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エッセイ / 自分とはなにか、最新考

「自分」って本当に、確固たるものじゃなくて、関係性や文脈によっていかようにでも変わるものなんだなあと最近よく思う。

この前、友人二人が檜原村に遊びにきてくれた。たまたまだけど、二人とも理系で、長男だった。一方の私は、文系の末っ子だ。そんな二人といると、私は「論理よりも感性を重んじる」「しっかり者とは呼べない」キャラクターになりやすい。

でも、檜原村の険しめの自然のなかを歩くときなど、友人二人が不慣れな体験をするとき、私は「しっかり者」になった。彼らの安全は私が担保するのだと、責任感を持ち、頭を働かせて行動した。ちょっと大げさに言えば、二人のことは私が守る、とさえ思っていたかもしれない。まあ、自分ではそんな自覚はまるでなく、後から「あのときのYU-MIはしっかりしていた」と友人に言われて気がついたのだけど。

その時は一泊二日で色々な体験をしたので、場面ごとにそれぞれの立ち位置が微妙に変わっていき、同じメンバーでいてさえ、役割やキャラクターがここまで変わるんだなあとつくづく感じて、とても面白かった。普段は都心で会っていた友人と、檜原村という新たなフィールドで会ったのも、お互いの様々な面を見せ合うのに一役買っていたかもしれない。

まして、一緒にいる人が変わればなおさらだ。栃木県で自給自足の修行をしていた頃、私は完全に「理性的な人間」というキャラクターを確立していたし、自分でもそういう自己認知をしていた。当時一緒に住んでいたメンバーには、感覚派が多かったからだ。でも東京に戻り、会社に勤める友人に囲まれると、会社をドロップアウトして謎の道をゆく私は圧倒的に「理性よりも感覚で意思決定をする人」なのだった。

私は今まで、自己分析診断や占いが大好きだった。自己分析オタクだったと言ってもまったく過言じゃないと思う。ストレングスファインダー、エニアグラム、16Personalities、メンタルモデル……あらゆるタイプの自己分析フレームワークを、それぞれそこそこ深く探究した自負がある。

でも最近は、「私はこういう人間です」と断言することが、あんまりしっくりこなくなってきた。そんなもの、いつ、どこに、誰と、どんな状況でいるかで、いかようにも変わってしまうものだと思うようになったからだ。

実はこれは、仏教の「空(くう)」という概念に通じる話でもある。

すべては生滅変化する無常なものであり、永遠不滅の本体などないと考えるのが仏教の出発点である。……「空」は、永遠不滅の固定的実体のないことを意味する。……しかしあらゆるものが空(くう)性であるということは、決して何者も存在しないとか、すべてのものは虚妄であるとかいうことを意味しはしない。
(中略)
「縁起」とは「因縁生起」を略した言葉で、事物事象が、互いに原因(因)や条件(縁)となり合い、複雑な関係を結びながら、相互相依しあって成り立っていることをいう。とくに大乗仏教では、「縁起」は「空」と同一視される。「空」とは、「自性(※確固たる本質)」を持たないという消極的意味と、「縁起」による事物事象の関係的成立という積極的意味の両面を兼ね備えているということができる。

引用:頼住光子『正法眼蔵入門』

自分とは、不変の確固たる本質を持つものではなく、周りの人や物、状況などと複雑な関係を結びながら、成り立っているものである。そう考えると、永遠に終わらない自分探しの旅に前向きに終止符が打てるような、肩の荷が降りるような気持ちになってくる。

とはいえ、5W1Hがまったく同じ状況に置かれても、もちろん人によって取る行動や立ち顕れる役割には若干の差があるはずで。なぜなら空であることは、自分がまったくの空っぽであることとは違うから。自分がこれまで積み上げてきたもの(因縁)によって、やっぱりちょっと、担う役割やキャラクターに、傾向のようなものはあるんだと思う。

「それって結局、自分の性格には一定の特徴や傾向があるということじゃない?(=自分の性格には本質があるってことじゃない?)」という声が聞こえなくもないけれど。それが、確固たる本質、みたいな、硬くて不動のものではなくって、時と場合に応じて変化しうる、やわらかくて曖昧なものなんじゃないかってことを、私は最近感じているわけです。

最後に少し告白をすると、私は今まで、自分が理性的なのか感情的なのか、しっかり者なのかそうでないのか、という、今思えばくだらなすぎることで、思い悩んできた。家では、わがまま放題の末っ子。一方で学校では、学級委員やリーダーをやるしっかり者。そんな私だったからだ。

どっちが本当の自分なんだろう?と、二人の自分の間で引き裂かれそうになっていた昔の私に、今ならこう伝えることができそうだ。「どちらも私であって、どちらも私ではないんだよ」と。

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