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自分の願いについて、現在地の記録

「人はいかに生くべきか」、もっとやわらかく言えば、「私たちはどうしたら幸せに生きられるのか」。私がずっと探求してきた問いだ。その本質的な答えだと思えるものが、とある本にあっさりと言語化されていた。

この世界に生まれたあらゆる人間が絶対にあるはずだ、と思いたいもの、欲しいものは、「自分はありのままで愛されている」という存在に対する無条件の愛への信頼と、「絶対的なつながりがある」という自分の居場所やつながりを感じることから得られる安心感です。

出典:ザ・メンタルモデルワークブック

結局、これに尽きるんだと思う。「これに尽きる」と思えているのは、今までずっと、その答えを探して試行錯誤を重ねてきたからこそなんだけど。

思えば『嫌われる勇気』でも、同じようなことが言われていた。

共同体のなかに自分の居場所があると感じられること、「ここにいてもいいのだ」と感じられること、つまり所属感を持っていること、これは人間の基本的な欲求です。たとえば学業、仕事、交友、そして恋愛や結婚も、すべては「ここにいてもいいのだ」と思える場所や関係を探すことにつながっている。そう思いませんか?

出典:嫌われる勇気

だからこそ私はここ数年、「ありのままの自分」の純度を高めることと、つながりを感じられるようなライフスタイルにシフトすることに、力を注いできたんだなぁと思う。

仕事面でも生活面でも、純粋に自分が心から気持ちいいと思えることをすること。自分が違和感を感じるシステムや商材には加担しないこと。それで例え一般的な道からは外れることになったとしても、自分の気持ちに重きを置くこと。そしてお金の代わりに、人や自然とのつながりから、生きるために必要な糧を得ること。

私のそうした行動の裏側にあったのは、「ありのままで愛されたい」、「絶対的なつながりを感じたい(所属感を持ちたい)」という欲求だったんだなぁと思う。いま振り返ってみれば、だけど。

そして最近では、少しずつその欲求が満たされてきているのを感じる。それと同時に、その欲求さえ満たされれば、私たちは幸せに生きていけそうだってことも、なんとなく分かってきた。それは、私は今、派手でも贅沢でもない暮らしをしているけれど、日々の幸福度はなかなかに高いなぁと思うからだ。

私は現在、山奥で暮らしている。高尾山の頂上と同じくらいの標高で、今の季節は結構寒い。最寄りのスーパーまでは車で約40分かかる。飲食店も当然ないので、食事は基本自炊する。でも、車で5分のところに温泉がある。家には薪ストーブがあって、建設現場から出た廃材や、散歩中に山で拾ってきた枯れ木で火を焚いて体を温める(だから最近はエネルギー価格が高騰しているけれど、我が家の暖房費は基本的に無料だ)。夜は本を読んだり、映画やアニメを観たりして、日付が変わる前に眠りにつく。隠居生活と言われたら、そうかもしれない(一応フルタイムの仕事に就いて働いている)。

たまに都心から友人が遊びに来てくれるけれど、頻繁に連絡を取るわけじゃないから、携帯はほとんど鳴らない。でも、村内を回れば誰かに遭遇して立ち話が始まるし、ご近所さんが育てた野菜をおすそ分けしてくれたりもする。もちろん時たまどうしようもない孤独感や悲しみに襲われたりすることもあるけれど、ベースとして、とても満たされていて幸せだと感じる。

だから、私の幸せの源泉はここにあると感じるし、こうした幸せをもっと多くの人に広げていけたらいいなぁと思う。多くの人が、ありのままの自分で愛されるのを感じ、絶対的なつながりの感覚を持てるようにすること。ベンチャー風に言えば、それが私のミッション、ビジョンのようなものなんだと思う。ベンチャー風に言わなければ、それが私の願いなんだと思う。

自分の願いについて、今まで私はいろんな言語化をしてきたけれど、冒頭に挙げた『ザ・メンタルモデルワークブック』の一節と出会ったことで、それが極限までシンプルに、クリアになったような気がする。

だからこそ、このタイミングで改めて、自分の願いを言語化して整理してみよう。そんな風に思って、noteをしたためてみた。

「じゃあ、その願いを叶えるために私ができることって何だろう?」という問いについては、今度改めてまとめたい。

ざっくりと考えていることは、所属感を感じるためには、田舎は相性が良いんじゃないかということ。地域のコミュニティがあるし、自然の恵みで生かされている実感を持ちやすいからだ。でもきっとそれだけじゃだめで、私の場合は、自分の才能が発揮されていると感じる仕事ができていることや、距離が遠くても絶対的なつながりを感じられる友人やメンターを持ち得ていることが、要因として大きいとも思う。

「どうしたら所属感を得られるのか」については、『嫌われる勇気』に以下のようなヒントが書いてあった。

われわれはみな「ここにいてもいいんだ」という所属感を求めている。しかしアドラー心理学では、所属感とはただそこにいるだけで得られるものでは なく、共同体に対して自らが積極的にコミットすることによって得られるの だと考えます。(中略)あなたもわたしも世界の中心にいるわけではない。(中略)「この人はわたしになにを与えてくれるのか?」ではなく、「わたしはこの人になにを与えられるか?」を考えなければなら ない。それが共同体へのコミットです。

出典:嫌われる勇気

まあ、全ては変わりゆくものなので、今日の自分の思いも、これから少しずつ形を変えていくだろうなぁとも思いつつ。自分の現在地の記録として、残しておきます。

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