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人それぞれ『盲点』を持ち合わせている。

私たち人間は、誰しも「盲点」を持ち合わせている。

盲点とは「視神経乳頭(ししんけいにゅうとう)」にある、視神経が集まって、束になっているところだ。視神経乳頭には光を感じる細胞(視細胞)がないので、この部分に集まった光は、信号として 脳まで届かない。だから、脳では「見えない」と判断される。

例えば、長年付き合っている親友が居て「お互い分かりあっている」と思っても、必ずそこには「盲点」があり、見落としてしまっているものがある。

ここで、「分かりあっている」ということについて、自分なりに考察してみる。

⑴長年同じ場所にいる時間が長い。
⑵同じような辛い経験をしてきた
⑶話のリズム

⑴長年同じ場所にいる時間が長い

やはり人間というものは、長い時間経過の中で共に過ごした人物に、安心感を覚えるのではないかと僕は思う。自分自身と長い時間を過ごしたいと思ってくれている。だから自分も相手にその"好意"を返さないとな…と無意識の中で、思っているのではないだろうか。

長い時間を共に過ごしても、必ず盲点というものは存在する。

あなたが、あるマンションの1室に同棲している中年の夫婦であったとする。長い時間経過を共にするということは、幸せなようで時には残酷なもので、「相手に足りない部分」をどうしても探してしまう。

他の異性との関係がある。家事をしない。子育てを手伝ってくれない。自分の部屋から出てこない。

このようにまだ言葉に出来るものならばいいのだが、自分が久しぶりパートナーに求めるのは大抵言葉にできない、さらに深い"何か"である方が可能性は高い。

⑵同じように辛いことを経験してきた
「伝える」を「伝わる」にする作業は、かなり難しい作業であって、その中で、自分だけではなく相手も同じ経験をしている、という所における信頼は大きいと感じる。

この記事に書いている通り、同じ立場を経験した人とは「言葉にならない深い繋がり」を、コミュニケーションをとる前に凄く感じる。やはり、対話以前に、自分が様々なことに思うままに挑戦し、経験していくことは大切なんだろう。「同じ職業」じゃなくてもいい。「同じ状況」であれば、そういった繋がりを感じることができる。「孤独」とか。「孤立」とか。

⑶話のリズム

やはり、人間だからどうしても「話のリズムが合わない」という人が存在する。逆にコミュニケーションをとる前から、「話すテンポや表情の取り方や出し方が上手だ」と感嘆してしまう人も存在する。

それはなぜだろうか。

①声が好きー「声」は各個人が生まれ持っているものであり、ヘリウムガスでも吸わない限り変えようがない。だからこそ「嫌い」云々言っても、相手の方は改善の仕様がないのだが、やはり「声」というものは大事なものだとつくづく思う。

普段の生活では、意識でもしない限り「声」について考える機会はあまりないのではないだろうか?だが、意識を一度向けてみると、なかなか面白く感慨深いものがある。

「この人は、あまり力強い声ではないけれど、その奥にしっかりとした軸をもっているな」とか「聞いているだけで元気が出る声だな」とか「可愛い声だな」とか、「声」だけでその人の中にあるイメージを膨らますことができる。

僕は生まれ持ったものなのか分からないが、普通の男性の平均よりもかなり高い声質を持っている。初めはコンプレックスだった自分の声が、自分の世界や物語を広げるきっかけとなる。「話が上手い」というだけでは、対話は長く続かないのではないだろうか?一人の人間だけでも一生のうちに完全に理解できるか分からない。そんな中で「聴覚」に刺激を与える「声」というものは、対話にとっても、話すリズムにとっても、必要なものであろう。

②自分を「演じる」-名俳優・名女優でもないかぎり、コミュニケーションをとる時に、相手の人が演じているか、演じていないかは、嫌というほど全身で感じ取ってしまう。必要な場面で、必要な自分を演じることはもちろんあるが、コミュニケーションをとる際にそういう雰囲気を感じ取ってしまうとなかなかやりにくい。

だが、人間というものはやはり、整合性のないものに惹かれるもので、その人の裏にある「背景」を探ろうとする。なぜ自分を演じるのか、なにがきっかけであなたをそうさせたのか、聞き出したいと思う。

あとは、やはり、このように自分で会話し続けていても、自分が求めているものにはたどり着かない。だからこそ、人は人を求める。

僕がこんなにも「対話」に惹かれたのは、このテレビ番組が大きな影響を与えたからだ。「正しい答えはない」-ということをコロナのおかげで気づけたはずなのに、いまだにテレビのニュースでは「答え」を求め続けたような情報やコメントが飛び交うし、SNSの誹謗中傷は止まらない。僕はコロナになってから、ニュースは全く見なくなった。辛い人へ向けて発信されている情報が、本当に辛い人へ届かない。

僕はこのテレビ番組を見てから「ゴールを目指す」という表現はあまり好まないようになった。なぜかというと、あまりに「縦の関係」で物事を見ているから。本当は「縦の関係」で見るのではなく、ある一点が真ん中にあり、その点から色んな物事や性質が矢印として飛び交っている。そして円を形作る。そんな見方で、世界を見るようになったら、心は大分楽になった。

聴いているだけだが、心が整理される。

この番組は、とてもそんな要素が強い。ここで書いているのは「番組」だけれど、私たちも、こういった人を求めているから、「対話」し続けたいと、心の底からそう思うのだろう。



最後に、僕が行なっているラジオを紹介させていただきます。出演してくださる方を募集していますが、ラジオに出るだけでもかなり勇気はいると思います。なので、一度、対話しにきてください!

学校にいけない・会社にいけない・一人が怖い・子育てに自信がないけど話し相手がいない…など、言葉に出来ない「もやもや」を、僕に相談しに来てみてください!

僕はいつでも、お待ちしています!

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