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小学生のわたしは小林可夢偉に夢を見ていた | 20世紀生まれの青春百景 #83

 2012年の秋、突如舞い込んできた「来季、ザウバーは小林可夢偉を起用しない」という一報にわたしは驚いた。ティモ・グロックの代役として鮮烈なデビューを飾ったあと、トヨタの撤退を機にザウバーへ移籍し、メキメキと頭角を表してきた。特に2012年はチームメイトのセルジオ・ペレスとともに一貫して高いパフォーマンスを発揮し、連続入賞こそなかったものの、鈴鹿では日本人として佐藤琢磨さん以来となる3位表彰台を獲得。

 まさに「これから!」という段階でシート喪失の一報が飛び込んできた。

 かつては“ピラニアクラブ”なんて言葉が使われていたくらい、F1の世界は独特だ。ファンとして追いかけているだけでは、その1%も味わいきれないし、仮にスポンサーやチームオーナーだったとしても、それがメルセデスやフェラーリのオーナーでない限り、グリッドにマシンを並べられているだけでは10%も味わえないのかもしれない。

 ヨーロッパ生まれの競技だからこそ、今もイギリスに半数以上のチームが集結し、後発で参戦したアジアやヨーロッパのチームやメーカーが存在感を示すのは難しいのだ。ホンダは現在もレッドブルとともにエンジンサプライヤーとして素晴らしい成績を残しているが、フルワークスチームとしては一勝に終わっている。トヨタは一勝もできなかったし、エンジンサプライヤーとしても、かつてコローニと提携したスバル、ティレルやアロウズと組んだヤマハ、プジョーの遺産を受け継いだアジアテックなどは厳しい戦いを強いられた。

 そんな世界に、メーカーの支援を受けず、ドライバーとしての腕だけでのし上がろうとした小林可夢偉という超新星。

 2009年のブラジルGPとアブダビGPで繰り広げられたジェンソン・バトンとのバトルは衝撃的だったし、ザウバーへ移籍してからも印象的なオーバーテイクを何度も繰り広げた。2012年の鈴鹿は表彰台に登ったこともあってベストレースに挙げられやすいが、わたしは2010年の鈴鹿こそがベストレースだったと思う。本人も「何度オーバーテイクしたか覚えていない」と語るほどの激走で、最終的には七位入賞を果たしてみせた。この時の走りは神がかりとしか言いようがなく、ハイメ・アルグエルスアリをアウト側からオーバーテイクしてみせたシーンはこれまで観たF1の中でもトップクラスに興奮した名場面だった。

 可夢偉はザウバーのシートを失った後、2013年のシートを得るためにクラウドファンディングで集めた持参金を持ち込み、ケータハムからF1に復帰した。だが、全チームの中でもとりわけ大胆なアリクイノーズを採用したマシン開発の失敗や、完全に情熱を失ったトニー・フェルナンデスがチームを売却したことによって、もはやレースどころではなかった。

 当初のチームメイトだったマーカス・エリクソンを上回り、完全にチームが破産した後に管財人の管理下のもとで参戦したアブダビGPでは資金持ち込みによって可夢偉よりも良いスペックのマシンを与えられたウィル・スティーブンスを凌駕してみせたものの、入賞のチャンスがあったレースはジュール・ビアンキと争ったモナコGPくらい。可夢偉にとっては、ほんとうに厳しいシーズンだった。

 この後、小林可夢偉はF1のシートに座っていない。トヨタのWECプロジェクトに参加し、スーパーフォーミュラやフォーミュラEにも参戦した。可夢偉の後、日本人がふたたびフルタイムのF1ドライバーとして参戦するまでには6年もの歳月を要した。

 小林可夢偉のF1ドライバーとしての夢がこういった形で終わってしまったのは本当に残念だったし、もし小学生でなかったら、できる形で支援をしていたんだろうと思う。

 現在、角田裕穀は中国人の周冠宇、タイ人のアレックス・アルボンとともに、アジア人のF1ドライバーとして4年目のシーズンを戦っている。F1はアジアやアメリカ、中東といった新規市場を開拓しているが、そんな中で角田はアジアのみならず、世界のトップドライバーたちと肩を並べるレベルで成長を続けている。いずれは表彰台に登る可能性があるだろうし、チームやマシンの状況によってはひょっとしたら優勝が見えてくるかもしれない。少なくとも、今はそれを夢見られる位置にいる。

 F1は特殊な世界だからこそ、誰にも予想のつかないタイミングでチャンスの順番が回ってくる。角田にはそのチャンスを逃してほしくないし、自分自身が原因で滑り落ちるようなことがあってほしくない。もっと上を目指せると信じているし、願い続ける限り、どこにだって行ける。いちファンとして、できることはなんでもやりたい。

 2026年、角田はどのチームのレーシングスーツを身に纏っているのか。わたしは彼の今後を心から応援している。

 2024.7.10
 坂岡 優

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