったが、きのこは近くに生えていなかった。だから、僕の戦争は自力で戦わないといけなかった。

人殺しって、意外と頭を使う仕事だ。手口とロケーションを決めるのに、大変悩んだ。まず、場所を決めた方がいいと思った。それが、もっと難しい問題だ。敵と自分が二人だけの場所がいい。目撃者がいたら困る。第三者が邪魔したら最悪だ。それか、警察に電話したら後で僕はヤバい。

うちのアパートは三階建てで、僕らは三階に住んでいる。三階には二つの部屋しかない。じゃあ、廊下は僕と敵のプライベートスペースになる。だから、目撃者もいなければ、邪魔する人もいない。

パパは夜遅くまで帰ってこない奴だ。仕事の残業か、酒を飲んでいるのか分からないが、十時過ぎまでは帰ってこない。それは、僕にとってちょうど良い。夜遅くだと、擦れ合う人もいなくて、邪魔する人に遭わないで済む。

パパはいつもエレベーターで上がる。エレベーターのドアが開くと、右に曲がって部屋へ向かう。エレベーターのドアの左側には階段がある。僕は階段のところで隠れて待てばいい。そして、敵が廊下を歩いている途中で殺せばいいのだ。ドアにつくまで追いかけて、殺したら、誰にも見れないし、なにの支障もない。完璧な計画ではないか。

一番大きい問題は、敵は僕よりも強そうなことだ。デブだから、筋肉を持っているのではないかと思う。だから、面を向けて攻撃するのは無効だ。後ろから殴り殺すことが一番だ。見えないところで、そっと近づき、バシッと思いっきり殴ったら、足は崩れて倒れるだろう。ハンマーを持っていたらいい。ハンマーで思いっきり頭を叩いて、意識を失ったら、一番良い。うつふせに倒れている状態で、また十回ぐらいハンマーで頭を叩いたら、死ぬのではないか。百パーセント死ぬかどうか分からないが、映画だと十回も頭が硬いもので打たれたら、被害者は死ぬから、そうではないかと思ったのだ。

そして、ホームセンターに行って、ハンマーを買いに行った。今回は、一般的なものを買いたかった。ありふれたハンマーを凶器として使ったら、警察の捜査に困るだろう。誰でも持っているハンマーだと捜査官は困惑する。そういうハンマーを持っている何百人もいるから僕だと誰も思わないだろう。
ハンマーで後頭部を力を入れて叩く。こいつはデブで、僕より身長は少し高いけど、腕を伸ばしたらハンマーは届く。もし、お酒飲んで帰ってきたら、リアクションタイムが鈍くなるから、僕のアドバンテージになる。お酒を飲んでから帰ってほしい。

一番大事なのは冷静に動くことだ。でも、これは難しそうではない。僕は道徳の味方だから、恐れる必要はない。前は、ひねくった理由で人を殺したかった。特別の凶器が欲しいとか、いっぱいわがままなことに執着していた。でも、これは自分のためではなくて、シュウジの為なのだ。これは、全部シュウジの為だ。シュウジと、世界中の子供たちの安心と幸せのために、僕は人を殺すのだ。だから、エゴイズムや利己主義は捨てて、自分じゃなくて他の人にことを考えて、人を殺すのだ。


馬鹿野郎を殺すためにリハーサルをした。まず、心を慰めた。人を殺すと決めてから、胃腸から嫌な気持ちがむやむやと感じてきた。でも、もう決めていた。世界から一人の馬鹿野郎を消すことは善行だと、自分に言い聞かせた。そうだろう。虐待を起こす、子供に暴力を振るう男が死んでも、悪いことだと誰が言えるのだ。世界が少しでも美しくなるのではないか。シュウジのことを考えた。最悪な父親が亡くなったら、少しは楽になるだろう。安心して育つことができるだろう。人生は輝いてくるだろう。今は、シュウジの人生は暗くて鬱陶しい。パパを殺してあげたら、シュウジの苦が減るだけだ。そうだ。僕は人殺しになるけど、これは世界を美しくするための殺害だ。僕は自警団員だ。僕はヒーローと言ってもいいものだ。

僕の武器はハンマー。これを使って、世界の子供達のために働くのだ。シュウジのためにパパを殺すのだ。そして、スーパーでメロンを三個買ってきた。僕はメロンを特に好きでもないけど、食べるわけではない。殺す練習のためにメロンを使うのだ。メロンを馬鹿野郎の頭だと考え、ハンマーで打った。一発でメロンの硬い皮が割れた。それをあと二回やってみた。思ったより、メロンは簡単に割れた。人間の骸骨はメロンより硬いと思うが、この程度だと僕の作戦は成功するだろう。一回叩いたら、彼は倒れるだろう。倒れてから、あと十回ぐらい打ったら死ぬだろう。僕の腕は強くもないけど、ハンマーの重さを使ってスイングしたら、かなりのスピードで降りる。手が滑らないように気を付けて、思いっきり力を入れて握った。これで、どうだ。殺せるだろうか。いや、絶対に殺せる。殺せない訳がない。僕は、こうやって暗殺の準備をした。

