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考えても、現実が変わらないなら意味がないの? ”考える”理由

ーーーーーー無駄話ーーーーーー

昨日、noteにダッシュボードというページがあると知り、初めて見てみました。
スキが多い記事と、ビューが多い記事は比例関係にはないようです。そして、「人生哲学(?)」系がビュー数が多い傾向にありました。
でも、なぜスキの数は少ないのだろう。
(共感されていないから?綺麗事だから(?)なのかもしれませんね。※根拠もなにもない、とても無責任な発言です。)

まあ分からないですが、
「綺麗事」を考える必要性について、書きたいと思います。(という結論に落ち着かせたかった。)

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人はいろんなことを考える。
私も考える。
実際に世の中が変わるわけではないのに、私は物事をこねくりまわし、綺麗事な、理想論な、持論を生み出したいと思っている。

それは、
自分がなりたい自分になるため。
自分が生きやすい”世の中”を作るため。

「生きやすい」というのは、楽な、easyな生きやすさのことではない。自分の居心地の良い、自分を好きでいられる、comfortableな生きやすさのこと。

「居心地の良い生きやすさ」というのは、決して楽ではない。時には、大きなストレスがかかるもの。それでも私は、自分のなりたい自分になるために「居心地の良い生きやすさ」を目指したい。

そして、
”自分の” ”世の中”をよりよくするために、一生懸命になりたい。絶対的な世の中という存在は、自分にとってあまり重要なものではない。(もちろん、環境問題とかを考えはじめるのであれば、重要ですが。)

生きやすい”世の中”を作るときに見つめるべきは、
”色メガネをかけて見えた” 世の中。
”自分の目で見た、自分で感じ取った” 世の中。


世の中を変えることができなくても、自分の色メガネで見た”世の中”を変えることはできる。
何か物事に出会ったとき、それを自分がどう捉えて、自分がどう処理するのか。
考え方を変えたら、メガネが変わる。
メガネを変えたら、”世の中”が変わる。


自分の見たいように、世の中を見るために、
人は”考える”のだと思う。


絶対的な世の中は、もちろん綺麗事ばかりではないだろう。むしろ、混沌とし、複雑に絡まりに絡まった世の中かもしれない。
でも、色メガネの中の”世の中”は自分がつくる。

私は自分の”世の中”に、単純さと素直さ、まっすぐさを求めたい。
そのために、日々考えるのである。


「考えたって、世の中は変わらない。」
「綺麗事を考えたところで、実際はそうではないのだから、意味がない。」

そんなことはないと思いたい。
人は色メガネをかけた状態でしか、世の中を見ることができないのだと思う。いくら客観視したとしても、それはメガネ越しの客観視。

そうであれば、私はメガネを変えたいと思うのです。


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