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東京も好きだということ

銀座の夜の街を歩いていた。たくさんの外国人と洗練されたファッションで歩く人々。ネオンがきらり、きらりと、輝いていた。

わたしが今の部署に異動してオフィスに来た頃、この道にはほとんど誰も歩いていなかった。電気は消されていて、レストランには休業の張り紙があって、コンビニだけが賑わっていた。でもみんなマスクをしていて、嬉しそうな人はいなかった。いたのかもしれないけれど、分からなかった。

それがまるで嘘だったかのように一変していて、いや、嘘だったのかも、と思うほどで、それでなんだか嬉しくて、涙さえ出そうな気分。街ゆく人々が笑っていて、たくさんの外国人が銀座のSEIKOの時計台にカメラを向けていて、人混みは得意ではないはずなのに嫌ではなかった。

夜なのに明るい、この街が嬉しかった。仕事終わりのサラリーマンが缶ビールを片手に公園で話し込んでいて、なぜだかホッとした。千鳥足でゆらゆら歩く父世代のサラリーマンが大きな声で話していてホッとした。

わたしは、東京も好きだと思った。なんとなく避けるようにしていたけれど、本当はすごく憧れているのだ。この街に見合うように必死なのだ。好きなのに、ちょっと興味のないふりしてしまっていた。わたしは東京も好きだ。

東京を避けるように暮らしてきてしまったけれど、人々が東京へ集まる理由はよく分かる。分かってきたような気がする。もっと東京も旅をしようと思った。

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星野リゾートも地方ばかりではなく都市部に施設があり、東京にもOMOブランドの施設がある。大塚、赤坂、そしてOMO3浅草の開業がリリースされて3施設になった。

浅草はわたしと夫の出会った場所。浅草のおでんやさんで、わたしたちは出会った。その頃彼は、仕事をやめて、国内外をふらりふらりしていた。いわゆるニート。(今はニート卒業しました。笑)ロン毛に顎鬚、アフリカに由来するという楽器を腰にぶら下げてやってきた。当時はまさか結婚するなど思ってもいなかったような、なんとなく運命の相手である気がしていたような。そんなような気がする。

そういえばコロナがまだなんなのか分からない頃(今もよく分からないが)、マレーシアに住む友だちがハネムーンで日本にやってきて、浅草の街を一緒に歩いたこたもあった。

浅草にはなんだか思い出がたくさんある。そんなことを浅草の開業のニュースを見ながら考えていた。

ハネムーンに日本に来た彼女たちが、もんじゃを食べてみたい、と言うので、仲見世通りから裏路地に入ったところにあるこじんまりとしたもんじゃ屋にはいった。わたしがもんじゃを作ってあげると、ふたりは感動して興奮のまなざしでわたしを見た。めんたいチーズが美味しいと言うので、2回頼んだ。雷門で写真を撮って、青く光るスカイツリーを眺めた。そうして、不確かな「またね。」を言い合って、3年間会えなくなった。

次に彼女たちが日本に来たら、またもんじゃを食べて、めんたいこチーズのもんじゃを食べて、今度はOMOに一緒に泊まろう、と思う。


東京にはなんでもある。なんでもあるからこそ、自分のとっておきを見つけるのが大変なのだ。でもそれを見つければ、どれほど混沌とした街々もきっと、味方になるのだろう。

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