バイトが入っていない金曜の夕方に殺すことを決めた。アリバイはないけど、隣人に殺されると警察は思わないだろう。警察に捕まれたら、シュウジのために何もやってあげないから、自分が疑われないように気を付けた。金曜の夜は、普通の若者は出掛けている。だから、警察に尋問されたら「僕は金曜の夜はいつも出掛けています」と言えばいいのだ。誰でも、この嘘を信じるだろう。あらためて、完璧な計画だと思った。

金曜の夜がようやく来た。その日まで待つのは辛かったけど、我慢して普通に生活をつづけていた。そして、その夜に階段の場所で待っていた。寒い夜だったが、僕の体は熱かった。汗が額から流れていた。手と足がグタグタ震えていた。心拍も恐ろしく早かった。人を殺すのは、こんなに恐ろしいことだと思っていなかった。いや、恐ろしいものだとは知っていた。だが、自分は緊張感をもっと簡単に乗り越えられると思っていた。ここだけが、計算外れだった。ベニテングタケの力を借りたかった。

僕は普通の人とそんなに違わない。サイコパスだったら、こういうことは楽しく感じるだろう。僕はそうじゃなかった。僕は凡人だ。僕は、悪人ではないのだ。本当は優しい人なんだ。本当は良い人なんだ。弱い人の口振りするけど、本当は強い人なんだ。最後には格好いい姿を見せる。被害に何度も遭って、傷は治らないかもしれないけど、頑張って、本気をみせれば、何もできる人だ。絶対。

でも、この人は殺す。殺さなければならない。

人は必ず死ぬ。もうちょっと長く生きたい、もうちょっと長く、と言いながら人は頑張るが、これはわがまま言っているだけではないか。生きることって、そんなに楽しいのか。生きることは辛いだけではないのか。もっと早く死にたいという人がもっといないのが不思議だ。僕は、早く死にたい。僕は、生まれなくても良かったんだ。でも、生まれてきた。だから、貰った命は罰なのだ。でも、一人で苦し続けて我慢するなんて、誰が言えるか。いや、僕はどうにか恥と怒りを表現する。人を殺して、この気持ちを表す。

現代社会は甘すぎるのだ。今は戦争も少ないし、本気に憎んでいる人がいても、暴力を振るった方が悪いのだ。現代の法律や警察は社会を甘やかしているんだ。そして、悪い人は法律さえ守ったら、悪い行為をつづけることができる。でも、法律よりも大きいものはあるのではないか。不文律なルールもある。法律より貴重なものがある。真実というものだ。僕には家族も仲間もいないけど、真実が味方だ。真実だけあれば、仲間なんかいらない。真実を守るためにハンマーも持っている。真実を守るために武器を手に入れて戦うのだ。

僕には道徳がある。僕には常識がある。僕には共感と慈悲と同情がある。僕の心の奥には愛情もある。でも、人を殺したいのだ。この人を殺したいのだ。この人を殺さないわけがない。これが、僕の運命だ。神様から与えられた使命だ。この運命を導くために、努力が必要だ。勇気が必要だ。お腹が痛いとか、頭が痛いとか、そういう理由で断念するなんて、弱者ではなかろうが。我慢するのだ。お腹が痛い。頭が痛い。でも、神様の使命だから最後までやるのだ。シュウジのために頑張らなければいけない。身を尽くして、義務を果たすのだ。ファイトするのだ。殺せ。殺せ…

夜の九時から、階段で待っていた。人が通ったらヤバいので、ハンマーはポケットに隠していた。これも、計画していた。深いポケットがあるジーパンを履いていたのだ。上には黒いダウンジャケットを着ていた。寒い季節だったので、じっと立っているのは辛かった。何時間も待つ必要があるかもしれないと分かっていたが、体が悪寒に負けそうだった。敵は帰る時間が決まっていなくて、早く帰る日もあれば、午前中まで帰らない日もある。だから、ずっと待たないといけないのだ。白い息を吐きながら、一時間が過ぎた。十時には、シュウジはもう寝ていた。たまに、起き上がって泣くこともある。壁が薄いから、泣き声が廊下から聞こえるのだ。でも、シュウジの泣き声は聞こえなかった。その夜はぐっすり寝ていた。ちゃんと眠れていると知って、僕は安心した。幸せも感じた。子供がちゃんと眠れることは、良いことだ。悪い夢とか見たり、お漏らしするとか、そういうことがなければ大人たちは安心できる。僕も安心して、微笑んだ。これからは、ずっと安心してぐっすり眠ることができるよ、シュウジ。馬鹿なパパはもう帰ってこない。馬鹿なパパに殴られることはもうないのだ。怒鳴られることもない。これからの人生は順調に進むよ。約束だ。シュウジ、大好きだよ…

