YU-MI

ライター/東京都檜原村地域おこし協力隊/元・非電化工房住み込み弟子。趣味は自問自答です。エッセイを中心に、自己満足きわまりない文章をかきます。

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  • 映画レビュー

    しぬほど映画に自己投影をして、しぬほど自己満足な感想を書きます。★は5.0点満点。年間100本鑑賞が目標。

  • 自作の詩まとめ。私にとって詩とは、感情の魚拓のようなもの。感情は、その瞬間に捕まえないと、すぐに消えてしまうから。これは覚えておきたいぞ、という感情をなんとか留めておくために、詩を書いています。

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『チ。』はまんがで読む般若心経だったし、お陰で死ぬのが怖くなくなった

私はいままで、自分(人)が生きる意味をけっこう真剣に考えてきたと思う。その結果、武士道の教えを本気で実践しようとして挫折したり、様々な生き方を訪ねて日本全国を旅してみたり、現在は山奥で自給自足の修行をしていたりと、傍から見たら迷走と呼ばれてしまうようなムーブをかまし続けているが、私自身はいたって真剣である。そんな試行錯誤のなかで、生きる意味を探すうえでの最大の敵の存在に気がついた。それは「死」だ。 「私たちはどうせいつかは死んで無に帰すのだ」と考えると、生きているうちに何を

    • 「ゼロで死ね」という本を突然渡された私はハンガリー行きの航空券を買った

      ある日、私が職場のデスクで事務作業をしていると、職員のOさんから突然「ゼロで死ね」と書かれた本を手渡された。当然とてもびっくりした。Oさんは仕事のできる人で、普段あまり雑談をしない真面目な人だから尚更だ。おもむろに私のデスクに近寄ってきたOさんは、「この本は、YU-MIさんが感じてきた資本主義に対する違和感とも結びつく本なんじゃないかと思うんです」と言いながら、本を私に手渡した。 その本は、「DIE WITH ZERO ~ 人生が豊かになりすぎる究極のルール」という本だった

      • エッセイ / 高崎小旅行

        昨日から今日にかけて、友人と群馬県の高崎に小旅行に来ていた。目的は「シネマテークたかさき」というミニシアターで映画を観ること。私とその友人は映画が好きで、「一緒にミニシアターをつくろうか」などと夢を語っていた時期に、全国のミニシアターを少しずつ一緒に回る小さなマイプロジェクトをスタートさせたのだった。 前回は埼玉県深谷市にある「深谷シネマ」という映画館に行った。全国で唯一の酒蔵を改装した映画館で、周囲のレトロな街並みと相まって、すごく素敵な場所だった。 今回行くことにした

        • エッセイ / 久々に性格診断やったんだけどさ

          先日、久しぶりに性格診断をやった。仲の良い友人がSNSに上げていたので、なんとなく私もやってみようと思ったのだ。 結果は以下のような感じだった。 驚いたのは、「職業別の才能」という項目で、「芸術家」のポイントがかなり低かったこと、反対に「家庭人」のポイントがかなり高かったことだ。 私は数年前、エニアグラムという、人の性格を8つに分ける性格診断に凝っていたことがある。その時の私は、圧倒的に「タイプ4(芸術家タイプ)」のポイントが高かった。でも今ではどうやら、芸術家ではなく

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          自分の願いについて、現在地の記録

          「人はいかに生くべきか」、もっとやわらかく言えば、「私たちはどうしたら幸せに生きられるのか」。私がずっと探求してきた問いだ。その本質的な答えだと思えるものが、とある本にあっさりと言語化されていた。 結局、これに尽きるんだと思う。「これに尽きる」と思えているのは、今までずっと、その答えを探して試行錯誤を重ねてきたからこそなんだけど。 思えば『嫌われる勇気』でも、同じようなことが言われていた。 だからこそ私はここ数年、「ありのままの自分」の純度を高めることと、つながりを感じ

          エッセイ / スマホなくした

          1週間くらい前にスマートフォンを落としてなくした。上着のポケットに入れていたはずが、いつの間にかなくなっていたのだ。なくしたのはバイクで檜原村から新宿に向かっている最中(距離にして約60km)だったので、どこに落としたかもわからないし、落とした衝撃か、後続車に轢かれたかで十中八九壊れているに違いない。そんなわけで、探し出す努力さえせず、私はスマホを諦めた。自分でも意外なほど、ないもんはもう仕方がないよなと、結構すぐに割り切れた。 強いていえば、本体のボイスメモに残していたこ

          エッセイ / mabataki

          私たちはみんな、大事なことを忘れすぎなのだし、それでいて大事でもないことを覚えていすぎる。 人はいつか必ず死に、それは明日かもしれないこと。自分の命は、自分以外のあらゆるもので成り立っていること。いま憎んでいる目の前の人が、これまで私にしてきてくれた数々の親切。 そんなことをいつも覚えていられたら。私たちは憎み合うことがなくなるかもしれない。 日々頭のなかでこねくり回している考えごと。私の人生を変えてくれた本。あの人がくれた言葉。あなたの笑顔。 それらを一切覚えていら

