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「類は友を呼ぶ」理論で生きやすくなった

真偽はさておき、この言葉によって、私は生きやすくなった。多くの人が直面するであろう、2つの問題に自分なりの折り合いをつけられたから。


相手にどう思われているんだろう?問題


「相手は自分のことをどう思っているんだろう?」
「嫌われたらどうしよう?」
というたまに顔を出す不安。このせいで、何かしらの行動に踏み出せない人も多い気がする。私も同様に。

でも、人間関係は鏡とも言うように、自分がその人を好きなら、相手も同じように好きでいてくれているはず。自分が今楽しいなら、相手も楽しいと感じているはず。
と、思い込むようにあるとき決めた。

そうしたら、抱えていた不安が、
いかに自分が相手を好きになれるのか。
いかに自分が今の状況を楽しめるのか。
と、自分の意識次第でどうにかなる問いへと変化した。


自分が優しくあれば、周りは優しさにあふれてくる。自分がいい人であれば、周りにはいい人たちが居続けてくれる。
だから、自分のために、周りに優しくできる人間になりたい。自分のために、いい人であろうと努力し続けたい。


自分がどうするか
、を考えること。
一見、相手ありきに見える問題も、自分の手元にある問題へと変わった。自分の問題となれば、あとは自分と向き合うのみで、考えること、頑張る対象は「自分」についてだけ。


もしかしたら、「自分」を考えるのがしんどい、という人もいるかもだけれど、相手を考えるよりは、どうにかなりそうな気がしませんか?


たまに自己嫌悪に陥る問題


自分って価値がない。
自分は何のために今頑張っているんだろう?
自分のことが好きになれない、嫌い…。
たまに、こういう思考になる。

こんなときは
「私のことを好きと思ってくれる人たちに、あなたの目は節穴だ、私をいい人と言うなんてセンスないね、と言っているのと同義だ。」
と考える。

そんなわけがない!私にとって、周りの人はとても大切な人で、大好きな人たち。本当に素敵な人たちばかり。
その人たちをバカだとは、絶対に言わせない!!
と自分に活が入る。


この一言がある限り、私は自分のことを
どうしても嫌いになりたくはないし、なりたくてもなれない。

そして、類は友を呼ぶ理論に基づくと、
こんなに素敵な人たちに好きでいてもらえている自分は、きっとそれに釣り合うほどの何かを持ちあわせた人間なのだろう、と。
そう思っていないと、相手に失礼に値することになるので、思わざるを得ないのである。



「類は友を呼ぶ」は、私の座右の銘。
私はこの言葉のおかげで、生きやすくなった。


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