そして、二時間も過ぎた。三時間。四時間…時計をみるのをやめた。ただただ待っていた。朝になるまで待っていた。朝日が見えるまでずっと階段で立っていた。敵は現れなかった。馬鹿野郎はどこにいるのだろう。帰ってほしくない日はいつもいるのに、帰ってほしい日だけ帰らないのか。こいつに本当に苛々する。最低な奴だ。

朝日が地平線に見えてきてから、ようやく諦めた。そろそろ、人は起きて出掛ける時間だ。目撃者がいたらヤバい。今夜は諦めるしかない。違う夜に再戦しようと思って、すごすご自分の部屋へ帰った。


***
その夜から、体が疲れて体調を崩してしまった。酷い風邪を引いた。回復するまで一週間も掛かった。体が元気じゃないと人殺しはできないから、仕方なく休んでいた。バイトもしばらく休暇を取った。だから、部屋の中でゴロゴロして怠けていた。テレビもつけなくて、ゲームもしなくて、何もしなかった。何もかもつまらなかったし、頭がもやもやしていたから、何もやる気がなかった。

そう頃、僕の部屋に誰かが訪ねてきた。インターホンが鳴って、僕は立ち上がった。誰だと思ったら、警察だった。

捜査官が玄関に現れて、僕に話したいと言ってきた。僕の心臓が止まりそうだった。これで、僕の終わりだと思った。でも、もうちょっと考えてみたら、僕は誰も殺していない。何も犯罪を犯していない。人を殺そうと考えていたが、結局何もしていなかった。人を殺す計画を立てただけでも犯罪か?しかし、頭の中だけにこの考えことで、誰にも話していなかった。さすが警察でも、僕の心の中を覗くことはできない筈だ。でも、三十秒ぐらい、僕の計画がバレて逮捕されると思っていて、足がすくんている状態で立っていた。

しかし、警察の話は全然違った。隣人のなになにさんについて、話をうかがいたいと捜査官は言った。

「えっと、それは隣に住んでいる男性のことですか?」

そうだと捜査官は言った。

僕は知っていることを警察に言った。もちろん、殺すつもりのことは言わなかった。

「この人は怒鳴ったり、妻と喧嘩したり、子供を殴ったりしたことを知っています」と言った。

そして、思い出した。

「そういえば、この一週間の間は静かでした。彼とは擦れなかったです。彼の声も聞いていません」

捜査官は説明した。

「実は、一週間前に、この人は犯罪を起こした疑いで、捕まえたまま警察署にいるんです」

「え?どういう犯罪ですか?」

捜査官は几帳面に説明した。彼は、飲み会に出かけて、酔っている間に、なぜか怒り出して、相手を思いっきりげんこつで殴った。そして、その相手は病院に連れられて、後で死亡したと。

「え?隣の人は、人を殺したということですか?」

捜査官は、今が捜査中だと言った。でも、集めた証拠では、そういう可能性はあると思えると言った。

捜査官は長く話さなかった。五分間ぐらい話し合って、そのあと帰った。僕はしばらくそのまま呆気にとられた状態で玄関に立っていた。


9.
ミナミシビレタケというきのこは「マジックマッシュルーム」とも呼ばれる。このキノコは麻薬の一種である。トリプタミン系アルカロイドのシロシビンやシロシンを含んだ菌類だ。幻覚作用があり、トランス状態を引き起こすと言われる。よく、人はスピリチュアルな体験をしたとあとで言う。

「実は、私もそういう体験をしました」森下先生は生徒たちに言ったら、見んが驚いた声を上げた。

日本の法律では禁止されているが、東南アジアでは簡単に手に入る。森下先生はジャヴァに旅行したとき、このきのこを食べた。そのあと、菌類の専門家になると決めたと言った。

「これは、幻覚ではないかと疑う人もいるでしょう。麻薬を取って、頭が可笑しくなったのではないか。そうでしょうか?でも、私は思うのは、こういう体験がしていない人の方が、頭が可笑しいと思います。君とあなたは別人だということが可笑しい考え方だと思います。いや、この世界の全ては繋がっています。生物的・物理的の考えでは、全てが一つのものに繋がっていると明らかにされています。私と君が別々の生き物だと考えている方が、科学の知識と矛盾します。菌類について研究してもそうですよ。菌類がなければ、森も植物も生きることは出来ません。菌類がなければ、この地球に何も生き物は生まれなかったかもしれません。菌類があるから、あなたの命も可能だったのです。そして、今もあなたの命、あなたの人生は菌類に支えられています」

