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連載長編小説『別嬪の幻術』9-2

 その証言を引っ提げて、僕は今堀に当たった。構内に戻った時、今堀は講義を受けているところだったので少し待ち、教室から出て来るところを捕まえた。彼は一人だった。僕を見て用件を察したらしく、今堀は立ち止った。話があると言うと素直に応じた。
 腰を落ち着け、僕は単刀直入に訊いた。「夏休みに洞院さんと会っていたそうだね。どっちが誘ったのかな」
「才華やけど、それが何?」
 結局のところ交際の噂が事実かどうか、僕は問い質した。夏季休暇中にわざわざ大学に呼び出され、二人で会っている。相手は学内一の美女だ。そんな彼女と一緒にいるところが目撃されれば必ず噂になる。特に京都人は噂が大好きだ。それはもう文化と言っていい。もし噂が事実でないとすれば、相手が洞院才華である以上、男は舞い上がるか臆してしまい、周囲の目を気にせずにはいられなくなる。周囲の目を気にせず二人で膝を突き合わせられる男など恋人くらいだ。
 だが今堀は噂を否定した。自分達は恋人同士ではない、ときっぱり言い切った。高校からの友達だ、と。彼も佐保と風見が殺された事件については知っているはずだし、僕がその事件を調べていることは重々承知しているはずだ。もう少し動揺を見せてもいいと思うのだが、やけに落ち着き払っている。狼狽すら見せない。ぼろを出すようなタイプではなさそうだ。それがわかるから、澄まし顔の長髪が鼻につく。刈り上げてやろうか。交際の噂については、マスターキーをもってしてもこじ開けられそうにない。
 そればかりに気を取られるわけにもいかない。二人が交際関係にあるかどうかはこの際どうだっていい。親しい間柄であることは間違いないのだ。問題は二人で会って何をしていたかだ。今堀は市内の寺社を案内してほしいと頼まれたと答えた。
「一応京都探求サークルに所属してるから。それで白羽の矢が立ったんやと思う」
「具体的には?」僕は詰め寄った。「市内の寺社っていっても山ほどある。彼女も頭がいい、そんな曖昧な話をするとは思えない。もっと具体的な条件がついていたはずだ」
「確かに、条件はついてた。でもそれは言えへん。才華に口止めされてるもんでな」
「口止め?」僕は首を傾げた。「やっぱり君は、彼女が今どこにいるのか知ってるんじゃないのか? 彼女は何かをしようとしていて、君は密かに連絡を取っている。そうじゃないのか」
「何かって何や。俺は才華が何をしようとしてるかも知らんし、そうやとしても手組んでたりはせえへん。居場所も知らんし連絡も取ってへん。取ってへんっていうより、取れへんのほうが正しいかもしらんけど。まあ、才華との話ん中で松尾さんの名前が出て来たことは確かや。それだけは教えたる。でもこれ以上は話せへんからな」
「話せへんってことはやっぱり何か知ってるんだろう? 人が死んでるんだ。松尾で何が起きてる? 彼女は何をしようとしてる?」
 おそらく佐保は、今堀の言う話せない情報を知っていたはずだ。だが佐保は殺され今堀は生きている。考えられるとすれば、風見に情報を話してしまった佐保が殺され、口を閉ざした今堀が生きているということだ。洞院才華が何かを企んでいて、信頼できる二人だけに情報を開示した。その情報が広まることを恐れた。だから佐保だけでなく風見も殺された……。失踪についても、極秘裏に計画を進めるためと考えれば説明はつく。
 しかし家族が捜索願まで届けているこの状況で彼女自身が松尾大社まで行き二人も殺害するとは考えにくい。やはり人を操ったか……あるいは操るまでもなかったのかもしれない。さっき考えていた、風見が佐保を殺したという仮説だ。その仮説に基づけば、洞院才華がある条件つきで寺社を案内してほしいと今堀に持ち掛けた理由もはっきりとする。それはつまり、佐保が犯した船槻敦との間違いだ。それをうまく利用し風見に佐保を殺させた。そしてその風見を船槻敦が殺すことを見越していた……。松尾大社が現場となるのも必然だったと言える。
