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シングルガールでありたい27歳

永遠に、シングルガールでありたい、そう願っています。シングルガールとは、世の中的に定義があるのかどうかは分かりません。が、最近読んだ山内マリコさんの本で出てきた言葉で、なんだかいいな、と思ったのです。

一部の女の子は実家という安全な場所から離れ、地元での安穏な暮らしを捨て、単身都会を目指します。『魔女宅』のキキのように住む場所を探し、仕事を探し、運命を切り拓き、自分で自分の船を漕いで生きていく道を選びます。誰かに頼って生き方を決めてもらうんじゃなくて、自分で選び取ろうともがく。女の人にそういう自由が許されるようになったのは実はごく最近のこと。――ー

結婚とわたし/山内マリコ

シングルガール、つまり独身でいたい、というわけではなくて。そもそも結婚しておりますし。(このnoteを書いている横で、PCをのぞきこんだ夫が「え?」とタイトルに驚いてました。笑 )

わたしは、妻である前に、娘である前に、姉である前に、妹である前に、いつかもしかしたらなるかもしれない母である前に、たった一人の人間であること。ただ一人の人間で、それはとても孤独で、独立した存在でること。

わたしの人生を決められるのはわたしだけであり、時に孤独で、そして力強いパワーがみなぎっているということ。そういうことを大事にしたいのです。

ひとりでなど生きてはいけないけれど、でも、ひとりきりで闘ってきたこともたくさんある。きっとみんなそうなはず。「誰のおかげで〜」みたいなセリフがよくあるけれど、そういう次元の話ではないです。

シングルガールでありたいわたしがどうして結婚を選んだのか。それはまだわたしにも分かりません。でも、それも自分で決めたのです。

自由であること。
身も心も自由であること。

それはあまりにも贅沢な願いであることでしょう。

でもいつか死んでしまうのだから。わたしの体も心もいつかなくなってしまうのだから、今くらい願いたいものです。願いはどこまでも贅沢でいい、と思っています。

わたしはこれからどう生きていくのか。これから何を見たいのか。何をしたいのか。誰といたいのか。いつもいつもそんなことを考えています。結婚をすれば、人生はもう安泰なのかなと思っていたけれど、そんなことは決してなく。自分の人生はつづく、つづく。だから、答えを出せないとしても、この問いを考え続けたいのです。なんのために生まれてきたのか。わたしはなぜ生きているのか。考え続けることこそが生を全うすることだと、思うから。

ときに、世界の法や、論理的な思考や、倫理観では選べないことがきっとある。ルールを超えて、自分や他人を信じることができるか。わたしたちはいつも自分を試しているのかも。試されているのかも。規則なんてクソくらえと思っています。

誰と居ても、どこに居ても、自分を、隣人を、愛せますように。そのために、心地のいい環境は自分でつくる。いろいろあるけれど、みんないろいろある。わたしにだって、みんなにだって、いろいろある。

そういう中でちゃんと生きていく。逃げないで生きていく。わたしの選ぶ人生は、そういう人生なのだと。言えるようにあろうと日々思っています。もちろん、逃げたっていいよと思う。逃げたこともあるよ。うまくいかない日のほうが多いかしれない。でも、その先にちゃんと自分の足で歩く未来があるように、苦しくても努力することはどうしても必要なのだと思います。

当たり前のようで、特別なこと。特別なようで、当たり前のこと。そう、これはきっと素直なきもち。

いつかきっと、読み返して思うだろう。シングルガールにはもう戻れない、と。そのときまで、そのときまではわがままに、わがままにいよう!と思う夜なのでした〜

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