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人と比べる問題 ~ただ、人と比べられただけ~

今日久しぶりに、自分と人を比べられました。

比べられるって、こんなにテンションが下がるのか。
自分の中から、一気に自信が抜けていく感覚。

今思い返すと、小学校時代の部活では、人と比べて競わせる指導方針?だったように思う。当時は比べられることが日常だった。今振り返ると、当時の自分がかわいそうになる。

そういえば、最近は「人と比べて落ち込んでしまう、優越感に浸ってしまう」という悩みに直面しなくなった。
いつからなのか、思い出してみよう。

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きっかけは、大学に入学し、あるコミュニティに入ったときだった。

田舎で育った私の高校までの狭い世界では、学力においては、人と比べてもある程度の自信があった。モノサシは学力だけではなかったが、いずれもそこまで大きな劣等感を感じずに生きてきた。
それは、人と比べていなかったからではなく、人と比べても、落ち込まないくらいには自信があったからだ。

でも、大学は違った。
必死に勉強して、やっと手が届いて入った大学。
もちろん、周りは私より優秀な人ばかりだ。

ただ、それは「学力」だけではなかった。
あるコミュニティに入ったとき、それを体感した。

人間性、思考力、行動力、考える深さも速さも、ありとあらゆるものがそのコミュニティにいる人たちには、何一つ届いていなかった。
驚いた。
世の中には、こんな人たちがいるものなのか。
自分の強みも弱みも、自分の個性として少し尖っていると思っていたものは全て、その人たちに内包されているように思えた。

ここでひねくれた思考にならなかったことだけ、自分を褒めたい。

私は、その人たちを尊敬した。憧れた。その人たちがとても輝いて見えた。
私もこんな人になりたい、と心の底から思った。それまで、これほどまでに人を尊敬したことがなかった。「尊敬する人を教えてください。」という質問が難しかった。
でもこの瞬間に、純粋な気持ちで、人を「尊敬する」感覚をはじめて知った。


このとき、私から「人と比べる」という思考の型が消えた。

人と比べるのではなく、純粋に、まっすぐ、そこを目指すだけだと思った。
私は、まだどこにも何にも届いていないのだと思った。

自分の現在地は知らないが、
目指すべきところはもっと遠いと知っている。
昨日の自分よりも前に進めたと思えるように、憧れの人を教科書のように大事に抱えながら、道の先をひたすらに目指すだけだ。その視野の中には、前を歩く人の背中しか見えない。前を歩く人は振り返らない。私も振り返らずに、前を歩く人の背中を見つめて、歩き続ける。

悪く言えば、あきらめがついた。
良く言えば、謙虚になった。
いずれにせよ、私は変わって良かったと思っている。

謙虚になって、あらゆる人から学べるようになった。スポンジのように、人のすごさを素直に受け入れられるようになった。そして、昨日の自分よりも今の自分の方が好きだと思えるようになった。

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今日は比べられました。
でも、ただ比べられただけだった。
書きながら、それに気がついた自分偉いです。

私は、まだまだ遠くにある目指すべきところに向かって、ひたすらに進むだけ。
まだ道の途中なのは知っている。
この文章も未熟で、まだ道の途中だ。
それでも、進みたいと思う間は、進み続ける。


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