 僕は立ち去ろうとする今堀を引き留め、船槻敦について洞院才華から何か聞かされていないかと訊いた。どうやらその名前に聞き覚えがあるようで、今堀は微かに反応した。洞院才華と同じ医学部ということで多少親交があると聞かされた程度らしい。というのも、船槻敦は僕と同じ東京出身で、僕とは違い新都大を目指して受験したらしい。結果は言うまでもない。船槻敦のように新都大を目標に据えていたが落第し、古都大学に進学した学生は少なくないだろう。そういった学生の一部には、今もなお古都大学を新都大より下に見る傾向があり、船槻敦にもそういった部分があるらしい。要するに高慢なのだ。そんな高慢な男であるために、周囲の学生とは一線を画していると思い込んでいる。医学部生ということも影響しているかもしれない。その中にあって、洞院才華の頭脳は新都大生でも敵うものではない。そんな彼女を妬み、さらには医学部を卒業後は実家の旅館を継ぐつもりでいることを憎らしく思っているそうで、洞院才華自身に度々嫌味をぶつけていたらしい。そのことについて今堀は彼女自身から何度か相談を受けたこともあるらしい。しかし不思議なのが、普段は何事もないように接しているという点だ。洞院才華が大人なのだろう。あるいは京都人特有ののんびりとした性格がそうさせているのか……。
 だが親交がある以上、洞院才華にとって催眠をかけやすい相手であることに変わりはない。学内で顔を合わせれば気軽に挨拶を交わすような間柄だったようだから、実験データを取りたいと直接頼み込むこともできたかもしれない。
 船槻敦についての話を聞いている途中、高島美佐が割り込んできた。相変わらずブランド物で全身を固めている。しかし近くで見ると意外にも化粧は薄く、一目見て下品な女と思った僕だが、今は下品ではなく残念な女という印象に変わった。外見ばかり気にしていても内面にまで気を向けなければ全身を纏うブランド品もただの絹、布、綿、皮だ。吊り上がった目は攻撃的で、今堀を解放しない僕にあからさまに敵意を滲ませる。確か一年生だが浪人時代を経ているから僕より一つ歳下のはずだが、やけに子供っぽく見える。
 どうやら彼女は今堀が解放されるのをずっと待っていたらしい。彼が教室を出た時には僕と同じように彼を待ち構えていたのだが、先を越されてしまった。もし高島美佐が廊下で今堀を待ち伏せているのを知っていたら、僕は彼と腕を組み、挑発的な流し目を彼女に向け、颯爽とここまで歩いて来た。その時の彼女の嫉妬に狂う顔を想像するとおかしくて噴き出しそうになった。とりあえず、僕は詫びた。
 もういいですか、と喧嘩腰で高島美佐は訊いて来たので、僕は親切心で脈なしであることを教えてあげようと思い、今堀と洞院才華の噂について知っているかと訊いた。高島美佐は仏頂面になり、舌を鳴らした。どうやらこれが彼女の逆鱗だったらしい。高島美佐は「何が言いたいんですか」と怒声を上げると、洞院才華への恨み節を呼吸をするように次々と吐き出した。
 性悪女、人を操る魔女。二年前の最優秀論文にもきちんと目を通しており、夢催眠で今堀が操られているのだと言った。そのせいで今堀は好きでもない洞院才華に親切をしてしまい、妙な噂が流れてしまっている。すべて洞院才華が原因であって、本当は今堀にその気はないのだ、また、洞院才華と親しい佐保も魔女の一味とみなしており、佐保が亡くなったことについても人にかける幻術を自分にかけてしまったとか、人に飲ませる毒を魔術の手順を間違えて自分で煽ってしまったとか、佐保の恋人である風見も洗脳されていたとか、とにかく洞院才華とその周りの人間を全否定した。唯一否定されなかったのが今堀だった。
「やめとけ」と今堀は優しく制止した。
 しかし高島美佐は「ほら、またあの女の肩持つやん」と駄々を捏ねる子供のように言った。面倒な女だ、と僕は思った。地球上に洞院才華か高島美佐しか女性がいない状況になれば、さすがの僕も洞院才華を選ぶだろう。
「洞院さんの実験は実際君が言うようにマインドコントールの実験だから、人を操るという点は否定できないけど、佐保と風見は彼女の仲間じゃないし、洗脳もされてない。偏見だ」
 なぜか僕がフォローしなくてはならなかった。高島美佐は不満そうに僕を見返してくるだけで何も言わない。そんなこと内心ではわかっているとでも言うようだ。さすがに一浪してまで今堀を追いかけて来たのだ。否が応でも、今堀に近づく女性とその周囲の人間は敵に見えてしまうのだろう。その最大の敵である洞院才華についても、彼女の論文まで読んでいる。たぶん高島美佐は論文に穴が空くほど読み込んだに違いない。執着深い性格をしているのは間違いない。
 しかしそれが、思わぬパスになった。今堀は最後に「才華が寺社について訊いて来たのは例の実験に関係していると言えなくもない」と言い残した。
 夢催眠……松尾大社……いったい何の関係があるというのか。僕にはわからなかった。いや、今はまだ、わからないだけだ。

10へと続く……

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