          エッセイ / 自分とはなにか、最新考

          「自分」って本当に、確固たるものじゃなくて、関係性や文脈によっていかようにでも変わるものなんだなあと最近よく思う。 この前、友人二人が檜原村に遊びにきてくれた。たまたまだけど、二人とも理系で、長男だった。一方の私は、文系の末っ子だ。そんな二人といると、私は「論理よりも感性を重んじる」「しっかり者とは呼べない」キャラクターになりやすい。 でも、檜原村の険しめの自然のなかを歩くときなど、友人二人が不慣れな体験をするとき、私は「しっかり者」になった。彼らの安全は私が担保するのだ

          エッセイ / 太陽に生かされて

          檜原村で暮らしていると、私たちは「自然のなかにお邪魔して、生活させてもらっている」んだなぁとつくづく感じる。 それは、村のちょっと小高いところに登ると、こんな景色が目に飛び込んでくるからだ。 山の一部を切り開いて、ちょこんと人家が密集している様子。百聞は一見にしかずとはまさにこのことで、「私たちは自然に生かされているんだ」なんて言葉を何度聴くよりも、自分の目でこの景色を見たときに、「ああ、世界は私たち人間が作ったのではなく、私たちは本当に、自然という世界のなかで生かされて

          詩 / 平和

          平和 それは お母さんの愚痴 おじいちゃんの長話 ぽちゃっとした私のお腹 きみの臭い靴下 青い空 赤い夕日 誰かの笑い声 しずかな夜 つなぎあえる手 *** 平和とは、あたり前の日常のこと。そんなことを表現したくてつくった詩。谷川俊太郎さんの『平和』という詩から、着想を得てつくった。 その詩のなかの、「平和/それは花ではなく/花を育てる土」という一節がとっても好き。本当にその通りだ、って思う。特別な一瞬を下支えする、当たり前の日々こそが平和なんだと。 今こうして、鈴

          エッセイ / ハコカラに気をつけろ

          昨日はでっかいイオンモールのなかにある映画館で、友人と映画を観てきた。檜原村の隣町にあるイオンモールだ。山形出身の友人が「俺の地元のイオンモールと、規模も中身もまったく一緒だ」と言ってなぜかエモがっていた……と言えば、その巨大さが伝わるだろうか。いやここ、一応東京なんだけどね。 映画館に向かうと、なぜか待合所に電話ボックスのようなものが2つあった。よく見るとそれは、「ハコカラ」という1人用のカラオケボックスだった。1曲100円。映画の上映開始まで15分ほど時間があったので、

          エッセイ / 福生、早朝、東横イン

          東横インに泊まった。人生で初めてかもしれない。 私が住む檜原村の隣の隣くらいに、福生市(ふっさし)という都市がある。米軍基地があることで有名な都市だ。昨日はむかし福生に住んでいたという先輩に、福生の美味しい飲み屋に連れて行ってもらった。その翌日、つまり今日は、福生からほど近い映画館で映画を観ることにしていたので、思い切って福生の東横インに泊まってしまうことにしたのだ。 私の部屋は12階。早朝に目覚めると、窓からとても美しい朝焼けが見えた。「タワーマンションに住む人の気が知

          エッセイ / 理由を考えはじめたら終わり(だから、楽しくすることから始めよう)

          「なんで自分はこの仕事(バイト)をしてるんだろう?」「このグループに属しているんだろう?」「この人と付き合っているんだろう?」 そんな問いを、私は今まで何回立ててきたのだろう。そしてその問いについて考えた結果、何回バイトを辞め、いくつのグループから去り、何人と別れてきたのだろう。 「理由を求めるんじゃなくてまずは手足を動かせ」、「いいからもう少しだけ続けてみろ」。周囲の人からはそうしたアドバイスを数えきれないほどもらったが、あまり耳を傾けてこなかった。「だって私が必死で考

          エッセイ / 慣れと意思

          檜原村で暮らし始めてから一ヶ月が経った。つねに新たな人や場所と出会い続けていたからだろうか、すごく長く感じた一ヶ月だった。 原付での通退勤には、この一ヶ月ですっかり慣れた。クネクネした山道のコーナーを曲がるのは確実にうまくなったし、雨に打たれながら走るのも以前よりは憂鬱ではなくなった。 一方で、移住当初は毎日「うわぁ…!」と思わず嘆息していた通退勤路の絶景も、今ではすっかり日常の一部になってしまった。 「慣れること」は、人間の自然な営みだ。慣れるという営みのおかげで、私

          エッセイ / あなたのその涙、わたしのものに

          他者に心から自分のことを信じてもらって、肯定してもらって、それでやっと自分のことを信じてあげられるようになる。自分に自信が持てるようになる──そんな経験をしたことがある人は、きっと少なくないはずだ。私もそんな経験を経て、少しずつ自分に自信が持てるようになってきた人間の一人である。 でも最近、他者に信じてもらう以前に、そもそも圧倒的な自分の味方として、自分という一人の人間がずっと存在しているじゃないか、ということにはたと気がついた。 ちょっと変な話かもしれないが、他者である

          自分が苦しむ映画を再生するのはやめようぜ──『青空としてのわたし』書評

          最近読んでよかった本を紹介したい。それは、山下良道さんというお坊さんが書いた『青空としてのわたし』という本だ。 この本に出てくる、「考えごとをしているということは、頭のなかでいろいろな『映画』が展開しているようなもの」という考え方のフレームが、私にはとても救いになったのだ。 *** 私には先日、イライラざわざわしてしまう出来事があった。その出来事が起きてしばらくしてからも、何度もその出来事を思い出しては、イライラむしゃくしゃしていた。   でもそうしてイライラしていると