マジックマッシュルームを食べたきっかけで、菌類の専門家になるため一心に働いたと先生は言った。研究して、いろいろ調べて、夢に向かって最善を尽くした。そして、夢が叶ったのだと、笑顔をみせて僕らに話した。

「我らの命は、目で見えないものに支えられています。いろいろなものが繋がっているから、私達は生きることができます。貴方は、その繋がりに気づいていないだけです。しかし、私たちは皆、密接につながっています。私たちはひとつの世界の一部なのです。菌類は私たちを結びつける最も強力な接着剤の一つです。
「菌類は互いにコミュニケーションを取っているんですよ。植物や動物ともコミュニケーションをとっています。もしかしたら、私たち人間とコミュニケーションを取ろうとしているのかもしれません。どういう話をしたいのでしょうか。それは、まだ謎です。
「真菌の菌糸は、真菌と樹木の間のコミュニケーションの鎖であります。樹木は、光合成によって作られた炭水化物分子を根を経由して真菌に供給しています。オークという木は何百年も生きられます。オークは菌類と共生関係しています。樹木と菌類はお互いの利益のために栄養分や情報を交換しています。菌類は話すことができるのです。菌類は樹木に、彼らが生き方を伝えています。 
「私たちは個人だ。私は私、あなたはあなた。それが庶民の考え方だ。しかし、よく見ると、私たちの内部や周囲には微生物がいて、肉体の機能の一部です。体の一〇%は微生物でできているんですよ。この微生物がいなければ私達は生きていけません。真実を理解すれば、私たちの個性に対する考えは崩れます。私たちの体重を量ったら、一〇パーセントは菌類なのだ。人間は地球の上を歩いているんじゃなくて、私たちは地球の一部なのです。私たちは菌類を通して、地球と繋がっているのです」

森下先生はそうやって教えてくれた。それが真実だと、僕はようやく分かった。僕たちは目で見えないもので繋がっている。社会は、皆がちゃんと働ければ、皆に利益を出せる。農家がいるから、食べ物がある。医者は病気を治す。警察は悪者を捕まえる。人々は協力したら、皆が幸せになれる。苦しんでいる人を支えるために、必ず優しい人が現れてくる。我らは繋がって共生している。それが分かってきた。そして、僕は札幌へ行くことを決めた。

シュウジとママは、そのあと引っ越しして、もう会えないようになった。気付いたら、隣の部屋が空になって、その次の週に新しい人が住んでいた。子供がない若いカップルと廊下で擦りあって、この人達がシュウジが住んでいた部屋に入居したと分かった。シュウジとママに声をかけたかったけど、チャンスを逃してしまった。

でも、それでもいいのだ。僕は、誰も殺していない。僕は悪人ではない。自由な無犯罪の男性の人間だ。シュウジの面倒をみることは諦めて、他の道に辿り着くことを決めた。

博美と結婚することを決めたのだ。プロポーズしに、北海道へ行くことを決めた。そして、旅館の経営者になるのだ。博美のお手伝いをするのだ。夫婦で一緒に旅館を受け継いで、幸せに暮らしたいと考えた。そして、バイトをやめて、北海道行きの切符を買った。今、空港に向かっている。

旅館を経営するのは大変だろうけど、楽しくやれば出来るだろう。旅館の仕事について何も知らないけど、やってみれば分かると思う。だって、コールセンターの仕事を始めたとき、何も分かっていなかった。映画館でバイトを始めたときも、最初はやり方が全然分からなかった。だから、これからは分からないものに恐れなく、元気よく新しい挑戦に向き合えばいいのだ。

そう考えると心が温かくなってきた。将来は明るい感じがする。これからは、人に優しくして、助けてくれる人達に感謝して、思い切って頑張るのだ。これが、僕の運命なのだ。いや、これは僕が選んだ選択肢だ。

と言いながら、悪質は完全に消えた訳でもない。今は前向きでも、心の奥に殺したい気持ちがまだ潜んでいる。隠微に殺意は残っている。博美を殺したいとまだ少しは考えている。

博美と結婚するのか?断られたら殺すか?イエスと言って、何年間も同棲している間、心が突然変わったら、殺すこともできる。殺すか、殺さないか。殺してもいいけど…と思いながら飛行機に乗客した。



end.



最後まで読んで、ありがとうございます。これで、このストーリーの最終編です。いかがでしょうか。コメントを気軽に書いてください。

カバーは Matas Martinaitisさんの作品を借りました。ずっと前からフォローしていた画家です。是非、インスタのプロフィールをご覧ください。

https://www.instagram.com/matas_martinaitis?igsh=MXBtZ2ExNHRvcDRqeg==



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